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私らしく生きる 第24回 好きなことを見つけることで息苦しい「世間」を私らしく生きる 鴻上尚史氏 劇作家・演出家

編集部より

Learning Design最新号からスタートした中原淳教授の新連載「プロ指導者の流儀」
記念すべき第1回目にお話を伺ったのは、劇作家・演出家の鴻上尚史さん。数々の舞台を手掛け、海外でも演劇を学んだ鴻上さんが、演出家としてチームをまとめ、役者と接するときに大切にしていることについてお話しいただきました。
そこで今回は、連載「私らしく生きる」にて、鴻上さんにご登場いただいた記事をピックアップ!
日本人が抱える生きづらさについての見解には、多くの方が共感できるのではないでしょうか。ぜひご一読ください。

鴻上尚史 氏

劇団「第三舞台」の旗揚げ以降、劇作家・演出家として幅広く活躍してきた鴻上尚史さん。
近年、「世間の同調圧力」に警鐘を鳴らし、様々な悩みを抱える人たちが生きやすくなるための人生相談も人気を博している。
そんな鴻上さんが、コロナ禍のビジネスパーソンに向けて語る、私らしく生きるためのヒントとは。

[取材・文]=平林謙治 [写真]=中山博敬



日本の会社には「世間」がある

―― 長引くコロナ禍で「世間の息苦しさ」を痛感した、という声をよく耳にします。鴻上さんはそれを日本の個と集団の特有の問題として、コロナ禍以前から、演劇や著作などで指摘されていました。

鴻上尚史氏(以下、敬称略)

いわゆる「自粛警察」も「SNS炎上」も、全体の“空気”に従えという「同調圧力」が、コロナ禍で暴走した結果に他なりません。日本はもともと、世界でも突出して同調圧力の高い国なんです。そして、それを生む根本には「世間」とよばれる日本特有のシステムがある。僕はそう考えて、10年以上前に『「空気」と「世間」』(講談社)という本を出しました。そのとき、一番反響が大きかったのが、実はビジネスパーソン。特に大企業で働く人たちだったんです。



―― 会社にも「世間」があり、同調圧力が生まれやすいと。

鴻上

そうでしょうね。「世間」を構成する特徴の1つは「同じ時間を共に過ごす」ことにありますが、日本型の会社組織って、まさにそうじゃないですか。会議がダラダラと何時間も続くのは、同じ時間を共に過ごすことが仲間の証、連帯の表明だから。逆に、15分で重要事項がサクサクと決まったりすると、何か物足りないんですよね(笑)。

残業する必要もないのに、上司が帰るまで帰ろうとしないのもそう。自分だけの時間意識を生きることはまかりならんという「世間」の同調圧力に、日本人は職場でもさらされ続けてきたわけです。しかし、コロナ禍を機に“救世主”が現れました。リモートです。



―― 確かに、リモートで何時間もダラダラと会議をするわけにはいきません(笑)。

鴻上

ただ、リモートの会議でも、訳のわからないルールを押し付ける勢力がいたことが一時話題になりましたよね。Zoom画面のここが“上座”だとか、上司が退出するまで退出しちゃいけないとか。僕は、そういう「謎ルールが多い」ことも、「世間」の特徴の1つだと考えています。

謎ルールが多い集団ほど、「世間」が強く残っている。ルールも時代とともにアップデートしなきゃいけないのに、対応できていないということでしょう。



「ゼロか100か」で考えない

―― コロナ禍も3年目に入りました。「世間の息苦しさ」に対する人々の意識に変化は見られますか。

鴻上

この国の同調圧力について、人々が気づき始めたことが大きいと思います。じゃあ、コロナ禍が落ち着いてきたらどうなるのか。流れは2つあって、たとえばリモートに関していうと、全面的に解除しようとする流れと、必要に応じて対面とリモートを使い分けようという流れですね。要は、すべてが元通りか、一部でも変革を進めるか。いま、その分岐点に来ているんじゃないかな。



