特別鼎談企画|松田雄馬氏×野中郁次郎氏×浅岡伴夫氏 本質の見えにくい時代にこそ“知的コンバット”で意味の追求を 松田雄馬氏|野中郁次郎氏|浅岡伴夫氏
編集部より
1月26日、一橋大学名誉教授
野中郁次郎氏が亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
追悼の意を込めて、今回は2022年1-2月号掲載の特別鼎談を全文公開。DXが進むなか、組織が知識創造の源泉となるために不可欠なのは徹底した対話(知的コンバット)を通じた、意味の模索だと野中氏は言います。人工知能の研究者・松田雄馬氏、先端技術アナリスト・浅岡伴夫氏とともに、これからの組織の在り方を語っていただきました。

データ分析だけでビジネスの本質(暗黙知)をつかみ成長につなげることはできるのか―。
DX万能神話が広がる時代に警鐘を鳴らすのは、知識創造理論を説いた世界的経営学者で一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏だ。
組織が知識創造の源泉となるために不可欠なのは徹底した対話(知的コンバット)を通じた、意味の模索だという。
人工知能の研究者・松田雄馬氏、先端技術アナリスト・浅岡伴夫氏とともに、これからの組織の在り方を語る。(文中敬称略)
組織の最小単位「ペア」で共感せよ
松田:
私は人間の脳をコンピュータ科学の視点から研究してきました。脳は120億の神経細胞一つひとつが協働し、高度な知を実現しています。組織も同様で、一人ひとりの能力は頼りないものであっても、同じ目標を持ち、信頼、協力し合うことで、未来への道が拓かれていくはずです。この未来創造の力は、「生命知」とよばれ、脳研究における重要な役割を担っています。
生命知にとって重要なキーワードに「自己不完結性」があります。「人間一人ひとりは不完結であるからこそ協力せざるを得ない」という考え方は、野中先生の知識創造理論にも通じるのではないかと考えています。昨今のテック企業も野中先生の知識創造理論に学んでいるところが多いと聞きます。
浅岡:
1990年ごろ、米国系企業のデジタルマーケティングに関わって以来、経営戦略&事業アドバイザーとしてCRM(顧客関係管理)の仕事などに取り組んできたのですが、次第に疑問を持つようになりました。米国式のマーケティングは人間を機能として捉えている。人間の心、知恵をベースとしたデジタルマーケティングの在り方はないかと考えました。
模索するなかで野中先生のご著書『知識創造企業』(東洋経済新報社)の「暗黙知から形式知、集団知へとスパイラルアップし、持続的なイノベーションを生み出す」という考え方に出会ったのですが、非常に大きな足掛かりとなりました。
―(司会)テック企業の組織管理法のお話に関連して、ソフトウエア業界で主流のアジャイル開発、スクラム開発は野中先生が発表された論文に端を発しているそうですね。
野中:
「ジャパンアズナンバーワン」の時代、現ハーバード・ビジネス・スクール教授の竹内弘高氏と日本企業の新製品開発事例を研究していましてね。1986年に『Harvard Business Review』に論文を掲載したのです※。新製品開発のアプローチをラグビーにたとえて後の知識創造理論につながるコンセプトを説いたものでした。
何しろ、営業は生きるために顧客の無理難題を引き受けて来るんですね。当然、現場はめちゃくちゃな状態になる。それこそラグビーのスクラムのように複数の工程が入り乱れて同時進行し、ぶつかり、それでも連携し、ワイガヤしながら進んでいた。その様子を書いた論文をもとに、ジェフ・サザーランド博士がアジャイル・スクラムという形でソフトウエア開発の分野に展開したんですよ。
アジャイル・スクラムには、知識創造理論のエッセンスが仕組みとして埋め込まれています。たとえば、毎日の朝会です。
朝会では、まず全員1分ずつ振り返りのコメントをする。全体で15分なので無駄なことは言えません。それも基本的に立ってやる。振り返りが終わるころには、参加している全員が集合的にこれからやるべきことが先読みできちゃうわけです。だからすぐに動ける。
米経営学者ハーバート・サイモンは個人の情報処理には認知限界があるとし、組織こそ人の限界を克服する情報処理システムだと唱えた。しかし、日本企業の現場を調べてみると、やはり組織とは情報を処理するだけの場ではないのではないかと。情報処理というより、葛藤しながらワイワイやりながら動きのなかで知恵を出し合っている。まさにスクラムの状態だったのです。
