J.H.倶楽部

無断転載ならびに複製を禁じます。なお内容は取材・掲載当時の情報です。

月刊 人材教育 2016年08月号

人材教育最前線 プロフェッショナル編 情報を活かし未来を見据えた育成を 〝気づき〞を促す太陽のマネジメント

ICTを駆使しながら、ビジネスにおける「価値あるコミュニケーション」の創造につながる総合的なソリューションやサービスを提供する、富士ゼロックス。
早期から人材育成に力を入れてきた同社で、現在、教育部トップを務める丸山孝幸氏は、「人の縁やその時々の経験が自分を育ててくれた」と話す。
今、社内の風土改革に臨んでいる最中だという丸山氏。その経験に基づく改革とは、いったいどのようなものだろうか。


富士ゼロックス
教育部長(2016年5月取材時点。7月1日より人事部長)
丸山孝幸 (Takayuki Maruyama)氏
1983年富士ゼロックス入社。営業部で複写機のセールス、営業計画などを経験した後、1988年に人事部へ。その後、秘書室で小林陽太郎元取締役会長の秘書を5年間務める。人事部復帰後は、国内外の関連会社に出向し人事管理・人材育成を担う。2012年より現職。

富士ゼロックス
1962年、富士写真フイルムとイギリスランク・ゼロックス社との合弁会社として設立。
知的創造社会を支える存在として、さまざまな経営課題の解決に向け、ドキュメントやコミュニケーションに関わるソリューション、サービスの提供を手掛ける。
資本金:200 億円、連結売上高:1兆1834億円(2016年3月期)、連結従業員数:4万5397名(2016年3月期)

取材・文/田邉泰子 写真/編集部

縁がもたらした人事への道

キャリアを形づくるうえで、1つのキーワードになるのは“連続性”である。今と過去の仕事に関連性がないということは稀で、通常は層を成すように今の仕事にたどり着く。そしてもう1つのキーワードは“人の縁”だ。キャリアのターニングポイントには、キーパーソンの存在がつきものである。今回話を聞いた教育部長の丸山孝幸氏のキャリアも、その例に漏れない。

1983年に入社後、最初の6年間は複写機の法人営業や営業計画を担当した。そのまま営業畑を歩むのかと思っていた丸山氏に、人事への道を拓いたのは、意外な人物だった。

「私が所属していたラグビー部の当時の監督が人事部の採用センターにいて、手伝ってほしいと声をかけられたのです」

当時の採用は完全な売り手市場であり、優秀な人材の争奪戦は熾烈だった。丸山氏は営業マンの経験を買われ、技術系人材の獲得に向けて大学に赴き、自社の強みを魅力的に紹介する役割を担った。面接を希望する学生のフォローも丸山氏の仕事である。

当時を振り返る中で、丸山氏には印象に残る出来事があった。それは、役員面接でのことだった。

「面接後、役員同士で採用の可否を決定する際に、ある学生について議論がありました。ほとんどの役員が“No”という中で、その時トップだった小林陽太郎さん(元取締役会長、元相談役最高顧問)が、事務局としてその場に立ち会っていた私に、『君は、どう思う?』と聞くのです」

小林氏は、1970年に「モーレツからビューティフルへ」というコピーで一躍話題となった、同社の企業広告を担当したことで知られる。社長時代の1988年には「ニューワークウエイ」を提唱し、介護・育児休職制度の整備やボランティア休職の導入、サテライトオフィスの開設など、個人を尊重する働き方を世に先んじて取り入れた人物だ。

「この場に至るまでに、セミナーや説明会などでその学生と私が何度か接していたこともあり、おそらく小林さんは私の率直な意見を聞きたかったのでしょう」

丸山氏は、その学生に魅力を感じていた。少し生意気かもしれないが、主体性とチャレンジ精神に富み、同社の精神と通じるものを感じたからだ。そのことを伝えると、「僕もそう思うんだよ」と小林氏も応じた。その学生は最終的に採用となった。

「彼は今も当社で活躍しており、会社にとってなくてはならない存在です。能力や資質より、最後に問われるのはその人の感性と組織風土との相性だと思います。ここがマッチしていないと、長く勤め続けることは難しい。今も就職活動で当社を訪れる学生たちには、マッチングの大切さを伝えています」

