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人的資本経営に沿った
正しいリスキリングの作法
佐宗邦威氏×後藤宗明氏対談

多くの企業がDX推進に取り組むなか、「リスキリング」に注目が集まる。技術革新に伴う環境変化に適応できるよう新たなスキルや知識を得ることで、人的資本経営に必須の戦略として挙げられる。しかし正解が見いだせず、目的が曖昧なまま施策化してはいないだろうか。こうした現状に、『リスキリング』の著者でありジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事の後藤宗明氏は警鐘を鳴らす。戦略デザインファームBIOTOPE CEOの佐宗邦威が、人的資本経営の切り口で国内におけるリスキリング事情と課題について後藤氏にたずねた。

後藤宗明(ごとう むねあき)氏
一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ 代表理事
SkyHive Technologies 日本代表
早稲田大学政治経済学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。営業、マーケティング、教育研修事業を担当し、2001年に渡米し、2008年に帰国。米国NPOの日本法人設立に貢献、フィンテック企業の日本法人代表などを経て、アクセンチュアにて人事領域のDXと採用戦略を担当。自身のリスキリング経験に基づき、2021年にジャパン・リスキリング・イニシアチブを設立する。石川県加賀市「デジタルカレッジKAGA」理事、広島県「リスキリング推進検討協議会/分科会」委員、経済産業省「スキル標準化調査委員会」委員などを歴任。著書に『リスキリング』(JMAM)。

佐宗邦威(さそう くにたけ)氏
戦略デザインファーム BIOTOPE CEO / Chief Strategic Designer
東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科(Master of Design Methods)修士課程修了。P&Gにて、ファブリーズ、レノアなどのヒット商品のマーケティングを手がけたのち、ジレットのブランドマネージャーを務めた。ヒューマンバリュー社を経て、ソニークリエイティブセンター全社の新規事業創出プログラム(Sony Seed Acceleration Program)の立ち上げなどに携わったのち独立。デザインの力を経営に活かし、企業理念やビジョンづくり、創造する組織文化への支援を得意としている。著書に『直感と論理をつなぐ思考法~ VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)等。多摩美術大学特任准教授、大学院大学至善館准教授。

[取材・文]=たなべやすこ [写真]=山下裕之

現状と将来のスキルギャップを埋める組織戦略

佐宗

後藤さんは、リスキリングを支援する団体を運営しているそうですね。

後藤

日本でのリスキリングの普及と、企業や団体への支援、国への政策提言などを行う目的で、2021年に立ち上げました。私は大学卒業後に日系のメガバンクに就職してから、2001年には渡米して起業したり、帰国してからも非営利団体やスタートアップの日本法人を立ち上げたりなどしてきました。そして40歳を過ぎ、私はこれまで働いたことのないテック業界への転職を図りました。このときの経験が元になり、活動を続けています。

佐宗

改めて確認なのですが、リスキリングはどう定義できるのでしょうか。

後藤

先日出版した拙著『リスキリング』では、「新しいことを学び、新しいスキルを身につけて実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」と説明しています。注意したいのは、テクノロジーの発達や産業構造の変化に伴って、成長事業への労働移動が発生するという点です。新しい環境に適応するには、これまでの業務で培われてきたスキルや能力だけでは通用しなくなる。つまり、スキルギャップが発生するのです。このギャップを埋める取り組みが、リスキリングというわけです。

佐宗

欧米ではいつ頃から注目され始めたのでしょう。

後藤

IoTやAIなど、第四次産業革命の萌芽が現れ始めたタイミングで徐々に動きはありました。決定的だったのはイギリスのオックスフォード大学のマイケル・オズボーン教授らが2013年に発表した、『雇用の未来』という論文です。技術革新により仕事が自動化され、今後10~20年の間にアメリカの労働者の47%が職を失う可能性を述べたものでした。
オズボーンらが描いた未来は、現実化しつつあります。銀行はオンライン化が進んで実店舗が減り、小売店ではセルフレジや無人店舗が増えています。税理士の仕事ですら、コンピューターによる自動化が進んでいます。
スキルギャップを放置しておけば、当然ながら職を失う人が大量に発生し、経済格差が深刻化することでしょう。そこでアメリカでは国と企業が協力しながら、積極的なリスキリングを図ってきました。すなわち政策や企業戦略として、リスキリングが扱われてきたのです。

「リスキリング=学び直し」ではない!?

