新春特別インタビュー 次の日本のための懐かしくて新しいデザイン
公共デザイナーとして多くのファンに注目される水戸岡鋭治氏。自身がデザインを手がけた「ななつ星in九州」の別称は“日本版オリエント急行”。重厚感溢れるワインレッドの外装や、木材をふんだんに使った贅沢な内装が話題になった。「次の世代のためにデザインをする」という水戸岡氏に、これからの日本と、必要な人材について聞いた。
自分のフィールドは自分でつくる
──40代で、インダストリアルデザインを手掛けられるようになり、以来、鉄道など公共デザインの世界でキャリアを築いてこられました。
水戸岡
高校を卒業後、大阪とミラノのデザイン事務所で働きました。25歳の時、知人を頼って上京、ドーンデザイン研究所を設立しています。当初はイラストレーターとして、百科事典のイラストや建築物の完成図を描いていました。その僕が鉄道や公共施設のデザインを手掛けるようになった。そういうと、キャリアのうえでは大きな飛躍を遂げたように思われがちですが、意図してそうなったわけではありません。食べていくためには何でもやろうと思っていたので、依頼された仕事は選り好みせず、全力で取り組みました。好きなテーマ、得意なジャンルの依頼がくれば理想的でしょうが、そうもいかなかった。とにかく、いただいた仕事を整理整頓し、きちんとこなしていくことに全力を注いできました。
──インダストリアルデザインをするようになったきっかけは。
水戸岡
1988年に、「ホテル海の中道(現ザ・ルイガンズ)」のアートディレクションを手掛けて以来です。最初に取り組んだ鉄道デザインは、1988年に登場した九州旅客鉄道(以下、JR九州)の「アクアエクスプレス」でした。1992年の787系特急「つばめ」も、2013年10月に開業したクルーズトレイン「ななつ星in九州」のデザインも、その延長線上にありました。ホテル海の中道とのご縁は、ポスターのイラストを引き受けたのがきっかけでした。打ち合わせでお会いした方に、「ホテルのデザインをしてみたい」と話したら、「じゃあ、AD(アートディレクター)をやってみて」という話になったのです。
──ホテル全体のADといえば相当な大役です。
水戸岡
実は、私が「インテリアはこうしたらいい」「パンフレットはああしたらいい」などと、あれこれ意見を並べ立てたのです。そこまでいうなら自分でやってみなさい、と任せてくださった。JR九州の石井幸孝社長(当時)にはホテルのオープニングパーティの時、お会いしました。それがご縁で「つばめ」をデザインさせていただくことになったのです。ホテル側のプロデューサーが「面白い列車になるといいね。水戸岡さんから提案してみてよ」と背中を押してくださったのがことの始まりでした。
──いろいろなご縁がつながって、今の水戸岡さんがあるのですね。
水戸岡
仕事というものは、全て相手ありきです。「水戸岡さんの仕事はいいね、さすがだね」と言ってくださるファンが増えていかなければ、未来はありません。上京して会社をつくった時は、不安ももちろんありましたが、未来の保証や確実なキャリアなどというものは存在しません。自分のフィールドは自分でつくっていくしかないのです。その姿勢で生み出した成果が、新しい仕事につながっていったのでしょう。