組織の在り方を知る秘書時代

その後、人事部で人事制度や評価制度の整備などを担当していた丸山氏に、再び“人の縁”を感じずにはいられない出来事が起こる。

それは、1991年のこと。ある時秘書室より「秘書をやってみないか」と声をかけられた。

「当時の秘書の方が、人事表彰で立ち回る私を見て、フットワークの軽さを買ってくれました。『この人なら』と思ったそうです」

小林氏の元で過ごす日々はとても刺激的だったという。

「何より感じたのは、『企業は人なり』ということ、そして組織風土を築く礎となるのは、やはりトップの存在だということでした」

同社は、1992年に「よい会社構想」を発表した。顧客や株主へ貢献する「強さ」、創造性を発揮できる職場で社員が成長を実感できる「おもしろさ」、環境への配慮や地域社会、国際社会への貢献も忘れない「やさしさ」の3要素がバランス良く兼ね備えられた状態が同社のめざす姿であるという。この考えは、今も経営の根幹に据えられている。

「トップが会社に対する思いや哲学を持ち、それを発信し続けることで社内の隅々にまで浸透し、社員が体現化して風土となっていく。小林さんにお供していた5年間は、それをじかに感じられる貴重な機会でした」

同時に丸山氏は、組織の風土や精神を培うには、それらに合う仕組みや制度を整えることが大切だと考えるようになった。

本社を出て分かったこと

1996年に丸山氏は人事部に戻り、その後、アメリカの事業所に3年間、自社商品の生産拠点となる鈴鹿の関連会社、さらに別の関連企業に出向。人事制度改革や人事労務業務の全般を担うなど、短いスパンでキャリアを重ねていく。本社の人事部に戻るのは、2007年のことだ。

これらの経験は、「環境の変化は経験値を高める」ということ、「今まで富士ゼロックスの単体しか見てこなかったが、関連会社には優秀な人材が多く存在する」ということへの気づきをもたらした。この気づきは、丸山氏が手掛けた仕事にも影響している。

1つは小林氏の秘書を務めた直後に担当した人事制度改革である。管理職を中心に経営目標達成のための役割を社員に設定し、役割に応じ処遇を決める「役割基軸」の人事制度の導入を進めた。同時に社内公募制度を設けることに尽力した。そこには、社員が主体的に働くことで社内のローテーションを活発にし、組織活性化につなげる狙いもあった。

「良い会社の条件である、『強さ』と『おもしろさ』を引き出すには、社員一人ひとりの能力を存分に発揮でき、変化に富んだ環境を整える必要があると感じました。もちろん、研究や開発職など、じっくりと腰を据えて取り組むべき職種もあります。しかし、部門内でも3年程度の周期で異動を行うと、仕事の横のつながりが見えてくるし、限られた期間で何ができるかを考えることで行動的にもなります。ですから、同じ経験を繰り返すことよりも成長機会が期待できます」

グループ共通の育成施策

そしてもう1つ、丸山氏の気づきから導入が進んだことがある。それは、従来、関連会社と販売会社内の各社で行っていた育成施策を、富士ゼロックスが主導して関連会社と販売会社全体で育成を行うことだ。

最初は、丸山氏が関連会社に出向していた時代に、富士ゼロックスの新人教育に自社の社員も参加できるようにしてほしいと提案したのが始まりだった。そして2009年、当時の山本忠人社長の指示の下、人事部から社員の育成施策を行うセクションを独立させた「教育部」が設立される。その立ち上げに、丸山氏も加わった。新人教育を皮切りに、各階層教育を関連会社及び販売会社全体で行うようになり、2011年には従来富士ゼロックスの社員のみとしていた海外研修制度の応募対象者の範囲を、関連会社及び販売会社の社員にまで広げた。

「全社でグループの目標を理解していても、それぞれが別のアプローチをしていては、達成は困難です。本社と関連会社が力を合わせることで、初めてお客様の期待に応えることができます。それには会社の方針をグループ各社も同じレベルで共有し、かつ教育の核となる部分はグループ全体で一貫して体系的に行い、人材育成のバラツキをなくすという考えから、教育部が生まれたと理解しています」

組織を変える研修設計を

現在、教育部長として4年目となる丸山氏。2016年からは人事部と共同で、グループ共通の人事評価制度と、人事システムを導入し、全体でタレントマネジメント※を行える仕組みを構築した。

こちらはJ.H.倶楽部会員限定記事です。
ご入会後、続きをお読みいただけます。

残り:2,417文字

/

全文:4,834文字

【入会・年会費無料】

J.H.倶楽部は人事の仕事に役立つ特典が満載です!

  1. 総数2000本以上の人事の実務に役立つ記事(※)が閲覧可能
    ※専門誌『Learning Design』(旧『人材教育』)の記事
  2. 新サービス・お役立ち情報(調査報告書・ホワイトペーパーなど)の先行案内
  3. 会員限定セミナーへのご招待/講演動画・配布資料の閲覧
  4. 興味関心に沿った必読記事を、メールマガジンでお知らせ!