連載強きを活かし、弱きを助く成果主義 決めては知恵を使った運用にあり 【第6回】最終回 成果主義のこれからを考える
本連載ではこれまで成果主義を機能させるためにはどのような条件が必要か、また制度設計にもまして運用やマネジメントが重要であることを論じてきた。成果主義に対するネガティブな考え方はまだあるが、制度を悪者にして済む問題ではなく、定義の捉え方や運用の仕方の良し悪しに尽きる。改めて、「強きを活かし弱きを助く」ことの真意を伝えていく。
成果主義の目的を再考する
連載の第1回で議論した成果主義の定義を再確認すると、成果主義とは「でき上がった結果の出来栄え(成果)を、常に重要視する方針(主義)」である。組織活動において「できよかっだ結果の出来栄え(成果)」を重要視し、評価や判断の基準にするのは当然のことであるし、この定義を見て異論を唱える人はあまりいないのではないだろうか。
しかし、実際には「成果主義」のあり方やその良し悪しがいろいろな形で議論されているということは、成果主義の捉え方が一致していないからにはかならない。では、何か一致していないのだろうか。
これは社員が各人の立場で「でき上がった結果の出来栄え=成果」の捉え方が異なるからである。もちろん、出来栄え成果でなく過程の努力も評価すべきという意見もあるだろう。例えば、営業からすれば売り上げ結果が常に「成果」であり、その「成果」を測定することは容易である。しかし、売るモノをつくる部署では他部署と業務フローが連鎖しており単体で評価することが難しい。
例えば、設計は設計が仕上がることが「成果」であるはずだが、生産技術から言わせれば「量産に乗らないような設計を上げておいて何か成果だ」となる。営業から言わせれば「売れないモノをつくっておいて、“成果”とは設計も製造もふざけるんじゃない」となるかもしれない。また、開発部門は最終形にならなくても途中結果やプロセスが「成果」と評価されることもあるし、人事などのスタッフ部門は数字に表れにくい施策や日常業務プロセスの結果を「成果」と評される。
それを見た営業は「開発や人事は言われたことをやっていればいいんだから楽だよな]と言い、逆に開発は「われわれの成果のおかげで結果の出ている営業は頭も使わないで売っていればいいんだから楽だよな」と返す。
職務が異なれば求められる成果の定義も異なるのは当然であるが、上記議論では肝心な視点が抜け落ちてはいないか。本来、同一企業内ではどの職務でも本質的に目指しているゴールは同じはずである。会社のために、あるいは会社の定義する成果に合致しているかという「組織の視点」が抜けて成果を語ることに意味はない。社員全員が企業の目指している方向を理解し、統一目的に向かっていることを意識したうえで、個々の職務を議論し行動することにより、初めて結果は本来の「組織が求める成果」としての意味を持つことになる。
成果主義の目的という点で、実は、さらにもう1つ重要な視点が必要である。それは、過去と将来という「時間軸の視点」である。成果評価とは過去の評価であり、上記議論は、いかに過去の実績を公平に評価し公平な処遇を与えるか(過去のアウトプットに対する清算)という議論である。
しかし、真の成果主義の目的は人材開発であり、将来の生産性向上にほかならない。過去の成果評価と処遇を公平にすることにより、短期的モチベーションを確保することはできるものの、決して将来への長期的なモチべーションやコミットメントを高められるものではない。
企業・組織の将来像を描き、その実現のために必要な能力を定義し、本人の能力向上と将来のキャリアというストーリーを描けることにより、初めて将来へのモチベーションが醸成される(シリーズ第3回参照)。これをなくして、過去の評価だけでは成果主義が完成しないことを忘れてはならない。
成果主義は日本になじまないのか
一昨年あたりから「日本企業に成果主義はなじまない」あるいは「成果主義は生産性を低下させる」等の成果主義廃止論が目に付いた。最近も、セミナー等で「成果主義ってどうなんですかね。本当に日本企業にとって良いんでしょうか」というような質問を受けることが多い。
先に述べたように成果主義の定義から考えると成果主義が間違っているという考え方は出てこない。これは、成果主義が良い悪いの問題ではなく、成果主義の定義や期待と運用の問題と捉えるべきであろう。