連載 調査データファイル 第98回 番外編 シルバー人材活用で起業した「小川の庄」に学ぶ 生涯現役制度で 産業と雇用の幅を広げる
少子高齢化により、現役世代や企業への社会保険制度の負担が増加している。
法整備は急務だが、うまく機能する一手を模索しているのが現状だ。
北アルプス連峰を望む長野県の山村に、シルバー人材と地場産物を活用し、起業20年あまりで7億円の年商を上げている企業「小川の庄」がある。
資本金600万円のこの会社の原動力は、長年地元で暮らしているおばあちゃんたちだった。
過疎化に悩む地方の現状は、まさに日本の縮図と言って過言ではない。
小川の庄のビジネスモデルは、シルバー人材を活かす手本になるかもしれない。
1.山村は日本の縮図過疎・高齢化の危機
少子高齢化、過疎化が急速に進行する地方では、雇用機会が少ないために若者の流出に歯止めがかからない。残された高齢者が年金や介護・医療保険といった社会保障制度に頼るだけでは、いずれ廃村といった結末を招くことになる。高齢者が活躍できる雇用機会を創出し、そこに若い人たちを招き入れるといったことが実現すれば、地域は再び活力を取り戻すことができる。
こうした時代の要請を先取りする会社がある。長野県上水内郡小川村にある「小川の庄」である。
小川村は、長野市の西約20キロ、白馬村に繋がるオリンピック道路沿いに位置し、 北アルプスの雄大な山並みを望むことのできる典型的な山間地である(写真1)。いくつかの谷に分かれて集落を形成する小川村は、過疎化が急速に進行した地域でもある。若者の流出によって、最盛期である昭和25年には9438人であった人口は、平成21年には3139人にまで減少。過疎化とともに高齢化も急速に進行しており、人口に占める65歳以上の高齢者比率は約40%にも達している。現状を改革しない限り、廃村の危機が忍び寄っている。
今から20数年前、過疎化、高齢化が進行する危機的状況の中で、当時、村の社会教育活動や青年団活動を担っていた数人の仲間が、新たな村おこしとして地域に働ける場を創出しようとして実現したのが「小川の庄」である。
2.老若男女が知恵を絞り郷土食で再生を図る
狭隘な山間地である小川村では、企業・工場誘致による地域経済の再生などは無理であり、地域資源を活用した村おこしの道しかない。「農地の荒廃を防ぐには、村の農産物に付加価値を付けて売ることだ」という結論に達した村の青年たちは、水田の少ない村の主食が粉物の「うどん」「そば」と「おやき」であることに注目した。
おやきは、米の消費を抑えるための工夫から作り出された信州西山地域の郷土食で、山間地の小川村では、かつてはこれを主食としていた。小麦粉と水を練り合わせた皮に、四季折々の野菜や山菜を具にして詰めて丸めたものを、囲炉裏の灰の温もりで蒸し焼きにしたものである。ただし、古くからの作り方では、灰にまみれてそのままでは商品にならない。そこで、試行錯誤しながら試作が繰り返されたが、実はこうした努力をしたのは、昔から家庭でおやきを作ってきたおばあさんたちだった。
おやきの製造販売を目的とした会社である小川の庄が設立されたのは1986年。当時、長野県農協地域開発機構の「ふるさと田舎事業」のモデル地区指定を受けて構想を練っていた信州西山農協(現JA ながの西山支所)に、設立メンバーの中心人物である権田市郎氏が、「出身地である小川村のお役に立つ仕事をしたいので力を貸して欲しい」と協力を要請したことがきっかけとなった。
要請を受けた農協は、養蚕業の衰退によって遊休施設化していた稚蚕飼育所を漬物工場に改修し、小川の庄設立に協力した。また、村役場からは出資こそ仰がなかったものの、道路整備などの協力を得ることになった。こうして小川の庄は1986年6 月、資本金600万円、権田氏が社長を務めるサンエーや信州西山農協をはじめとする株主7 名によって設立された。民間企業の自由闊達な経営を確保するために、あえて村からの出資は請わず、第3 セクター方式による新しい村づくり事業としたのである。