J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2010年11月号

巻頭インタビュー 私の人材教育論 自社の歴史を尊びノウハウや技術とともに文化や理念を継承する

1957年に自動車タイヤ用合成ゴムを造る半官半民の国策会社として誕生したJSR。歴代の経営者たちは、合成ゴムだけでは事業が先細りになることを案じ、電子材料などの新規分野への多角化を志向した。今、その多角化は実を結び、それぞれが中核的事業に育ち、同社の継続的な成長を支えている。2009年から社長となった小柴満信氏は、そんな堅実な同社でも、近年大切なものを薄れさせてきていると感じている。そしてそれを取り戻すのには、「歴史」――先人の知恵がカギとなるとも語る。その本意と、これからの人づくりへの決意を聞いた。

JSR 代表取締役社長
小柴 満信(Mitsunobu Koshiba)氏
生年月日 1955年11月9日
出身校 千葉大学工学部印刷工学科
卒業 千葉大学大学院工学研究科(印刷工学)修士課程修了、米国 州立ウィスコンシン大学大学院材料科学科 1980~81年に在籍
主な経歴
1981年10月 日本合成ゴム(現:JSR)入社
1981年10月 研究開発本部東京研究所
1988年10月 研究開発本部開発センター第四開発グループ
1990年3月 電子材料事業部
1990年8月 UCB-JSR ELECTRONICS,INC.(現:JSR Micro,Inc.)出向
2002年6月 JSR 理事 電子材料事業部電子材料第一部長
2003年6月 理事 電子材料事業部長兼電子材料部長
2004年6月 取締役 電子材料事業部長
2005年6月 上席執行役員 電子材料事業部長兼ファイン系事業担当補佐
2006年6月 常務取締役 電子材料事業部長
2007年6月 常務取締役
2008年6月 専務取締役
2009年4月 取締役社長
現在に至る

JSR
1957年、合成ゴムの国産化をめざし、国策会社として設立(旧社名:日本合成ゴム株式会社、1997年に社名変更)。以来、合成ゴムや合成樹脂などの石油化学系事業において確固たる地位を築く。その後、石油化学系事業で培ってきた高分子技術を応用し、ディスプレイ、電子、光学材料などの分野へも展開。高いシェアを確保している。
資本金:233億2016万円、売上高:3101億8300万円(連結)、従業員数:5212名(連結、2010年3月現在)
インタビュアー/宮本 惇夫、写真/真嶋 和隆

突然の大役にもワクワクした

―― 小柴社長は1980年3月に千葉大学大学院の修士課程を修了されてから、米国の大学に留学されています。どのようなお考えからでしょうか。

小柴

ちょうど第二次オイルショックの時で、就職するのに良い時期ではありませんでした。そこで、ロータリークラブの奨学生の試験を受けて、ウィスコンシン大学大学院の材料科学科へ入り直しました。千葉大で印刷工学を学びましたが、材料分野の基礎的な勉強を、再度大学院でしっかりとやってみたいと思ったのです。

―― その後、縁があってJSR(当時は日本合成ゴム)に入社されます。

小柴

入社後は東京の研究所に配属されて、電子材料の研究などをやっていました。当時、当社は合成ゴム中心の会社でしたから、合成ゴム以外の研究者は、肩身の狭い存在でしたよ。

9年間、研究所で過ごした後、1990年8月に突然、「米国にジョイントベンチャーをつくる。お前行って会社をつくってこい」と命を受けました。今もシリコンバレーにある「JSR Micro, Inc.」の前身会社の立ち上げのためです。

―― 「JSR Micro, Inc.」といえば、半導体製造の際の材料となる「フォトレジスト」をつくるという、御社の多角化を象徴する事業で、近年の御社成長の原動力になったとお聞きしました。小柴社長はこの事業の最初から関わられ、今日の地位を築き上げた功労者なのですね。

小柴

当時、私は一介の研究員で、管理職でもありませんでしたから、そんな人間によく会社は出向命令を出したと思います。最初はJSRから私1人と、合弁相手からの米国人の2人で会社の立ち上げから始めました。当初、ベルギーのUCBとの合弁で、「UCB‐JSR ELECTRONICS,INC.」としてスタートしたのですが、3年目にUCB 側の株式を買い取り、当社単独出資の会社「JSRMicro, Inc.」になりました。

―― 出向の命を受けた際はどのような気持ちで受けとめましたか。またどのような意識で仕事に取り組みましたか。

小柴

34歳と若かったし、留学経験もあったので、正直海外へ飛び出して何か事業をしたいという気持ちはありました。ですから、カリフォルニアへ行った時には、これで自由に自分の力を試せる仕事ができる、とワクワク感でいっぱいでしたね。加えて、負けず嫌いの性格だったものですから、米国だろうと関係なく、業界でナンバーワンになり、次に世界でナンバーワンになってやる――そんな高ぶった気持ちを持っていました。

