J.H.倶楽部

無断転載ならびに複製を禁じます。なお内容は取材・掲載当時の情報です。

月刊 人材教育 2011年01月号

連載 ベンチャー列伝 第24回 “居心地”の良い職場づくりが世界屈指の技術を支える

独創的な技術創出には、優れた人材が不可欠だ。日本の製造業の最先端技術を支え、海外からも視察が絶えない南武。同社では“脱3K”に取り組み、若手や女性技術者を積極的に採用・育成する。社員の帰属意識を高めることで、他社との差別化を図っている。

南武 代表取締役
野村和史(のむら・かずし)氏
1938年生まれ。1961年青山学院大学経済学部卒業後、南武鉄工(現・南武)入社。火災による閉鎖のため退社。日幸電機製作所、ドッドウェル勤務を経て、1984年南武鉄工に再入社。1995年に社長へと就任後、改革を推し進める。
南武
1955年、日本初の油圧シリンダ専門メーカーとして発足。火災で一時閉鎖に追い込まれるも、1965年に再発足。メインの製品は金型用中子抜きシリンダ(自動車産業向け)と鉄鋼巻取り用ロータリジョイント・ロータリシリンダ(製鉄メーカー向け)の2つで、市場シェアは前者が6割、後者は7割を占める。
年商:20億円、従業員数:114名(2009年10月期)
取材・構成/福田 敦之、 写真/石原 野恵

ピンチの時にこそ人材育成を

数多くの「町工場」が軒を連ねる東京都大田区。これらの工場が、日本の製造業を支える高度な技術を生み出し、海外でも高い評価を受けてきた。それら大田区の工場のうち、特に優れた技術を持ち、従業員や地域へも配慮している工場は「優」工場の指定を受ける。その1社が、南武である。高い技術力をベースに、特殊油圧シリンダメーカーとして確固たる地位を築いている。

また同社は、大田区が2006年6月にタイのバンコク郊外に開設した工業団地「オオタ・テクノ・パーク」にも入所、海外での生産拠点づくりを支援している。

南武の技術力の高さは、国内外で数々の特許・実用新案を獲得していることからもよくわかる。タイの他、アメリカと中国にも工場を持ち、その高度な技術を学ぼうと、海外からの視察や要人訪問が絶えない。

こうした実績と評判を持つ同社でも、世界的な景気悪化をもたらしたリーマンショックの影響は深刻だったという。

「2008年以降、日本を支える自動車産業が大きく落ち込んでしまいました。当社の売り上げの約7割を占める金型用中子抜きシリンダは、主に自動車業界向けですから、当然、当社のような町工場では、その影響は計り知れません。ただこんな時だからこそ、将来に向けての人材育成が必要なのです」

こう語るのは、1995年に2代目社長へと就任した代表取締役・野村和史氏である。

「他社が人員削減を進める中、当社はリストラをしないで人材育成に力を入れてきました。というのも、需要が回復してきた時に、すぐに対応できる技術力を持っていなければならないからです」(野村氏、以下同)

今後、日本の町工場は、価格面においては中国メーカーに勝ち目は少ない。そうなると、ニッチな分野で付加価値を高め、価格競争に巻き込まれない戦略が重要になる。南武ではこれまでも、特殊な技術を開拓し、他社には真似のできない実績を蓄積してきた。このノウハウを維持し、さらに高めていくには、高い技術や付加価値のある製品づくりを実現する人材を育てていかなければならないと野村氏は考えた。

そこで、リーマンショック以降仕事量が激減した際に、同社では工員の“多機能工化”に注力した。たとえば浜松工場では、普段コンピュータで制御するNC旋盤(金属を切り出す工作機械)を使っていた工員が、手動の汎用旋盤を担当し、使い方を覚える。逆に、汎用旋盤を使っていた工員がNC旋盤を担当するなど、相互に技術を学び合う機会を設けた。

特筆すべきは、こうした動きが自主的に起こったということだ。最初は本社の技術者が浜松工場に赴き訓練を行ったが、仕事量が減った分、空き時間に自主的に新しい技術を身につけていくようになっていった。

