人材教育最前線 プロフェッショナル編 自身の適性を知り、強みを持つ市場で認められるプロ人材づくり
入社から10年間、営業一筋で歩む中、あるきっかけにより突如、人事に抜擢され、その後、キッコーマンの人事制度に次々と革新を起こしてきた執行役員 人事部長の松﨑毅氏。売り上げや利益に直結していなくても、人事部は社員の能力や可能性を伸ばし、企業の成長に貢献するひとつのプロフィットセンターだと考える。「社外に出ても通用する、市場で価値が認められる人材を育てたい。いくつになっても成長できる人材を育てたい」――。そこには人事としての夢と誇りがある。
営業から人事へ
人事部長の松﨑毅氏がキッコーマンに入社したのは1981年。当時、いち早くグローバル展開していたことや、人を大切にする社風に魅力を感じ、入社を決めた。
最初の配属は大阪支店。希望していた営業職に就いた。3年間を大阪で過ごした後、京都支店で7年間、営業に携わった。
「充実した10 年間だった」と松﨑氏は振り返る。しかし、京都支店勤務5年目を過ぎたあたりから、なかなか異動辞令がおりないことに疑問を感じていた。当時、ローテーション制度はなかったが、人事異動は行われていたため、「自分は“リスト”から漏れているのでは……」と不安になったという。
「同じ環境、同じ仕事が長く続けば、人間はモチベーションを維持しづらくなると思っていました。そんな時、人事部長や課長が全国を回って社員と面接し、意向を聞く人事巡回が行われました。京都巡回の折、自分の異動はまだなのか、会社はきちんと人を動かしているのか、と話し、さらに、年1回提出する自己申告書にも、“私が人事に行ってローテーション制度をつくる”などと偉そうに書きました(笑)。と言いつつ、内心では、“別の場所で次も営業を”と思っていたのです。“7年も京都にいたのだから、そろそろ別の場所に移してやろう、と考えてくれるのでは?”。そんなイメージでした。
ところが、当時の人事課長が、“地方に人事を希望している社員がいる。新しい人事制度の構築をやらせたら面白いんじゃないか”と、本当に人事に異動になってしまった。実際に行くとは全く思っていなかったので、自分自身が一番驚きました」
キャリア制度を立ち上げる
最初の1年半、人事課で採用担当を務めると、翌1992年秋、キャリア制度をつくるために、同課の人事企画に移った。そこで立ち上げたのが、複数の職務経験で能力を開発するCDP(Career Development Program)制度である。
当初、“キャリアとは、会社が世話をするものなのか。自分で考え、自分で実現するべきもので、しかも思い描いた通りになるかもわからないのに、会社がわざわざ研修や面接をやる必要があるのか”などといった意見もあった。しかし、松﨑氏は、ルーチンワークが忙しい中でも、あえて考える場をつくり、「こういうことをやりたい」「こうなりたい」と、人事部や上司に対し、自ら発言する場が必要だと考えた。そうすれば、社員も自分に足りないもの、やるべきことを考え、取り組み始めるに違いない。制度化によって、社員たちにとってプラスになるのはもちろん、会社にとってもよい結果につながるはずだと信じていた。