ピンチをチャンスと捉え不利に見えても挑戦する

―― 黒字化の目標、売上高の目標など、数値目標はおありだったのでしょうか。

小柴

もちろんありました。ですが数字は結果であり、結果よりもプロセスを評価されたように思います。重要なのはその時、何をするか。私はまず一流企業に商品を売り込むことが最善だろうと思い、当時、一流半導体メーカーと評判の高かったモトローラ、TI(テキサスインスツルメンツ)に目を向け、アタックしたわけです。幸い両者とも当社製品を採用してくれた。米国にやってきてわずか2年目の日本の会社が、モトローラやTIのような一流企業に商品を採用されたことで、市場で1つの評価を得たことは確かでしたね。1992年頃のことです。

―― 進出まもなく、なぜそのような一流企業に商品が採用されたのでしょうか。

小柴

第一に、商品の質があると思います。ただ当時、日米の半導体摩擦が激しかった頃で、日本の半導体は激しく敵視されていました。中でもモトローラはバイアメリカン(Buy American)の急先鋒会社でした。だからこそ我々も狙った。彼らにしてみれば日本のメーカーは、敬遠したい、しかし技術は気になるという存在だったと思います。しかし、米国人の営業担当者を3~4人雇いアタックをかけたところ、米国メーカーの補完的な量でしたが、我々の商品を採用してくれました。当時、日本企業でバイアメリカン主義に臆せず強烈な売込みをかけたのは当社ぐらいだったはずです。それゆえ参入できたと思っています。しかも、最初は20%ほどの納入シェアだったものが、ある日を境に100%シェアに逆転します。

―― 何があったのですか。

小柴

ある日、弊社のライバルだった米国メーカーがモトローラに納入した商品に大トラブルが生じ、モトローラから急な納入依頼が来ました。急いで同種の商品を持参し、トラブルを解決。この出来事がきっかけとなって、その後、モトローラ社からの半導体製造用材料フォトレジストの受注を、すべて引き受けることになったのです。

―― 「ピンチはチャンス」とよくいいますが、まさにチャンスを捉えて、うまく活かしたのですね。

小柴

当時、米国の景気は、今とは比べものにならないくらい悪かったし、その中で日本に対する敵対心もまた凄まじいものがあった。そういった厳しい時代に我々は米国市場へ入っていったわけですが、ビジネス環境の悪い時ほどチャンスということですね。リーマンショック以降の昨今もそうです。ドーンと景気が落ち込んでいる今こそ果敢に挑戦すれば、ビジネスチャンスはあるのではないでしょうか。

企業が失ってはならないマインドを過去から学ぶ

―― 研究員だった34歳の小柴さんを米国に派遣し、自由に仕事ができるように任せられた。結果的にトップのその采配が、小柴さんの今の基盤をつくったといえると思います。御社にはそのように、若い人に自由に仕事をさせる雰囲気がおありなのではないでしょうか。

小柴

経営陣に限らず、任せる風土はあると思います。私の時はさらに好景気が後押ししてくれていたでしょう。実は、トップから受けたミッションは「3年で黒字化せよ」だったのですが、結局4年かかった。でも何もいわれなかった。当時、日本はバブルの絶頂期で、本社に余裕もありましたし、第一にトップの理解がありましたね。

たとえば、進出して3年目だったか、ベルギーのUCBとの間に合弁解消の問題が持ち上がった時のこと。その時、私はまだ黒字化の約束を果たしていなかったのですが、「来年には必ず黒字化しますので、UCBの持ち株を買ってください」と当時の朝倉龍夫社長に直訴し、買っていただいた経緯があります。あの時、合弁を解消していなかったら、絶対に今のような成功はなかったでしょう。朝倉元社長だけではなく、経営陣は当時から、若い世代の声を真剣に聞いてくれました。

当社は1957年に、半官半民の会社「日本合成ゴム」としてスタートしているわけですが、昔はどうしても、いわゆる官庁的な体質が抜けず、人事制度なども減点主義だったと聞きますが、近年は大きく変わってきています。

―― チャレンジ精神を鼓舞するような風土ができているのですね。

小柴

前社長時代の2007年、当社が50周年を迎えたこともあり、企業理念などとともに社員の行動基準を整理しました。その1つに通称「3C」といわれるものがあります。

「チャレンジ、コミュニケーション、コラボレーションを重んじ、高い倫理観をもつ組織人」というのがそれです。この3つの行動基準それぞれが人事評価システムと結びつき、目標達成度によって評価される仕組みになっています。高いチャレンジ目標を設定し、達成した場合は高い評価を与えられる風土があるのと同時に、仕組みも用意しているのです。

―― 社長になられて、今後人材育成や企業風土の醸成などについて、心がけたいと思われることは何でしょうか。

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