J.H.倶楽部

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Learning Design 2020年09月刊

連載 私らしく生きる 第13回 リスナーの〝今〟に思いを寄せて 嘘偽りのない態度で誠実に向き合う

ラジオDJとして、自身が選りすぐった古今東西の音楽の魅力をリスナーへと届けてくれるピーター・バラカンさん。
22歳でイギリスから日本へ、会社員時代を経てDJへ。様々な経験の中でバラカンさんが考えた仕事や人生への向き合い方とは。
また、コロナの時代に音楽ができることについて話を聞いた。

ピーター・バラカン氏
ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。
その後、フリーのラジオDJやブロードキャスターとしての活動を開始。
現在は、『Barakan Beat』(InterFM897)や『ウィークエンドサンシャイン』(NHK-FM)等でパーソナリティを担当。
著書に『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)など。

[取材・文]=平林謙治 [写真]=中山博敬

リスナーの“今”に思いを寄せて

――ステイホームの状況下で、ピーター・バラカンさんのラジオ番組が貴重な癒しになっているという人も多いと思います。最近のリスナーの反応はいかがですか。

バラカン氏(以下、敬称略)

僕の番組のリスナーは音楽好き、それもかなり好きな人が多いから、みんなやっぱりライブやコンサートへ行きたいんですよ。生の音楽を味わいたくてしようがない。僕だってそうですから。今の状況に対する不安や不満を番組宛のメールに書いてくる人も少なくありません。それに応えるような感じで、僕も選曲しているんです。

――バラカンさんの母国イギリスを含め、海外でもあいかわらず大変な状況が続いています。

バラカン

アメリカの状況は特に厳しいと思います。その点、日本人はロックダウンを強制されなくても、言われたことに従いますからね。国民性というか……。ただ、マスクをしない人にキレたり、過剰反応が出やすいのは心配です。鴻上尚史さん(劇作家が、日本人は「世間と社会の違い」を認識していないと番組でおっしゃって、なるほどと思いました。確かに世間体は気にするけど、社会的なやり取りは得意じゃない。公の場でキレずに「マスクをしてもらえませんか」と、冷静にコミュニケーションできるといいですね。

秘かな夢を抱いて日本企業に就職

――幼いころからラジオと音楽に夢中だったというバラカンさん。好きなことを仕事にしようと決意したきっかけを教えてください。

バラカン

割と子どもっぽい性格で、人生設計とかちゃんと考えたことがないんですよ。大学のころ、何気なく目を通した老子にまつわる本に「無為自然――人生は川の流れのようだ」という言葉があって、すごくしっくりきました。あれこれ先のことを考えても、そのとおりにいかない。だったら、したいことをできるうちにしようと。考えるのが面倒だっただけかもしれませんが、とにかく音楽が大好きだったので、とりあえず食べていくために、まずレコード店で働き始めたんです。

――自分で音楽をつくったり、演奏したりする道は目指さなかった?

バラカン

高校でバンドをやっていましたが、ミュージシャンとして成功できるほどの才能がないことはわかっていたので、その道よりも、優れた音楽を自分で見つけて、人に紹介するようなことがしたいなと。そう、DJ ですね。最初は夢のまた夢でしたが、1972年にBBC(英国放送協会)でチャーリー・ギレットというDJの番組を聴いてから強く意識するようになりました。実際、レコード店での将来に不安も感じていたので、ダメもとでラジオ番組のデモテープをつくって、BBC に持ち込んだりもしたんですよ。あれは、日本へ行く直前だったかな。実は時を同じくして、東京の音楽出版社への転職話が決まろうとしていたんです。

――DJ になる夢はいったんお預けですか。まさに「人生は川の流れのよう」ですね。

バラカン

音楽業界誌にその会社の国際部の求人が出ていたのを、たまたまレコード店の同僚が見つけて、教えてくれたんです。「おい、君を呼んでるよ」って。運命としか言いようがないですね。僕は語学にもともと興味があり、大学では日本語を専攻していましたが、それも“たまたま”ですから。

洋楽の著作権管理などを担当する社員として運良く採用され、スーツケース1つで未知の国へ渡ったのが22歳のとき。見送りに来た父が、空港で傘を持たせてくれたのをよく覚えています。ロンドンでは小雨が当たり前なので誰も傘を持たないし、僕も持ったことはなかったのですが、羽田に着くなり、その人生初の傘が早速役に立つとは……。バケツをひっくり返したような、見たこともない大雨でね。前途を暗示していたのかもしれません(笑)。

ズルくなんかなりたくなかった

――1970年代半ばというと、日本独特のカイシャ文化の圧力が今よりずっと強かった時代です。とまどうことも多かったのでは。

バラカン

音楽業界は割とカジュアルな雰囲気でしたが、それでも、日本未経験の若い外国人にとっては、何かとストレスを感じる場面が多かったのも事実です。たとえば上司の言うことは絶対で、違うと思っても指摘しちゃいけないとか、言われたとおりにしなきゃいけないとか……。

入社2年目だったかな、アメリカで開かれた業界のコンベンションに、社長に同行して参加したのですが、場所がラスベガスのホテルだから、もううるさくて、けばけばしくて。僕には到底耐えられない。2日目で帰らせてほしいとお願いしました。すると、社長が僕をホテルの屋上へ連れ出して、街を見渡しながらこう言うんですよ。「大丈夫だ。お前もそのうち図太く、ズルくなるから」……。ズルくなんかなりたくない、なるもんかと強く心に刻んだ出来事でした。

――会社に在籍しながら、ラジオやテレビに出演するようになったころはどうだったのですか。

バラカン

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