この浜松工場は、全員が20代の若者で構成されている。リーダーの係長が25歳、最年少が19歳。普段、300坪もの工場を、20代の若者10人で回しているが、1人ひとりが自主的に多機能工をめざして努力したことで、浜松工場の技術力は格段に上がっていったという。ピンチの時こそ、自発的な学習意欲を喚起するチャンスなのである。

ブレークスルーは“ドリルガールズ”から

野村氏が人材育成にこだわった経営を重視する背景には、高い付加価値の製品を生み出すことに加え、前職時代の影響が大きい。1984年に南武に再入社する以前、英国の総合商社ドッドウェルに勤務していた時のことだ。

「とにかく、職場環境が素晴らしかった。休日出勤、深夜残業が当たり前の町工場の現場と違い、週休2日制で、男女問わず生き生きと仕事をしていたのです。まさに、クオリティ・オブ・ライフ(生活・人生の質、QOL)を体現する組織の姿がありました」

一般的に町工場は「クオリティ・オブ・ライフ」が高いとはいえない。仕事の運営上、長期間連休の取れるような仕組みはなかなか採用できないのが現実だ。技術は人が支えているのにもかかわらず、劣悪な環境下で、長時間労働が当然。なかなか人材も集まらないというのが多くの町工場の通例であった。

「ドッドウェルでの経験から、良い環境の職場には良い人材が集まると実感していました。そこで、小さな町工場であっても、社員に良い環境を提供し、『この会社は自分を大切にしてくれる』と感じてもらい、長く働いてもらえれば、と考えました。人を採用、育成し、定着してもらって初めて、技術以上の付加価値が生まれてきます。会社の“居心地”は、会社の成長に欠かせないと考えたのです」

そこで起爆剤となったのは、女性技術者の採用である。

今から12~13年前、人手が足りないと悩んでいた同社に応募してきたのは、バスケット部出身で技術も経験もない普通高校の女子生徒だった。野村氏は、当初は事務職としての採用を考えていたが、工場の工作機械はコンピュータで制御するため、女性でも操作は可能である。

野村氏が現場を見せて、「よかったら工場で働いてみないか」と尋ねたところ、「事務よりも工場のほうが楽しそう」ということで話がまとまった。1人では心細いだろうから、仲間を誘ってきてはというと、同じクラブの仲間を連れてきて、結局、2人を採用することになった。“ドリルガールズ”の誕生である。

「初めての女性技術者ということで、現場には不安がありました。しかし、先輩の言葉をメモしながら油にまみれて取り組む姿は真剣そのもの。早く技術を身につけて一人前になりたいという彼女たちの熱意は、周囲の不安を吹き飛ばしました。そして、ベテラン職人たちの心を動かしていったのです」

ドリルガールズの採用を契機として、3K―きつい、汚い、危険―のない、南武の職場づくりが始まっていった。

3Kのない職場が従業員のQOLを高める

まず、同社では女性技術者たちのための休憩室・化粧室を整備。さらに、5Sの推進を行った。5Sとは、「整理、整頓、清掃、清潔、しつけ」のこと。毎日、終業時間前の15分を「5Sの時間」と位置付け、仕事の手を止め、5Sを集中的に行うようにした。道具の使用頻度によって置き場所を決め、整理・整頓する。働く場所をきれいに保つ。清潔なユニフォームを着る――これらの5S活動を推進してきたことで、職場環境がみるみるうちに変わっていった。

こちらはJ.H.倶楽部会員限定記事です。
ご入会後、続きをお読みいただけます。

残り:2,447文字

/

全文:4,893文字

【入会・年会費無料】

J.H.倶楽部は人事の仕事に役立つ特典が満載です!

  1. 総数2000本以上の人事の実務に役立つ記事(※)が閲覧可能
    ※専門誌『Learning Design』(旧『人材教育』)の記事
  2. 新サービス・お役立ち情報(調査報告書・ホワイトペーパーなど)の先行案内
  3. 会員限定セミナーへのご招待/講演動画・配布資料の閲覧
  4. 興味関心に沿った必読記事を、メールマガジンでお知らせ!