―― 慣れ親しんだ方法がいいという人は案外多いのかもしれません。

鴻上

何でもそうだけど、「ゼロか100か」じゃないと思うんですよ。今年で17年目に入った『COOL JAPAN』というNHKの番組で、ある外国人が言っていました。

初めて日本企業に転職したとき、その日のうちに歓迎会が開かれて、本当に感激したと。入社当日に部署の全員と知り合えるなんて、世界のどこにもない、すごいシステムだと驚いたらしいんですね。ところが、次の日にまた「飲みに行こう」と、当然のように誘われた、それが理解できませんと。日本のカイシャ文化への評価が1日で180度変わってしまったわけです。



―― 何にでも一長一短がありますからね。

鴻上

欧米の商談は“51対49”で勝てばいいといわれます。ゼロか100かでは次につながらない。相手にも花を持たせつつ、きわどい勝負を何とか有利に持ち込む。そんなタフさを、僕らも身につけるべきなんです。

「リモートor対面」の議論もそうです。「この仕事はリモートでも大丈夫」「この件は対面で話すべきでは」と都度判断し、意見が食い違ったら、粘り強くすり合わせていくしかありませんよ。ビジネスパーソンのマインドセットが、そうやって少しでも自由にタフになれば、息苦しさも和らぎ、この国は良い方向に変わっていくんじゃないでしょうか。



リーダーは情報を流通させよ

―― 劇団「第三舞台」の結成以来、数多くの演劇の現場を率いてこられました。リーダーシップについてのお考えもお聞かせください。

鴻上

リーダーシップとは何ぞやと聞かれたら、僕は「情報を共有し、流通させる能力」と答えます。たとえば、演出家は演技について、なぜそうするのかを俳優たちに納得してもらわなければなりません。自分はこの作品をこう描きたいから、ここではそういう演技が必要なんだと。もっといえば、劇団の経営が厳しいから、観客をつかむためにこういうことをしたいとか、マイナス面まで含めて有り体に説明し、情報共有を図ることが大切なんです。

企業のリーダーも同じでしょう。チームがどういう状況なのか、なぜその業務が必要なのかを伝えた方がいい。進んで情報を流通させ、チームの風通しにたえず目配りできるのが、正しいリーダーシップの在り方だと僕は考えています。



―― 現在はプロデュース公演が中心。チームが毎回変わりますね。

鴻上

僕が「第三舞台」を解散したのは、劇団の役者と“ツーカー”の仲になっていたから。現場で情報を共有・流通させるというリーダーの役割を果たす必要がなくなり、僕の演出家としての言葉がどんどんやせ細っていったからです。

おっしゃるとおり、プロデュース公演になるとメンバーが毎回変わるので、そのたびにいろいろなことを一から真摯に伝えなきゃならない。僕自身の言葉を鍛え直すのに、これ以上の稽古はありません。



―― 鴻上さんにとって理想の演出家とは?

鴻上

演出家と俳優が議論を重ねて、結果的に俳優が選んだ方向が演出家が進んでほしいと思う方向と一致している演出家、それが僕の理想ですね。演出家と俳優、双方が満足する結果を出せること――逆に言えば、俳優が自分は我慢しているのだと不満に感じるのではなく、自分のアイデアから導かれたのだと納得できる流れをつくれる演出家です。

演劇の現場にはよく、若い俳優に進んで演技のコツを伝授したがる面倒見のいいベテランがいますが、実はこれが危険でね(笑)。若手から自分の頭で考える経験や感覚を奪ってしまうんです。皆さんの職場にもいませんか。そんな“教えすぎる”上司やリーダーが。



