J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2016年12月号

人材教育最前線 プロフェッショナル編 マイルストーンがやる気と安心を生む 組織を元気にする〝仕組み〞を考案

電子機器には欠かせない組込みシステムを手掛けるイーソル。
今では入社直後から中堅、管理職までの階層別研修が体系化され、人材育成の仕組みが確立された同社だが、数年前までは育成は現場に一任され、社員の意欲やチームの結束力にバラつきがあったという。
「どの社員にとっても、会社で過ごす時間が、豊かな人生の一部であってほしい」という強い思いを持ち、ほぼゼロの状態から人が育つ風土を築き上げた澤田氏。彼女は組織改革において、「継続の仕組み」を最重要視する。
その理由とは。


イーソル
管理部 人材開発担当課長
澤田綾子 (Ayako Sawada)氏
1999年エルグ(現イーソル)に入社。ソフトウェア事業部にエンジニアとして所属し、自社製品開発プロジェクトのメンバーとなる。その後、エンベデッドプロダクツ事業部で自社製品のカスタマイズ、顧客サポート、取引先へのトレーニングなどを担当。出産・育児休業を経て現職。2児の母でもある。

イーソル
1975 年設立。情報家電製品、車載情報機器、人工衛星など、数多くの組込みシステムへの採用実績のある組込みOS・開発環境などの自社製品の開発や販売を中心に、オリジナルのシステム開発、流通システムソリューションの提供等を行う。国内主要メーカーをはじめ、多くの企業との取引実績を持ち、日本の製造業を支える存在といえる。
資本金:2億6500万円、売上高:54億4100万円(2015 年12月期)、従業員数:366名(2015年12月現在)

取材・文/田邉泰子 写真/編集部

手に職をつけたい

1990 年代後半から2000 年代初頭、「ITバブル」と呼ばれた時期を覚えているだろうか。インターネットの普及とWindows95のリリースをきっかけに、職場や家庭にパソコンが一気に普及した。

ITバブルは採用市場にも大きな変化をもたらした。システム会社の多くが、今後を見据えてシステムエンジニア(SE)の大量採用を行うようになり、理系出身者だけでなく、多くの文系出身SEが誕生した。

それは、人工衛星やカーナビ、一般家電に搭載されるプログラム(組込みソフトウエア)製品の開発、製造、販売を行うイーソルでも同じだった。入社は1999 年、現在は人材開発担当課長を務める澤田綾子氏も、大学での専攻は教育心理学である。

「心理カウンセラーや大学院に進む考えもありましたが、それより企業に勤めて、社会経験を積みたかったんです」(澤田氏、以下同)

長引く不況による“就職氷河期”において、状況がどう変化しても働き続けたいという思いは、手に職をつけられるSEという選択を後押しした。そして澤田氏は、40 人余りの同期と共に、社会人生活をスタートさせた。

目の前のことをこなす新人時代

もともと300 人規模の同社では、40人以上もの新人を育成するノウハウも体制も十分とはいえなかった。だが、業界全体の追い風に乗るチャンスは目の前にあった。そこで若者の柔軟な感性を活かそうと「新製品開発プロジェクト」が立ち上げられた。自社の新たな主力商品を生み出すミッションの下、20 人ほどの若手エンジニアを集めた。その中に、新人SE の澤田氏の姿もあった。

「プロジェクトに配属された新人は、若手の先輩エンジニアの指示を受け、プログラムを組んでいきます。新人は仕事を覚え、先輩は教えることで覚えてきた仕事の定着を図っていました」

特に違和感を覚えることもなく、澤田氏は、徐々に仕事を覚えていった。2年目には数人のチームのリーダーになり、複数の新人の面倒を見ることになる。

「若いチームということもあり、サークルやゼミのような雰囲気でした。帰宅が深夜になることもありましたが、皆で同じ目的や目標に向かって頑張ることに、やりがいを感じていましたね」

ただ、社内の人材育成を一手に引き受ける今の立場から振り返ると、当時の育成施策は少々心許ない。

「特に初期の頃は、仕事の全体像や骨格が分からないままプログラムを組んでいました。となると、壁に当たった時は、その都度対症療法を行うばかりで、他とのつながりまで考えられません。自分の仕事や位置づけが見えてきたのは、プロジェクトに参加して数カ月経ってからでした」

それは、当時の同社にとっては珍しいことではなかった。これといった育成手法が確立されていたわけでもなく、OJTに指導担当をつけるかチーム全員で取り組むかは、所属長の判断に任されていた。研修もその時々のトレンドや同社の組織課題に合わせて、単発で行われていた。人材開発の重要性を認識しつつも、目の前の事業に追われて育成は後手に回っていたのである。

世界で勝てる本気の組織づくり

しかし、同社にも転機が訪れる。きっかけは2008 年のリーマンショックだった。急速な円高と景気の冷え込みは、製造業に大きな打撃を与えた。当然、製品に組み込まれるソフトウエアを提供する同社にも影響が及んだ。

「この一件で、景気に左右されない世界レベルで勝負できる企業になる必要があると痛感しました。働く一人ひとりの能力を引き出し、組織のめざす姿を共有し、同じ認識で動けるような組織づくりに本気で取り組むことになったのです」

経営陣は、その責任者として澤田氏に白羽の矢を立てた。1回目の育児休業中だった澤田氏の元に、当時の社長が話を持ちかけた。

育休前、既に管理職に就いていた澤田氏は、10 数人の部下をマネジメントしていた。熱血指導者というタイプではないが、部下の成長を意識して配置を考えたり、指導に当たったりしていた。また自分の部署に限らず、うまく環境に適応できず体調を崩す社員や離職してしまう社員を救う手立てはないのかと考えることもあった。休業中から、産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの勉強を始めたのも、そうした理由からだ。

管理職の経験があり、行動力もある。さらに人に対する関心の高い澤田氏に、全社の人材育成のポジションを任せるのは、自然な流れだった。

「休みに入る前に担当していた業務は、全て他の人に引き継いだ状態でしたので、業務が回らなくなる心配はありませんでした。社長が直々に打診してきた時点で、既に断る余地はありませんでしたが(笑)」

そして澤田氏は、2009 年4月に人材開発担当として職場復帰する。

“先”が見える仕組みを構築

最初の仕事は、若手技術者育成のカリキュラムを構築すると同時に、同社における人材開発のコンセプトを提示することだった。復帰から2週間という限られた時間の中で考え抜いた結果、浮かんだのは「社員と会社を元気にする」というフレーズだった。この言葉に込められた意味を、澤田氏は次のように説明する。

「“元気”というのは、“やる気”や“やりがい”から生まれる生き生きとした状態を指します。同じ業務でも、受け身の姿勢でこなすのと、“やる気”を持って創意工夫をしながら取り組むのとでは、出来上がりが全く違います。組織の成長は、そうしたプラスαの部分の積み重ねによると思うのです」

また、個々に分担する業務は、社員の能力や責任感の有無などで、仕事量が偏りがちである。パフォーマンスを発揮しきれていない人材の力を引き出すためにも、“やる気”を喚起する育成が必要だと考えた。

「どの社員にとっても、会社で過ごす時間が、豊かな人生の一部であってほしいという思いがあります。やりがいを持って働けることは、その手段のひとつだと思うのです。社員が幸せならば、家族など周りの人たちの幸せにもつながるはずです」

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