情報ではなく知識の問題、量ではなく意味を追求しなければならない――こうした気づきは、哲学、特にフッサールの現象学を学び確信に変わりました。フッサールは難解ですが、結局、「相互主観性」なんですね。
もっと簡単にいうと「共感」が重要だということなんです。それは「ペア」が起点になります。組織の知は集合知ですから、一人称を三人称にしなければならない。それは実は大変難しい。一人称と三人称のブリッジになるのが二人称、ペアなんです。
松田:
世の中にインパクトを起こす人とパートナーの二人組は“クリエイティブペア”とよばれますね。
野中:
ペアは組織の最小単位ですから。それも異質な者同士ほどクリエイティブペアになりやすいものです。
フッサールの相互主観性に話を戻します。彼は第一次世界大戦前後に広がった科学万能主義への問題意識から、大切なのは分析ではなく、一人ひとりの「いま・ここ・わたしだけ」の直接体験であり、そこで得た一人称の直観を「いつでも・どこでも・だれでも」の客観や科学に変換するのは二人称の共感だとフッサールは考えた。
共感の本質は「意味づけ」なんですね。意味づけは異なる主観を持つ2人で行い、「我々の主観」をつくって普遍に近づいていく。ペアで向き合ったときに初めて、新しい意味が生成されるというのが「相互主観性」の要諦です。
※ "The New New Product Development Game" https://hbr.org/1986/01/the-new-new-product-development-game
「知的コンバット」から本質=暗黙知を集合的につかむ
野中:
ジェフ・サザーランドは「ペア・プログラミング」という手法を使っています。プログラム開発を2人でやる。たとえばソフトウエア開発担当者とクオリティコントロールの担当者がペアになって行うんです。
というのも彼は、かつて米空軍のパイロットで、もっとも危険な2人乗りの偵察機に乗っていたんです。ペアの重要性を知り抜いていたんですね。退役後、コロラド大学で博士号を取ってソフトウエア会社を興したとき、イノベーションの論文を集めていて我々の知識創造理論を知ったのです。こうして彼らのプロジェクト開発のベースはSECIモデル(図)になりました。
―個人が持つ暗黙的な知識(暗黙知)は、「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」の4つの変換プロセスを経ることで集団や組織の共有の知識(形式知)になるという、野中先生が提唱された理論ですね。
野中:
SECIモデルには必要不可欠なプロセスがあります。それは徹底的に「知的コンバット」をすること。全身全霊で相手と向き合いながら、お互い「やっぱりそうだよね」と共感した瞬間に初めて一心体になれる。動きながら、対話や共体験という知的コンバットをやる。すると背後にある見えない本質を直観できるのです。わかっている会社は仕掛けとしてうまく活用しています。
たとえば、ホンダには3日3晩飲みながら議論するワイガヤがありました。3日目ぐらいにやっと新しい「意味」が見えてくる。その瞬間にはもう、みんな無私のフロー状態。連日連夜、議論しっぱなしですから。
アイリスオーヤマの仕組みも面白い。毎週月曜日、「プレゼン会議」と銘打って知的コンバットをやるんです。会長、社長がいて、プロジェクトチームや関係部門のメンバーが出席し、ワイワイやり合った結果、即断即決します。つまり、稟議不要ですぐに関係者が動き出せるのです。
また、同社には「ICジャーナル」という社内イントラの業務日報があるんですが、「誰にいつ何時に会った」といった「情報」は書かせない。自分が感じ取った「意味」を書かせるんです。たとえば顧客のところに行ったときの印象、感覚、仮説などですね。
ホンダでは、チームがワイワイガヤガヤ試行錯誤していましたが、あれもアブダクション※です。真剣勝負の場を通じて、動きながら直観した多面的な印象から類似性を見つけ、背後にある本質をつかむのです。仮説を推論する力が大切です。
※アダプション:仮説を導き出す論理的推論。
―本質を見抜くには、対話力が問われそうです。
野中:
