人材教育最前線 プロフェッショナル編 経験や学びを自分ごとに変える 気づきの場の提供者でありたい
金融機関のオープン出納システムをはじめ、スーパーやコンビニで見掛けるつり銭機、飲食店などの券売機や、電子マネーの読み取り端末など、さまざまな通貨処理機の開発、製造、販売を手掛けるグローリー。
同社の人材開発部門で手腕を発揮する山本正昭氏は、入社後長年フィールドエンジニアを務め、現場での経験の数々が、今に生きているという。Off‐JTで大切にするのは「気づきの場の提供」だと語る、その真意とは。
人が好きな気持ちが行動に
「いやぁ、どうもどうも! 本日はお世話になります」
止まっていた会議室の空気が目を覚ます。登場した一瞬で、その場の雰囲気を明るく、居合わせた人たちを笑顔にしてしまった。
山本正昭氏は、通貨処理機メーカー、グローリーの総務本部人事部人材開発グループで、アシスタントマネージャーを務める。社員の教育施策を一任されており、例えば若手社員向けのキャリア研修などで、自身が講師を務めることも少なくない。
「若手には“キャリア”の重要性を説いておきながら、私の場合は、ただただ周りのニーズに応えることに必死になってきた感じなんですよ。だから偉そうなことは言えないとは思っているのですが…」
そう謙遜するが、これまでの軌跡を聞けば聞くほど、今のポジションが必然的であったことが分かる。
高校卒業と同時に入社。自社の製品を使用する顧客のもとに訪問し、保守点検を行うフィールドエンジニア部門に配属された。「高校生の頃、スーパーの精肉売り場のアルバイトで培った」という人懐っこさで、年上の顧客に可愛がられた。
「午前中は一通り銀行を回り、午後からはパチンコ店などのアミューズメント施設を回るなどということもしょっちゅう。煙草屋さんに行けば、自販機のメンテナンスがてら、おばあさんの話し相手になる、という日もありました」(山本氏、以下同)
金融機関をはじめ、あらゆるサービス業でシステム化や自動化が進んでいた時期である。バブル経済も重なり、会社の成長に人が追い付かない状況だった。
「“猫の手も借りたい”とはまさにこのことだ、と実感させられるような毎日でした。当時は体育会系の体質でしたから、『現場で揉まれ、気合いで乗り切れ』という感じでしたね。30 歳になると、ある出張所の所長を任されたのですが、部下が入居していたマンションが火事になったかと思えば、他の部下が個人的なトラブルで会社にいられなくなるなど、ビックリするようなハプニングも絶えませんでした」
山本氏はそのたびに、部下たちに寄り添った。何かあれば真っ先に現場に駆け付け、終電時間を忘れてトラブルの対応策を考えた。ある種、“攻め”のコミュニケーションである。「とにかく人が好き」という気持ちが、山本氏を動かしていた。
特命チームで出会った傾聴術
山本氏が奔走する様子を、見ている人物がいた。入社時から親しい関係だった先輩である。彼に「自分のチームに来ないか」と誘われた。そのチームが行っていたのは、フィールドエンジニアから業務上の不便な点や各自の工夫をヒアリングし、全体の業務改善につなげるという仕事である。全国各地の事業所に数日間滞在し、訪問メンテナンスにも同行する。
ところが、業務改善というのは表向きの目的だった。
「真の狙いは、従業員のメンタルヘルス対策でした。体育会系の風土を引きずり、仕事のオーバーフローを時間や気力で乗り切ろうとする風潮が残っていたので、メンタル不調に陥る社員もいたのです」