J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2010年09月号

人材教育最前線 プロフェッショナル編 常に学び続けることが自らのキャリアを輝かせる

旭化成は9つの事業会社を持つ総合化学メーカー。人財・労務部人財戦略・開発室課長の竹内雅彦氏は、2007年に事業会社の旭化成建材から持株会社へと異動し、グループ共通の研修を担うこととなった。旭化成の事業は多岐にわたり、なおかつグローバルに展開される。その事業を支える人材を育成するための研修の場は、20年以上国内市場だけの建材ビジネスに従事していた自分にとっても、未知の分野を知る学びの場であると竹内氏は語る。経営環境の変化に臆せず、果敢に課題に挑戦し続ける竹内氏の、人材育成に対する想いを伺った。

人財・労務部 人財戦略・開発室 課長
竹内 雅彦(Masahiko Takeuchi)氏
1985年、旭化成建材に入社。大阪で13年間の営業の現場を経て、1998年に茨城県境町の工場に配属、人事・労務管理を担当。
2007年、持株会社の旭化成に異動、現職に就く。グループ全体に向けた人材育成の研修開発・運営に従事している。

旭化成
分社持株会社制のもと、ケミカル、住宅、医薬・医療、繊維、エレクトロニクス、建材など、幅広い事業を展開する日本を代表する総合化学メーカー。事業フィールドは海外にも広がり、高機能ケミカルや医療、電子部品などの事業は世界各国のマーケットで高いシェアを占める。2010年度は中期経営計画“GrowthAction-2010”の最終年度となり、さらなる企業価値の向上をめざす。

設立:1931年、資本金:1033億8900万円、従業員数:25085名(2010年3月末現在、連結)
取材・文/浅久野 映子、写真/倉田 優子

未知の課題の解決がやりがいのある挑戦

「失敗から学ぶ」という人は多い。旭化成の人財・労務部人財戦略・開発室課長の竹内雅彦氏もそうだった。もっとも、何を学んだかを理解したのは、失敗からずいぶん経ってからだと竹内氏は笑う。

竹内氏が最初に経験した大きな挫折は、33歳の時だった。担当していたハイプリートという商品が撤収することになったのである。ハイプリートは、超高層ビルから戸建住宅まで幅広い分野の建築に採用される新しい建材として1993年に投入された商品だった。

バブル景気崩壊以後、景気低迷の中で新機軸として登場したハイプリートは「嵐の中の船出」と揶揄された。しかし、近畿地区販売担当者に抜擢された30歳の竹内氏にとっては、新しい商品を手がけることは心躍る嬉しい出来事だった。

竹内氏が旭化成建材に入社したのは、1985年。法学部出身でありながら二級建築士の資格を取るなど、建材営業の仕事に夢中で取り組んだ。

新規事業の立ち上げに参加できたという高揚感も手伝って、竹内氏は次々と浮かぶ打ち手を行動に移した。当時は毎日、時間を忘れて仕事をし続けたという。

そうした努力が功を奏して、受注は徐々に増えた。しかし、新製品だったために商品の品質が安定せず、せっかく納品したもののクレームも少なくなかった。課題は次々に襲いかかる。未知の課題を1つひとつ解決することがやりがいであり、面白くて仕方なかったと竹内氏は述懐する。

ところが1996年8月、ハイプリートは撤退することになってしまう。

「東京での会議に呼ばれて、『この事業はもうあかん』といわれたのです。愕然としました」

残務整理をする傍ら、喪失感に打ちのめされ、忸怩たる思いを抱えたまま1年が過ぎた1998年10月、竹内氏は茨城県にある境工場事務課への異動の内示を受けた。

「驚きました。とはいえ自分の状況を変えるには、営業から工場へ、都会から田舎へと、まったく違う環境に身を置くのもいいかもしれないとも思ったんです」

1対1の対話で気づくカウンセリングの必要性

初めて営業以外の仕事に就いた竹内氏は、勤労の仕事と営業はまったく違うと感じた。営業は取り引きによって成立するもの。お互いが納得できなければ契約しなければよい。一方、労務管理は雇用にかかわる人間関係だ。納得できないからとすぐに関係をやめるわけにはいかない。だが、営業で鍛えた「相手の気持ちを忖度する」、「うまく意思疎通する」といったコンピテンシーが勤労の仕事でも通用することに気がついてからは、次第に仕事も面白くなった。

