連載 「偶然」からキャリアをつくる ~“意図的”にキャリアをつくってこなかった人たち~ 第9 回 「やらないで後悔するくらいなら、やって後悔したい」
自分の天職は何なのか──。これはだれもが一度は、あるいは何度も思い巡らせる問いだろう。やりたいことが具体的に見えない場合は特に「自分に与えられたミッションは何か」を模索したくなるものだ。そして、そのミッションは、ある日急に気がつく場合もあれば、何年もかけてようやくたどり着く場合もある。コーチとして活躍する伊藤氏の場合は、後者のケース。「37 歳になってようやく自分のやりたいことを見つけられた」という彼のキャリアを見ることで、彼が「天職」にどう近づいていったかを考えてみたい。
子供時代
小学校の卒業文集に書いた伊藤氏の「将来の夢」は、「世界中を飛び回り、オーストラリアかカナダで牧場を経営しているビジネスマンになること」。これは、「世界中で活躍し、家に帰ると雄大な自然のなかで、家族が暖かく迎えてくれる生活」を小学生なりにイメージしたものだというO 海外への憧れは、幼いころから強かっか。海外勤務や海外生活をしたことがある人が身近にいた訳ではないが、とにかく「自分は外国に行くことが決まっていると感じていた」(伊藤氏)。
「海外への憧れ」を強く持っている息子のために両親は伊藤氏が小学校5年生の時、子供たちだけで行く海外ツアーに申し込んでくれた。それは、小学生から高校生までの幅広い年齢層が集まって、カナダで数週間キャンプをし、現地の子供たちと交流するというもの。英語が話せかなったにもかかわらず、「とても楽しかったという印象が強く残っている」と伊藤氏は語る。そうした体験がさらに「外国へ行く」という思いを強くした。
ここで興味深いのは、そこに明確な理由がないことである。「自分でも何かきっかけなのかわからないが、とにかく外国に行きたいと思っていた」(伊藤氏)。そして、「それには理由がないこともわかっていた」と言う。このような思いが、後の彼のキャリア形成に大きな影響を与えることとなる。
学生時代~大学卒業まで~
「外国に行きたい」という希望とともに、伊藤氏にはもう1つ、「サラリーマンには絶対なりたくない」という強い思いがあった。そして、これも「どうしてなのか自分でもよくわからない」(伊藤氏)。この「理由はよくわからないがそう思っていた」というのは、キャリアにおける伊藤氏のキーワートになっている。言葉や理論で説明できないけれど強く思っている何かがあり、それを大切にすること。「キャリアに関する第六感」とも言うべきこの感覚は、自分にとって納得のいくキヤリアを送るために
もっと重視されるべきことなのかも知れない。
高校1年生の時には、イギリスに1ヵ月間短期留学し、ホームステイをしながら語学学校に通った。その学校は世界中から多くの人たちが英語を学びに来るところで、伊藤氏はいろいろな国の人だちと知り合いになる。なかでも、スペインやイタリアなどのラテン系の人たちとウマが合い、彼らと行動をともにすることが多かった。言葉はわがらなかったが、感情表現が豊かで、人生を楽しんでいることに、通じ合えるものを感じた。
「よほどのことがない限り」(伊藤氏)そのまま大学へと進学できる高校に通っていた伊藤氏は、自由でのびのびとした高校生活を送る。また、このころ始めたテニスにも打ち込んでいたが、大学生になったあたりから、再び「留学したい」、「外国に行きたい」という気持ちが強くなる。しかし、何のために留学するのか、自分は本当に何をやりたいのかを考えてみても、答えは出ない。「海外」への憧れはあるものの、「これ」というものを見つけられないでいた。
そんな時、伊藤氏は大学2 年生から3年生になる際の試験で、必修の語学の単位を落とし、留年してしまう。伊藤氏にとって、この留年は非常にショツキングな出来事だった。
落ち込んでいたある日、グリスチャンの友人から聖書の言葉を教わる。
「すべてのことにぱ時” がある」。これは、一見無駄に思える出来事も天がくれたプロセスであるという意味。この言葉を自分自身の状況に置き換えてみると、1年の留年にも意味があるのではないかと思い始めた。さらに。後悔する1年になるか、意味のある1年になるかは自分次第だとも思えてきた。そして、「そう感じたことで、すごく前向きになった」(イ尹藤氏)。
これが自分の人生におけるターニングポイントになるかもしれないと感じた伊藤氏は、ある行動を取る。それまで、ずっと「留学したい」と思い、その目的や目指すものを見つけようともがいていたが、あれこれ考えていても仕方がないので、実際に日本を出てみることにしたのだ。3ヵ月をかけて、アメリカとカナダの大学を見て回り、時には講義を受けさせてもらったりした。そこで気づいたのは、当たり前のことであるが、学生は皆、勉強するために大学に来ているということ。キャンパスライフを楽しんではいるか、彼らの目的はあくまでも勉強することにあると知り、日本との違いに愕然となった。それが刺激となり、日本に戻ってからは大学の授業にきちんと出席し、熱心に勉強するようになった。「月曜日の朝から金曜日の夜まで講義を取った」(伊藤氏)。
大学に真面目に通う一方で、「外国に行きたい」、「人と違うことをしたい」という思いは相変わらずあった。しかし、「それが具体的に何なのかがわからず、このころは依然として苦しい時期でもあった」と伊藤氏は語る。「海外へ」という思いから、ワーキングホリデーやインターンシッププログラム(現地で日本語を教えながら英語を勉強する)を検討したり、オーストラリアやカナダに移住することも考えてみた。しかし、いずれもピンとくるものがなく、そうこうするうちに、伊藤氏は就職活動の時期を迎えることになる。
当時はバブル経済の真っ只中であり、学生にとってぱ超売り手市場”のころ。友人たちが次々に有名企業への就職を決めていくなか、月曜日から金曜日まで授業に出ていた伊藤氏は、「就職活動をする時間がなかった」。そして、「就職する気もなかったので、会社訪問をしている学生を見ても特に焦らなかった」(伊藤氏) という。

大学卒業~JICA 入団まで~
大学生活も終わりに近づいたころ、伊藤氏には新たな「外国」との出会いが2つあった。

