J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2011年12月号

変化とともにあるための易経 最終回 東洋思想で実現する 創造性豊かな企業

常盤 文克(ときわ ふみかつ) 元・花王社長、会長
1933年生まれ。1957年東京理科大学理学部卒業、花王入社。米国スタンフォード大学留学後、大阪大学にて理学博士取得。研究所長、取締役を経て、1990年に代表取締役社長、1997年に会長に就任、2000年退職。現在は社外取締役などで幅広く活躍。著書に『知と経営』(ダイヤモンド社)『モノづくりのこころ』(日経BP社)『コトづくりの力』(同)『ヒトづくりのおもみ』(同)など多数。

共に高め合う上司と部下の「学びの循環」

最終回となる本稿では、前回に引き続き「易経と人材教育」について考えていきたい。前回は、易経第一卦の爻辞にある君子の成長になぞらえて社員の育成のあり方を考えてみた。そこでは、まずは確固不抜の意志を持ち、懸命に仕事に打ち込むべきだと述べた。そして、社員を育てるために上司が為すべきことを2つ紹介した。部下に「いい仕事」を与えることと、自らも部下の鑑となるような「いい仕事」をやってみせることである。そうすれば、部下は自然に成長する。それでは、若手社員(小人)は成長のために何を為すべきか。若手にとって、上司は、仕事の能力に優れ、経験豊かな大人といえる。一方、小人は未熟であり、大人から学ぶ段階にある。若手は、上司の仕事ぶりから仕事の仕方、あり方を積極的に学ばなければならないのである。この大人と小人の関係は、よく言われるブラザー・シスター制度のような、社内教育制度によって決められた師弟関係ではない。人間的な結び付きを基盤とし、日々の仕事を通じて互に信頼関係を深めていくものである。私の新入社員時代は、確かにそうだった。職場にいる上司や先輩の仕事ぶりを観ながら、「仕事の基本は、あの人に学べばいい」「困った時は、あの人に相談しよう」などと考えていた。当時の会社員は、型や制度にはまったものでなく、柔軟な発想で仕事を覚えていったのではなかったろうか。そのように働いてきたからか、職場における人材育成に関して、先生役と生徒役をきっぱりと決めなくてもよいと私は考えている。教わりたい者が、自分で先生を選んで教わればいい。結局は仕事を身につけられるかどうかなのだから。誰が先生であろうと、最後は自分の受け止め方にかかってくる。ダメな上司がいたからといって、それを真似ることはない。その上司を反面教師にすればいいだけの話だ。この視点を持てば、社内のあらゆる人が師になる。突き詰めれば、教える側と教わる側の区分けも不要に感じる。私は以前、四、五年ほど、社会人大学院の教壇に立ったことがある。ここの生徒は実社会でキャリアを積んできた人ばかり。時々こちらがハッとさせられる質問を受け、そんな見方もあるのかと教えられたものだった。それは、教える側と教わる側が真摯に向き合って互に学び、互に思考を深め合う場だったといっていいだろう。「教育」とは、まさに「共育」なのだと知らされた(図-1)。一般に、部下の育成は上司の仕事だといわれる。けれども実は、部下との対話や部下の仕事ぶりなどから、上司が無意識のうちに刺激を受け、部下に教わる場面が多々ある。これは喜ばしいことだ。互いに共鳴し、共に高め合う場ができることが、職場の雰囲気にプラスの影響を与えるからである。このことに目を向ければ、上司はもっと謙虚になれるだろう。そして、部下からもっと多くのものを学べるはずだ。そうして上司は、更によい部下を育てる。すなわち上司と部下との「学びの循環」――これが人づくりの理想的な姿ではないか。

「いま・ここ」の積み重ねで組織が一段一段成長していく

人を育てるということは、十年後、二十年後の未来を創り込む大きな仕事である。制度的な人材教育だけで、この大仕事を成功に導くのは難しい。それよりも、企業が掲げた目標に向って社員同士が共鳴し、互に高め合う組織をいかに築いていくかを考えることである。たとえば、仕事に対してどんな価値観を持ち、その価値観を職場でどう共有していくかという課題である。仕事の価値観とは、ひと口に言えば「会社員として、どのように働き、どのように生きていくのか」という問題に対する答えでもある。私の答えは、「『いま・ここ』に生きる」である。「いま・ここ」とは、“今日、この職場で最善と考える手段を選択しながら、一生懸命に仕事に打ち込む”という生き方であり、日本古来の精神文化でもある。その精神に基本を置く、人育て・マネジメントができれば、組織は強くなるだろう。「いま・ここ」で仕事を丁寧にやり抜くこと、精一杯に頑張って仕事に取り組むことの積み重ねが企業の力になるのである。こうした日々の仕事を通して獲得した「知」と経験の積み重ねが、その企業の「集団の知」として「黙の知」(連載第1回)に落とし込まれていくのである。「いま・ここ」に生きるという考え方は、易の「中庸」の思想にも通じる。中庸というと日本では、「偏りがない」「バランスがとれている」などと解釈されやすい。だが、本来は「最も適切である」「鋭く的を射ている」という意味である。そして、易では最適であることを最善としている。

良寛の歌に見る成長を促す循環の大切さ

変化の中で“いま”を大切に生きる、“いま”最適であることを選ぶ、このことを考える時、良寛が詠った次の歌が思い出される。

つきて見よ ひふうみよいむなや ここのとを とをと納めてまたはじまるを

晩年の良寛は、村の子どもたちと手まりをついて無心に遊んだという。手まりをつきながら、手まりと一体化して時の経つのを忘れる。そうして、まりをつきながら、一、二、三……八、九と数える。十まで数えるとまた一から始める。一の次の二は、一を乗り越えた二である。二の次の三は、二を含んだ三である。そうやって三、四、五……と進んでいく。そして八、九ときたものを十で納める。そして、次はまた一に戻って始める。十から一は非連続の連続であり、そこでは時間が循環しているのである(歌の解釈は、上田三四二著『この世この生』新潮文庫を参照)。この歌が表しているのは循環の思想である。循環というのは、元に戻るということではない。繰り返しながら成長していくことである。

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