この前、私のゼミの一期生だった米空軍のジェネラル、米海兵隊ナンバー2、航空自衛隊のナンバー2たちと会う機会がありました。私が海兵隊の彼に「あなたの組織はいつも新しいコンセプトを出すが、なぜなんだ」と聞いたら、「海兵隊は存在意義そのものが常に危機にさらされている組織なんだ。だから俺たちのパーパスは何なのかについていつも考え、対話せざるを得ないんだよ。対話にはコストはかからないからね」と言うんですよ。参りましたね。
浅岡:
まさに対話が新しい知を生み出すのだと感じます。私も大学で教えるときは学生に「講義内容についてあなた方がどう感じるかを述べなさい」と言っています。稚拙だろうが間違っていようが構わない。あなたの価値観から見て思ったことをぶつけなさいと。私の価値観も少し変わるかもしれない。そうやって人間同士の成長のスパイラルになっていくんですよ、と伝えています。1対1のぶつかり合いの場があるから新しい知をつかめるし、新しい知が生まれれば場全体の集合知になる。
松田:
そもそも生き物は不完結なもの。自分だけでは生きられない。「取り込む、流れる」という大きな流れのなかに生命があります。組織も同じです。1人では目的を成し遂げられないということを自覚した瞬間、他者の存在が不可欠になるわけですね。だから自分や組織は他者をよび込む「場」になる必要がある。
そこでは他者に役割が与えられ、他者から見た自分にも役割が与えられる。他者も自分もそれぞれ主役になって即興劇を演じていく。そして1人では見られなかった新しい未来が生まれていく。即興劇を繰り返すなかで成長のスパイラルが生まれます。知的コンバットはまさに、即興劇なのではないでしょうか。
―育児や介護などで長時間にわたる知的コンバットが難しい人もいますが、時間の使い方を変えるしかないでしょうか。
浅岡:
企業が勤務時間内に知的コンバットのプロセスをいかに組み込むかがポイントです。経営者がそこに気づかないと永遠に変わらない。作業を詰めて時間内にやれ、というのは時代遅れだと思いますね。
野中:
もう1つの解決法は書くこと。先ほどのアイリスオーヤマの ICジャーナルのように、日々の反省も含めて自分の感じたことを書く。
フッサールは速記能力も凄かったらしい。人と話をしていても内容を全部速記してしまう。そして後から整理するんですね。イスラム研究家の井筒俊彦氏も、人間のもっとも奥底にある無意識の暗黙知を触発するには書くことだと言っていますね。書く行為は脳のもっとも深いところを直接刺激します。
浅岡:
先ほどの「意味」のお話ですが、1つ重要なポイントに時間軸があるのかなと感じます。未来創造という言葉は最近の流行りですけれども、未来創造というものがそもそも存在しているわけではない。我々は自分の理念を実現するために前を向き、意味を創り出しながら進んでいきます。それが本来の未来創造、未来経営だと思うのです。
野中:
そうです。フッサールの現象学のキーポイントは志向性なんです。我々は無意識的・意識的に関わらず、常に前に向かって意味を求めている。一見、数値を求めているようですが、そうじゃない。数値の背後にある意味を探しているのです。
おっしゃったように、我々は「幅のある現在」に生きています。過去・現在・未来が臨在する「いま」において、意味を創り出すことで未来創造していると思います。
松田:
ロボットを動かすためのアルゴリズムを書くと、未来創造の原理がよくわかります。ロボットを歩かせるという単純な動作であっても、坂道を登るのか、砂利道を歩くのかでその動作は大きく変わります。他方、人間は常に目の前の環境とうまく関係を創るかのように、坂道でも砂利道でも適切な体の動かし方を、その場その場で創り出す。環境と自分がペアになって、知的コンバットをするかのように動作を新しく創造するからこそ、どんな道でも歩ける。未来創造とはそのように動作を創り出すことであり、ペアとの共感もそのようにして起こると考えられます。
そうした共感が起こる組織、未来創造のために必要なリーダー像とはどのようなものか、最後にお教えください。
野中:
動きのなかで意味、本質、真理を見る“ワイズリーダー”が必要です。机上で分析していてもダメ。
MBAの最大の問題は分析麻痺をつくったことでしょう。数値だけでは本質は見えない。物語も数値も両方見て、動きながらダイナミックに俯瞰する。そして文脈に応じて Just
rightの判断をしていく「フロネシス(実践知)」を備えてほしいですね。
※本鼎談の長編が、書籍『デジタル×生命知がもたらす未来経営』(1月末発行予定・松田雄馬氏・浅岡伴夫氏著)に掲載されます。ぜひご覧ください