佐宗

今日本でよく言われている、“学び直し”のニュアンスとは少し趣が違いますね。

後藤

おっしゃる通りです。私は「リスキリングは他動詞だ」とよく説明します。昔、英語の授業で基本5文型を習ったでしょう。あれに当てはめると、リスキリングをV(動詞)としたとき、“技術的失業のリスクが高い人たちに”、“デジタルテックのナレッジや技術を”というように、必ずO(目的語)がセットで後ろについてきます。では肝心のS(主語)はというと、企業や国になる。自己責任の風潮の強いアメリカですら、デロイト・トーマツの調査によれば73%が「リスキリングは組織主導でやるべき」と答えています。

佐宗

意外ですね。

後藤

デジタル分野の職業が今後1.5倍増えると言われていて、その領域の人材が圧倒的に足りません。日本も例外ではありません。ましてやスイスの国際経営開発研究所が発表した「デジタル競争力ランキング」では、日本は63カ国中29位と後れをとっています。特に、国際経験やビッグデータの活用・分析、ビジネス上の俊敏性では対象国のなかで最下位だそうです。
ところが日本のリスキリング事情はどうでしょう。もちろん国もリスキリング政策を打ち出していますが、個人の学習支援の範疇にとどまっている。しかし本来のゴールは労働移動ですから、ものすごく違和感があります。

佐宗

どうして欧米と日本では、リスキリングの解釈が変わってしまったのでしょう。

後藤

「リカレント教育」と混同してしまっているのです。2016年から17年にかけて、日本でも一大ブームとなったリンダ・グラットン教授の著作『LIFE SHIFT』で生涯教育の一つの手法としてリカレント教育に注目が集まりました。
学校を出た後もそれぞれの必要なタイミングで教育を受け、仕事と学びを生涯絶えず繰り返すという考えで、それ自体は私たちを待ち受ける100年人生の充実を図るうえで、とても大切なことです。もちろん学びで得た知見やスキルを、仕事に活かす場合もあるでしょう。
けれどもリスキリングの世界線はより現実的で、業務に直結するスキルを習得するという点で大きな違いがあります。能力開発のひとつであり、生涯学習のように教養や興味を深める学びとは一線を画します(図1)。
そもそも“学び直し”とは、一度学んで忘れたことをもう一度学習することですから、二重の意味で誤解が生じているのです。

佐宗

リスキリングを実践することは、ハードなコミットメントが必要な取り組みなんですね。

後藤

しかし正しく取り組めば、経済効果はとても大きい。PwCのデータによれば、リスキリング投資によって、全世界のGDPは2030年までに6.5億ドル押し上げられるそうです。日本だけ見ても、今後10年間で1.7~2%の成長率を見込めるとされています。
働き手側にとっても、キャリアアップにつながります。アメリカのテック会社の分析によれば、ヘルプデスクのオペレーターが、リスキリングを経てカスタマーサクセスのマネジャーへと昇格を果たせば、2倍以上の報酬が見込めます。市民の所得が上がれば国全体が豊かになりますから、リスキリングはやはり国や企業の施策として考えるべきでしょう。

雇用確保や事業転換を成功させるリスキリング

佐宗

企業でリスキリングを成功させるには、何がカギになるのでしょうか。

後藤

国内外の様々な組織のリスキリング施策を調べると、成功例には図2のような共通点があります。このポイントを押さえた好例が、アメリカの通信大手AT&Tです。同社は長距離通話やインターネット、携帯電話などのハードウェア主体の会社でしたが、iPhoneの登場を契機にコンテンツを中心としたソフトウェア事業への転換を決めます。これに伴い10年後には従業員10万人分の仕事がなくなると試算し、リスキリングを図りました。

佐宗

どのような成果が得られたのでしょう。

後藤

オペレーション部門では45%の社員が配置転換に成功し、リスキリング人材の昇給、昇格につながりました。成長環境を与えてくれたと、会社に対するエンゲージメントが高まり、離職率も低下したそうです。従業員数はリスキリングを開始した当時と比べて、1万人減に抑えられています。10万人が職を失うとされたなかでは、うまく労働移動が行えたといえるでしょう。何よりテレビや映画事業にも乗り出し、通信業界では売り上げで米国トップとなるなど、企業として事業転換を図れたのは大きな成果です。

佐宗

日本の企業でうまくいっているケースはあるのでしょうか。

後藤

AT&Tのような大規模な事例は、残念ながらありません。ただ金融大手が行うRPA導入支援の子会社をつくり、本体から社員を出向させてデジタルマーケティングのコンサルティングスキルを習得し、収益部門に異動させる取り組みには注目しています。
また意外と中小企業で、興味深い動きが見られます。ある印刷会社では業務時間の20%をリスキリングに充て、Webマーケティング、動画制作などのデジタル事業を始めています。少し前に独自の客室管理システムを開発したことで話題となった温泉旅館は、今ではデジタル事業が旅館サービス業と並ぶ事業の柱となっています。またあるクリーニング店では、副社長が自ら業務システムを開発し、デジタルツールの活用やオペレーティングの自動化を図ってきました。長く働く社員からは強い反発があったものの、型落ちのiPadを貸し出し、自宅でYouTubeを観るなど自由に使ってもらうことでAIやSkype、チャットボットなどのツールへの抵抗感をなくしていったそうです。

