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人材教育最前線 プロフェッショナル編 情報を活かし未来を見据えた育成を 〝気づき〞を促す太陽のマネジメント
ICTを駆使しながら、ビジネスにおける「価値あるコミュニケーション」の創造につながる総合的なソリューションやサービスを提供する、富士ゼロックス。
早期から人材育成に力を入れてきた同社で、現在、教育部トップを務める丸山孝幸氏は、「人の縁やその時々の経験が自分を育ててくれた」と話す。
今、社内の風土改革に臨んでいる最中だという丸山氏。その経験に基づく改革とは、いったいどのようなものだろうか。
縁がもたらした人事への道
キャリアを形づくるうえで、1つのキーワードになるのは“連続性”である。今と過去の仕事に関連性がないということは稀で、通常は層を成すように今の仕事にたどり着く。そしてもう1つのキーワードは“人の縁”だ。キャリアのターニングポイントには、キーパーソンの存在がつきものである。今回話を聞いた教育部長の丸山孝幸氏のキャリアも、その例に漏れない。
1983年に入社後、最初の6年間は複写機の法人営業や営業計画を担当した。そのまま営業畑を歩むのかと思っていた丸山氏に、人事への道を拓いたのは、意外な人物だった。
「私が所属していたラグビー部の当時の監督が人事部の採用センターにいて、手伝ってほしいと声をかけられたのです」
当時の採用は完全な売り手市場であり、優秀な人材の争奪戦は熾烈だった。丸山氏は営業マンの経験を買われ、技術系人材の獲得に向けて大学に赴き、自社の強みを魅力的に紹介する役割を担った。面接を希望する学生のフォローも丸山氏の仕事である。
当時を振り返る中で、丸山氏には印象に残る出来事があった。それは、役員面接でのことだった。
「面接後、役員同士で採用の可否を決定する際に、ある学生について議論がありました。ほとんどの役員が“No”という中で、その時トップだった小林陽太郎さん(元取締役会長、元相談役最高顧問)が、事務局としてその場に立ち会っていた私に、『君は、どう思う?』と聞くのです」
小林氏は、1970年に「モーレツからビューティフルへ」というコピーで一躍話題となった、同社の企業広告を担当したことで知られる。社長時代の1988年には「ニューワークウエイ」を提唱し、介護・育児休職制度の整備やボランティア休職の導入、サテライトオフィスの開設など、個人を尊重する働き方を世に先んじて取り入れた人物だ。
「この場に至るまでに、セミナーや説明会などでその学生と私が何度か接していたこともあり、おそらく小林さんは私の率直な意見を聞きたかったのでしょう」
丸山氏は、その学生に魅力を感じていた。少し生意気かもしれないが、主体性とチャレンジ精神に富み、同社の精神と通じるものを感じたからだ。そのことを伝えると、「僕もそう思うんだよ」と小林氏も応じた。その学生は最終的に採用となった。
「彼は今も当社で活躍しており、会社にとってなくてはならない存在です。能力や資質より、最後に問われるのはその人の感性と組織風土との相性だと思います。ここがマッチしていないと、長く勤め続けることは難しい。今も就職活動で当社を訪れる学生たちには、マッチングの大切さを伝えています」
組織の在り方を知る秘書時代
その後、人事部で人事制度や評価制度の整備などを担当していた丸山氏に、再び“人の縁”を感じずにはいられない出来事が起こる。
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プロフィール
富士ゼロックス
教育部長(2016年5月取材時点。7月1日より人事部長)
丸山孝幸 (Takayuki Maruyama)氏
1983年富士ゼロックス入社。営業部で複写機のセールス、営業計画などを経験した後、1988年に人事部へ。その後、秘書室で小林陽太郎元取締役会長の秘書を5年間務める。人事部復帰後は、国内外の関連会社に出向し人事管理・人材育成を担う。2012年より現職。
富士ゼロックス
1962年、富士写真フイルムとイギリスランク・ゼロックス社との合弁会社として設立。
知的創造社会を支える存在として、さまざまな経営課題の解決に向け、ドキュメントやコミュニケーションに関わるソリューション、サービスの提供を手掛ける。
資本金:200 億円、連結売上高:1兆1834億円(2016年3月期)、連結従業員数:4万5397名(2016年3月期)
取材・文/田邉泰子 写真/編集部