芸術は不急だが、不要ではない

鴻上

とはいえ、何でも自分の頭で考えるというのは、やはり骨の折れることです。実際、演劇の現場にも「世間」が存在し、「長いものには巻かれろ」という同調圧力を生むことが珍しくありません。外国人の演出家が僕によく言うんですよ。「日本の俳優は本当に演出しやすい」って。ここで笑ってと指示すると、笑ってくれるから。アメリカでもイギリスでも、向こうの役者は「なぜだ、なぜ笑わなければいけないんだ?」と聞いてくるんですね。この場面はこういう状況で、こういう感情だから笑うんだと、演出家が説得できれば笑ってくれるけど、納得しなければ絶対に笑わない。



―― 日本人だと納得できなくても、つい従ってしまいそうです。

鴻上

場の空気を読んだりしてね。「わかりました」ってなりますよ。だけど、そんな従順な僕たち日本人も、無自覚に従ってばかりいては生きていけない、自分たちの大切なものを守れないんだということが、今回のコロナ禍ではっきりわかったんじゃないでしょうか。

一昨年2月末に、政府から突然の自粛要請を受けて以来、公演の中止延期が相次いだ舞台芸術業界では、みんなで窮地を脱するために「緊急事態舞台芸術ネットワーク」という組織を立ち上げました。僕たちは、要請にすべて反対したわけじゃありません。感染対策にも協力し、従うべきルールには従うけれど、同時に補償もセットで出してほしい。そう訴えてきたわけです。



―― やはり「ゼロか100か」では解決しないと?

鴻上

そういうことです。ところが自粛要請が出た当時、「舞台芸術は不要不急なもの」という世情の同調圧力も強まりました。これは僕たちからするとゼロです。全否定です。演劇を含むすべての芸術は「不急」かもしれないけれど、「不要」ではありませんからね、絶対に。



「好き」が人をタフにする

鴻上

「おまえたちは好きなことをやっているんだから黙っていろ」みたいな声もありました。こういう声が上がるのは、裏を返すと、自分は好きなことをやっていないと思っている人が、それほど多いということでしょう。それはとても悲しい現状です。「ブルシット・ジョブ」(=クソどうでもいい仕事)という言葉が注目されていますが、地位や給料が高い人でも自分の仕事をブルシット・ジョブだと卑下しているということも多いようですから。

また、「好きなこと」という言葉の解像度も粗い。僕は確かに演劇をやっていますが、すべて自由に好き勝手できるわけじゃない。どこそこの事務所が、役者が、といった煩雑な調整も多いですし、好きにできる楽しさは10%くらいじゃないかな(笑)。

その解像度の粗さの理由は、そもそも、日本人が忙しすぎることにあるんじゃないかと思います。好きなことをやる・やらないの前に、自分が本当は何が好きなのか見つめ直す暇もない。芸術へのバッシングの原因も、その辺にあるのかもしれません。



―― 「好きなこと」が見つかれば、私らしく生きることにもつながるのではないでしょうか。

鴻上

それが一番ですよ。数年前に『不死身の特攻兵』(講談社)という本を出しました。9回特攻に出て、9回生還した佐々木友次さんという方の実話ですが、当時21歳の佐々木さんは上官に「体当たりして死ななくても、爆弾を命中させて帰ってくればいいじゃないですか」と主張し、実行し続けたんです。軍という同調圧力の塊のような世界で、どうしてそんなことができたのか。彼はただ、空を飛ぶことが好きだった。飛んでいられるだけで幸せだったから、一度で終わりたくはなかった。それが生還できた理由です。「好き」は、人をここまでタフにしてくれる。すごいパワーなんです。

一方、優秀なビジネスパーソンほど、自分をないがしろにしてしまっていることもあるんじゃないかな。相手の求めるものを最優先する、という生活を何十年もやっていたら、自分が好きなことが何なのかわからなくなるのは当然です。

そうした方々が役目を終えたときに、「自分は何をしたかったんだろう」とならないよう、今から、自分はそもそも何が楽しみなのかを考えることが大切なんだと思いますよ。

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