教育になってはNG 研修信仰と人的投資の危うさ

佐宗

ここまで話を聞きながら、少し解せないところがあるんです。さきほど紹介いただいたAT&Tの例で、事業転換の話がありました。私が働いていたソニーも同様で、ビジネスの転換を図る過程で組み込みエンジニアが多いなか、ソフトウェアエンジニアをどう育てるかといった課題がありました。このときソニーには若い人材が学び、価値を生み出すという文化が根づいていて、うまく転換できた背景があります。
何が言いたいかというと、イノベーションを生むのは人だということ。組織は個に眠る能力を活かし、機会を与えることが大切で、教育では新しい事業は生まれないものです。
※ 家電などの電気製品の中に組み込まれたコンピューター上のシステムを構築するエンジニアのこと。

後藤

はい、おっしゃる通りですね。

佐宗

価値を生み出せる人は、自分から学び取る力がある。周りから強制されなくても自然と必要な学びを得て、価値創造へと昇華させることができるんですよね。先の説明に対するモヤモヤは、おそらく全社としてのリスキリングの取り組みは、イノベーターを支援するのではなく、オペレーション能力を高める結果につながると感じたからでしょう。この形でリスキリングを進めても、本当の意味での価値創造にはつながらないのではないでしょうか。

後藤

リスキリングにも、攻めと守りの側面があると感じています。技術的失業に対応するリスキリングは、雇用を守る装置にあたります。このためオペレーションの毛色が強くなる。
しかし優秀人材の押し上げを目的とした攻めのリスキリングもあると思います。イノベーション人材をどう開拓し、能力を発揮できるよう学びや能力開発をどのように支援するかを考えていくことも同時に必要となるでしょう。

佐宗

なるほど。リスキリングを図るにあたり、一方的な教育になってはダメなんでしょうね。今の国内でのリスキリングの議論は、研修やeラーニングといった学習コンテンツをどうするかに終始しがちだけれども、労働移動やイノベーションの観点でいえばかなり危うい。リスキリングにある本来の意図を、はき違えてしまう可能性が高いと。

後藤

まさにそうだと思います。

佐宗

先日、この連載の取材で丸井グループに伺ってお話を聞きました。同社は人的資本のなかに、新規事業への投資を研修費と同じ並びで入れています。真っ当なやり方だと感じ、感銘を受けました。確かに人への投資として、研修も欠かせない要素です。でもスキルを活かす機会があって、初めて新たな価値が生まれるもの。教育や研修だけでは何も生まないのです。
特に従業員が好きに学ぶというやり方では、受講するのは時間のある人ばかりになるし、個人の学びのレベルに終始してしまう。現状の“学び直し”から想起されるリスキリングだと、うまく機能しそうにないですね。

後藤

そうなんです。そこが、私がもっとも懸念しているところです。


リスキリングの成否を左右する事業ビジョンの重要性

佐宗

人的資本経営に絡めてリスキリングを捉えると、改めて事業ビジョンの重要性を感じます。結局のところ会社の明確な将来像がないと、どういう人やフューチャースキルが必要で、どう発掘し、育てていこうかという方向が定まらない。ビジョンから働く人の像を落とし込まないと、「デジタルシフトしなければ」といった曖昧な動機でのリスキリングになってしまう。これでは労働移動につながらないし、学びが仕事に転嫁されない。

後藤

まさにおっしゃる通りで、リスキリングは人的資本経営の手段なんです。パーパスやバリュー、組織文化といった上流から下ろしてリスキリングを考えていかないと、投資した割に成果の薄いものになってしまうと思います。

佐宗

これまでなら「こういう事業をやるから、工場や設備の設置にいくらかける」というように、Howの話で済んでいました。でもこれからは、個のアイデアが湧き出て、共創が生まれ、速くアウトプットできる組織や人の仕組みに対しての投資が大事になってくる。それも中長期的に。
特にイノベーション人材は異端な存在だから、全従業員向けの平均的な施策では能力開花は難しい。でも人事には広くあまねくという考えが強く根付いているから、特定の人に向けた施策は苦手ですよね。もしイノベーションを目的にリスキリングを進めるなら、人事はイノベーションが起こる現場に入り込んで、スキルやコンピテンシーを見いだしていく必要がある気がします。

後藤

そもそも巷で議論されている人的資本経営も、ISO 30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)から派生していて表層的な部分に終始しがちです。本来ならばこれからの時代に沿った、よりよい組織のデザインや在り方から考えていくことが重要です。そうした本質的な人的資本経営やリスキリングを、人事の皆さんに考えていただきたいと思っています。