連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 がんばったことが 幸せにつながる組織を創る
新日鉄の情報システム部門を前身とする新日鉄ソリューションズは現在、製造業だけでなく流通・金融・公共といった、多様な分野のシステム構築、運用・保守を行っている。システムインテグレーターの仕事には、IT の知識だけでなく、さまざまな能力が必要であるが、最も重要なのは、土台となる“人間力”。中澤氏は、それを引き出すカギは信頼し合う文化の醸成だという。中澤氏は、人材育成を経営の最重要課題と考え、常に社員の努力が報われる仕組みを考え続けてきた人物。自身が考える人事部の立場と、人材育成に対する想いを伺った。
人事部の仕事は、社員の挑戦する勇気を育むこと
新日鉄ソリューションズの人事部部長、中澤二朗氏が心がけていることは、「ビッグピクチャー」だと言う。個々の領域を見て物事をとらえるのではなく、全体図を描く中で、現状の問題を理解し、解決の道筋を見出すということだ。そのために中澤氏は、一枚の紙に問題にかかわるありとあらゆることを書き込み、問題を整理していく。
「打算や、怨みつらみ、憤怒も含めて、気になることすべてを明らかにします。ひらめきは、事象のつながりによって引き出されるので、全体が俯瞰できなければ、生まれません」
とりわけ人事担当者は、自社内の問題に対して、こうした俯瞰する意識を持って仕事をしなければならないはずだと中澤氏は指摘する。人事制度や教育制度の背景となる経営環境は常に変化し、一時として同じではないからだ。しかし、制度と現状の間を埋めることは容易ではない。人事が、こうした作業を続けていくことの難しさを、中澤氏はしみじみ感じている。
人事の仕事は、会社の業績向上を実現するために、その会社で働く社員に働きやすい環境を用意するもの。ところが、未来は誰にもわからない。また、社員はその会社で40 年近い年月を過ごすので、制度はつくったそばから陳腐化するのは当然のことだと言える。
中期計画や事業戦略に合致させて人事や教育制度を構築したとしても、3年後の未来さえわからなければ、人事が社員に何を用意したらいいか、そう簡単にはわからない。それに、3 年後の未来に合わせた制度を、残り37年もの間、使い続けるというのも理屈に合わない。
「しかし、わからないからと答えを放棄するわけにはいかない。私はどんな未来がこようとも、どんな難題が生じようとも、社員自らが課題を解き、解決したいと思う勇気が持てるような支援をすることが、人事の仕事だと思います」
未熟な自分を自覚し身体と考える頭を鍛える
中澤氏がそのような考えを持つようになった最大のターニングポイントは1975年、入社後に配属された広畑製鐵所労働部の直属の上司のつぶやきにある。
「みんながんばっているよな。でも、本当に幸せにつながっているのかなぁ……」
実は中澤氏、学生時代は就職に消極的だったと話す。1970年代半ばは、日本社会の高度成長のひずみが社会問題化した時期。ロッキード事件や公害訴訟など、企業によって引き起こされた問題が連日報道されていた。学生時代の中澤氏は、企業は社会悪であるといったイメージさえ持っていた。それなのに新日鉄への就職を決めたのは、教授から「あそこに行ってみてはどうか」と声をかけられたから。
断るわけにいかないと思ったと笑うが、真相は、「日本が沈むのであれば、“産業の米”として日本を支える新日鉄という大きな組織の中から、その終焉を見届けよう」という気持ちがあったそうだ。一方で、「ミイラ取りがミイラになって、内から企業を変える礎になろう」という想いもあった。
その結果、“青臭い正義感を振り回す生意気な新入社員”だったはずだと中澤氏は当時を述懐する。「仕事は精一杯、取り組みました。ただし、残業はしませんでした」
いつも厳しい口調で命令されていたその上司に対しても、納得できないことには激しく言い返した。しかし、仕事振りも人間性も尊敬できる上司だったため、前述の彼の言葉は衝撃だった。