連載 人材教育最前線 ワークプレイス編 組織を向上させる人材は 冷静な頭脳と温かい心を持つ
日本政策投資銀行の前身は、1947年設立の復興金融金庫に遡る。民営化が決まり、今後は投融資機能をさらに強化し、長期的視野に基づく幅広いサービスを提供することとなった。そのため、行員には専門的知識だけでなく、幅広い知識と視野、物事の本質を洞察する深い見識が求められるようになったのだ。こうした「ゼネラリストを超えたスペシャリスト」の要件を満たす人材をいかに育成していくのか。今回は、ワークプレイス編として、同行の産業調査部長として現場の人材育成に注力している鍋山徹氏に、育成に対する想いを聞いた。
最も良い人材教育は自由な環境をつくること
「人材育成は、管理職にとって最大の職務である」と、日本政策投資銀行の産業調査部長、鍋山徹氏は断言する。部下の能力は、管理職がその力をいかに引き出せるかで大きな差が生じるからだ。鍋山氏がそう確信するようになったのは、入行して15年ほどが経った1997年頃だったと言う。
「仕事を通じて、日本を代表する製造業の役員レベルの方々と直に話をするようになりました。その方たちがどうやって成長されてきたのかということや、部下育成の方法を伺う中で、上司の指導力によって部下の能力の伸長度合いが著しく影響されることを確信しました」
何より大切なことは、育てたい相手に、自由に活動できる環境を与えることだと鍋山氏は話す。そのためには、上司が、障害となる“風”をよける屏風の役目を果たすことが大事だという。
「屏風とは、たとえば吉田松陰にとっての長州藩藩主の毛利敬親を指します。松陰は11歳の時に毛利敬親の御前で、儒学者・山鹿素行の『武教全書』を講義します。これに感嘆した敬親は後に、松下村塾の後ろ盾になり、松陰に自由にやらせたのです。敬親の存在がなければ、松陰はあの若さであれだけの功績を残すことはできなかったと思います」
注目すべきは、松陰の能力を引き出すために、敬親の個性や、敬親がどういう人物であるのかということはまったく関係ないということ。重要なのは、むしろ敬親が口出しせずに、松陰に任せたことだ。鍋山氏は、これを後に「屏風の理論」と名付けて、自身も部下の屏風となるべく大切にしているという。
そんな鍋山氏も、調査部課長に昇格した1999年当時のある出来事で、“屏風”のありがたさを実感したという。先輩の退職パーティーの運営を任されることになった鍋山氏に、ホテルの経営をしていたOB の1 人が、自分に相談せずに会場を決めるとは「けしからん」とクレームをつけたことがある。その時すかさず、もっと年配のOB が、
「お前は黙っておれ!
若い者に任せろ」と一喝したという。
「その方が屏風になってくださった。この一言に私はとても勇気づけられ、やる気も倍増しました。現場を任せてもらえることが、何よりも人材育成となる。これこそが組織における教育の理想形だと確信したのです」
鍋山氏はその後、2000年4 月にスタンフォード大学国際政策研究所の客員研究員となった。ここでの経験も、鍋山氏の教育に関する考察をさらに深化させることになった。
人と人が出会い新しい技術が生まれる
「スタンフォード大学では、マネジメントエンジニアリング(経営工学)について研究しました。日本企業は縦の統率は強いが、“横展開”がうまくない。これを解決するにはどうすべきかを学びたかった」