歴史に学ぶ 女性活躍 第2回 立場によってつくられた尼将軍 北条政子
本連載は、日本史上さまざまな分野で秀でた女性たちの活躍について、その背景や環境を作家の梓澤要氏が浮き彫りにするものである。今回は北条政子を取り上げる。嫉妬深く冷徹などといわれるが、長年にわたり積極的に政治に関わった。彼女をそうさせた理由や、成長させた5つの決断経験とは。
有能な主婦から尼将軍へ
承久(じょうきゅう)元年(1219)1月、雪が降りしきる夜、鶴岡八幡宮に詣でた鎌倉三代将軍源実朝(さねとも)に一人の若者が斬りかかり殺害。暗殺者は頼朝と政子の嫡男で二代将軍であった頼家(よりいえ)の遺児公暁(くぎょう)。実朝の甥で政子にとっては孫である。
このとき政子63歳、夫の死からちょうど20年、四人の子をすべて失い、一人とり残されたのである。だが悲嘆に暮れている暇はなかった。実朝には子がなかったから早急に次代将軍を決めねばならない。弟の北条義時(ほうじょうよしとき)や頼朝の代からのオブザーバー大江広元(おおえのひろもと)らに諮(はか)り、後鳥羽(ごとば)上皇の皇子を将軍に迎えたいと申し入れたが、さんざん焦らされたあげく拒否され、結局摂関家の左大臣九条道家(くじょうみちいえ)の子の三寅(みとら)(数え2歳)を迎えた。頼朝の妹の曽孫であり、頼朝と親しかった九条兼実(かねざね)の曽孫でもあるから縁は深いが、いかんせんまだものごころもつかない赤子である。政子はその子を養育しつつ、簾中(れんちゅう)(背後の御簾の中から指示すること)で政治を動かして尼将軍と呼ばれ、三寅が9歳で正式に四代将軍頼経(よりつね)となった後もその実効支配に変わりはなかった。
5つの決断
その人生には5つの大きな決断と転機があった。
① 別の男との婚礼の夜、恋を貫き、頼朝のもとに奔(はし)った。
② 放蕩の嫡男頼家を見切り、死に至らしめた。
③ 後妻に耽溺し正常な判断ができなくなった父北条時政を追放した。
④ 承久の乱に動揺する御家人たちを強く諌め、鎮めた。
⑤ 陰謀を計った弟義時の妻らを滅ぼし、甥を立てて混乱を防いだ。
いずれも悩み抜いてのことだが、わが子や身内の情愛に流されることなく冷静に判断し行動した。それが後世、「幕府を私物化した悍婦(かんぷ)」「夫を尻に敷く強妻」「嫉妬深い女」と悪評されることにもなったが、江戸時代の史書『大日本史』が「丈夫※(ますらお)の風(ふう)アリ」と評するゆえんである。
※勇気ある強い男の意。