「感じる力」を磨くトレーニング② 内観 ありのままを見、とらわれから解放され、 自分の幸せを感じる

内観は、自己探求の一種の訓練法である。編み出したのは、実業家でもあった吉本伊信氏(1916 ~1988) 。精神医学・心身医学・心理学・矯正教育・産業および学校教育等の分野でも取り入れられ、企業研修への導入も数多い。身近な人とのかかわりから、自らの姿を振り返る一一一この内観法が、われわれの感じる力をどう高めるのか、亡き吉本氏に直接教えを受けた石井光教授にその根本を聞いた。
感情から離れ、ありのままの事実を見る
普段、私たちは感愉中心でものごとを見ている。その出来事が自分にとって快か不快か、自分の仙仙[糾、先人観、世界観… …そういった色眼鏡で判断しているのだ‥
遠足や大切なイベントの日に雨が降れば雨を憎むが、1ヶ月降らないと農作物の収穫が心配になって雨乞いする、自分に親切な人は「いい人」だが、その人が自分を差し置いて他人に親切にすれば「嫌な奴」に変わる。母親がつくるご飯には、「まずい」 だの「うまい」だの勝手なことを言い、自分の思い通りにならないと腹を立てる。腹を立てる理由は、「母親=ご飯をつくる人」と決めてかかっているからだ。
内観法は、感情から離れてありのままの事実を見ようとする自己洞察の方法である。自分の都合や価値観でものを見るのは「外観」と言ってもいいだろう。相手の立場に立ってものを見て、自分の言動を振り返ることを内観という。
内観では、3 つの考察を自分匚課す。過去から現在までを振り返り、自分が「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」を調べていく
例えば、まず、自分は母から何をしてもらったのか、自分は母に何をしてあげたのか、自分は母にどんな迷惑をかけたのか――この3つについて自分のことを調べていく。小学校人学前、小学校低学年、小学校鳥学年、中学時代、高校時代、以後3~ 5年間隔で、け=親が存命なら現在まで、亡くなっているなら亡くなった時まで調べる。それが終わったら「父親に対して」「兄弟に対して」「恋人や配偶者に対して」「上司や先輩に対して」「同僚や友人に対して」などと対象を変えて、自分を調べていく。
「してもらえなかったこと」ではなく「してあげたこと」を考察する
「してあげたごと」を考察するのは案外難しい。私たちは「本当はして欲しかったのに、天からしてもらえなかったこと」や「人から迷惑をかけられたこと」にこだわっている。