J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2017年10月号

歴史に学ぶ 女性活躍 第2回 立場によってつくられた尼将軍 北条政子

本連載は、日本史上さまざまな分野で秀でた女性たちの活躍について、その背景や環境を作家の梓澤要氏が浮き彫りにするものである。今回は北条政子を取り上げる。嫉妬深く冷徹などといわれるが、長年にわたり積極的に政治に関わった。彼女をそうさせた理由や、成長させた5つの決断経験とは。


梓澤 要(あずさわ かなめ) 作家
1953 年静岡県生まれ。明治大学文学部史学地理学科卒業。1993 年、『喜娘』で第18 回歴史文学賞を受賞。作品執筆の傍ら、2007年から東洋大学大学院で仏教学を学ぶ。著作に、『橘三千代』『阿修羅』『遊部』『女にこそあれ次郎法師』『捨ててこそ 空也』『光の王国』『荒仏師 運慶』など。最新刊は『万葉恋づくし』(新潮社)。

有能な主婦から尼将軍へ

承久(じょうきゅう)元年(1219)1月、雪が降りしきる夜、鶴岡八幡宮に詣でた鎌倉三代将軍源実朝(さねとも)に一人の若者が斬りかかり殺害。暗殺者は頼朝と政子の嫡男で二代将軍であった頼家(よりいえ)の遺児公暁(くぎょう)。実朝の甥で政子にとっては孫である。

このとき政子63歳、夫の死からちょうど20年、四人の子をすべて失い、一人とり残されたのである。だが悲嘆に暮れている暇はなかった。実朝には子がなかったから早急に次代将軍を決めねばならない。弟の北条義時(ほうじょうよしとき)や頼朝の代からのオブザーバー大江広元(おおえのひろもと)らに諮(はか)り、後鳥羽(ごとば)上皇の皇子を将軍に迎えたいと申し入れたが、さんざん焦らされたあげく拒否され、結局摂関家の左大臣九条道家(くじょうみちいえ)の子の三寅(みとら)(数え2歳)を迎えた。頼朝の妹の曽孫であり、頼朝と親しかった九条兼実(かねざね)の曽孫でもあるから縁は深いが、いかんせんまだものごころもつかない赤子である。政子はその子を養育しつつ、簾中(れんちゅう)(背後の御簾の中から指示すること)で政治を動かして尼将軍と呼ばれ、三寅が9歳で正式に四代将軍頼経(よりつね)となった後もその実効支配に変わりはなかった。

5つの決断

その人生には5つの大きな決断と転機があった。

① 別の男との婚礼の夜、恋を貫き、頼朝のもとに奔(はし)った。

② 放蕩の嫡男頼家を見切り、死に至らしめた。

③ 後妻に耽溺し正常な判断ができなくなった父北条時政を追放した。

④ 承久の乱に動揺する御家人たちを強く諌め、鎮めた。

⑤ 陰謀を計った弟義時の妻らを滅ぼし、甥を立てて混乱を防いだ。

いずれも悩み抜いてのことだが、わが子や身内の情愛に流されることなく冷静に判断し行動した。それが後世、「幕府を私物化した悍婦(かんぷ)」「夫を尻に敷く強妻」「嫉妬深い女」と悪評されることにもなったが、江戸時代の史書『大日本史』が「丈夫※(ますらお)の風(ふう)アリ」と評するゆえんである。

※勇気ある強い男の意。

第一の決断:恋を貫く

伊豆韮山(にらやま)の豪族北条時政(ほうじょうときまさ)の長女政子は、都育ちの貴公子と恋に墜ちた。20歳頃で当時としてはかなり遅い。

頼朝はこのとき30歳。父義朝(よしとも)が平清盛に反して平治(へいじ)の乱を起こすも敗れて敗走中に討ち取られ、頼朝も連座して殺されるところだったのを清盛の温情で死を免れ、14歳で伊豆に流されてきていた。

流人といっても幽閉の囚人というわけではなく、源氏に心を寄せる地元の土豪武士らの支援を受けて暮らし、おもてむきは一門の菩提を弔うため殊勝に読経に励みつつ、若者たちを引き連れて狩りを楽しむことも多かった。

娘たちにとっては憧れの的であったろう。政子と出会う前すでに伊豆伊東の豪族の娘と懇ろになって一子を儲けたが、悲劇に終わっている。平氏に目をつけられるのを恐れた父伊東祐親(すけちか)が強引に別れさせ、赤子も殺してしまったのである。

政子の場合も、父時政は慌てて別の男と結婚させてしまうことにした。鎌倉幕府の公式史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』にそのときのことを語った政子自身の言葉がある。後年、義経の愛妾静御前(しずかごぜん)が鎌倉に連行され、鶴岡八幡宮で頼朝夫婦や御家人たちの前で舞わされたときのこと、静は義経を恋い慕う歌を歌い、頼朝は激怒した。そのとき政子がむかしの自分を引き合いに出してこうなだめた。「(吾)君ニ和順シ、暗夜ヲ迷ヒ、深雨を凌(しの)ギ、君ノ所ニ到ル」――あのとき私は無理やり結婚相手の館に送られましたが、深夜ひそかに脱走し、土砂降りの雨の中、真っ暗な山道を迷いながら必死に夜通し歩き、伊豆山神社にいらしたあなたの元に駆け込んだのです。

またこうも言った。あなたが挙兵して石橋の合戦に出陣していったとき、私は独り伊豆山に留まっていてあなたの安否がわからず、心が潰れる思いでした。原文は「魂ヲ消ス」とあり、彼女の不安がストレートに伝わってくる。

これが夫を慕う妻の真情なのです。静も謀反人となったからと義経を見捨てて頼朝に阿(おもね)らない。けなげであっぱれな妻です。赦(ゆる)しておあげなさいまし。

糟糠(そうこう)の妻にそう諌められては頼朝も怒りを収めるしかなかった。

そのとき静御前は身籠っており、政子は手厚く庇護した。だが生まれたのが男の子だったため取り上げられ殺害されてしまった。

傷心の静を慰め、京に帰らせてやったのも政子だった。政子にはひたむきな女に対する強い共感力と包容力がある。

その一方、頼朝が次々に手をつける女の家を襲撃させたり、手引きした家臣を厳しく罰したことから、後代、稀代のやきもちやき、嫉妬深い女とされたが、これは双方の価値観の相違によるものである。

13歳まで京の貴族社会で育った頼朝にとって恋愛は日常茶飯事、妻を何人持とうが非難される筋合はないと思っている。片や田舎の農村部は一夫一妻があたりまえで、婚姻関係は親兄弟一族郎党にいたるまでの連帯を意味する。女の嫉妬という次元ではなく氏族全体の問題であり、看過できるものではない。

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