「もっとも、営業で培った対人力しか私には武器がなかった。専門知識も人脈もすべて大阪に置いてきましたから(笑)」

係長として配属された竹内氏だが、労務管理に関する知識は新入社員並み。何をすべきかがわからない。そこで、係内のメンバーを集めて勉強会を実施することにした。

「営業と違い、勤労の仕事は給与や福利厚生など、担当ごとに専門性が異なる。意外とお互いのことを知らないので、メンバー同士が理解し合うことも大切だと提案したのです」

互いの仕事を理解しようと始めた勉強会は、思わぬ効果を生んだ。竹内氏自身が、慣れない労務管理の仕事の基礎を学ぶ機会となったのである。

一方、建材市場は長い不況に喘いでいた。工場も省力化を余儀なくされ、2002年頃から旭化成建材でも生産工場の縮小が議論され始めた。生産ラインが縮小されると従業員は異動や転勤をすることになる。

受け入れ先があるとはいえ、地元採用の工場の従業員にとって、転勤は極めて重い現実となる。また、親の介護や子どもの教育事情など、解決が難しい問題を抱えた人もいる。竹内氏は1人ひとりに対してじっくりと耳を傾け、理解を深めるように努めた。

そうした1対1の面談を続ける中で、竹内氏はカウンセリング技術の有効性に気づく。前年の2001年に産業カウンセラーの勉強をしていたのはその予感があったからだ。休日である土曜日には毎週東京へ通い、午前中に心理学などの理論を、午後は実技で面談のスキルを学んだ。

「受講生は、会社員はもちろんですが、教師や看護師といった人たちも少なくなかった。2002年には厚生労働省が5年間で5万人のキャリア・コンサルタントを養成するという構想を打ち出しましたから、人々の関心も高かったのだと思います。私が通った養成所には、約200名が通っていました」

変化の時代に求められる柔軟に対応できる感度

竹内氏が旭化成建材の企画管理部総務人事グループに異動になったのは、2003年のことである。

「旭化成グループでいえば、エレクトロニクスなど非常に好調な事業会社もあるというのに、建材は斜陽で……。社員にどんどん配置転換をお願いしなければなりませんでした」

それでも、自分たちが暗い顔をしては駄目だと自らを戒め、業務に取り組んだと竹内氏は当時を振り返る。

「相手に配置転換を納得してもらうのに、業務命令だからとか、会社の方針だからというだけでは十分ではないと私は考えています。だから、次に行く職場での可能性や展望をお話しするようにしました」

つらい仕事であるはずなのに現実から逃げず、誠実に、使命感を持って取り組めたのは、ハイプリート撤収の際の苦い経験があったからだ。

「あの時、私は自分がやるべきことはすべてやったと思っていました。撤収は私たち営業のせいではない。戦略がうまくいかなかったのだと、人のせいにしていたところがあった。そうでもしなければ、喪失感を埋めることはできなかったのだと思います。ですが、それは違うと気づいたんです」

事業の成否は1人の力によるものではなく、組織の力を結集しなければ成功はない。ただし全体の一員として自分の役割を認識しない限り、当事者意識は持てない。そうなると自分を見失い、現状を把握できなくなる。人のせいにするのは簡単だが、当事者にならなければ仕事の達成感は得られないということを、竹内氏は社員1人ひとりと面談する中で深く実感したという。

配置転換における一番の問題は、社員の行き先を確保することだった。旭化成グループの事業会社各社に移ってもらうわけだが、人によってはなかなか受け入れ先が決まらない。かつては輝いていた先輩の行き場がないという現実に直面して、竹内氏は愕然とした。

「変化に対応できる感度がなければと、つくづく思いました。定年まで同じ仕事があるとは限らないのです」

こうした状況が現実にあるとしても、なるべく多くの人に定年まで生き生きと働いて欲しい。そのためには個々人のキャリア開発が必要だと考えるようになった。そこで2004年、旭化成建材の組織再構築が終了するタイミングで、竹内氏は人材育成を担当したいと宣言する。

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