人事制度解体新書 第22 回(最終回) タカノ 製造業ではなく「創造業」。 新規立ち上げと人材育成を兼ね、 大学に人材を派遣

企業の付加価値を高めるのは人材である、という考えに異論を挟む人はいないだろう。しかし、タカノのように新規事業開発のために5年間も大学に社員を派遣しているケースは、あまり聞かない。その真の狙いと成果のほどはどうなのだろうか? 前社長で新規事業の立ち上げを推進し、同社躍進の礎を築いた堀井朝運あさかず氏に、詳しい話を伺った。
下請け会社から“創造業”へと躍進

現在でこそ、東証1部に上場し、ベンチャーマインドあふれる企業と知られるタカノであるが、設立された1953年当初は、ばね製造の下請け会社であった。その後、62年に椅子の製造、さらに82年にはエクステリア事業にも参入していったが、OEM(相手先ブランドによる生産)と名は変えたものの、下請けという実態に変わりはなかった。
「下請けのままでは、常に発注する側の都合に左右されてしまい、本来の会社経営とはほど遠くなってしまいます。どのような小さな分野でもいいから、新規事業分野を持ちたいと考えていました」と語るのは、同社2代目の代表取締役社長で、現在は相談役を務める堀井朝運氏である。
堀井氏が第2代社長に就任したのが88年のこと。それまでは、創業者である鷹野忠良氏が社長を務めていたが、新規事業の展開も含めて、近代的な経営を推し進めていくことが、同社の大きな課題であった。そして、堀井氏が副社長に就任した83年ごろから、下請けではない新しい分野に進出し、自社商品の開発を積極的に仕掛けていくことになる。新たな飛躍を目指し、「新規事業開発担当部門」を設置、新製品・新市場開発への取り組みを強化していった。
そこで最初に手掛けた自社ブランド製品が「電磁アクチュエータ」である。紙幣や硬貨を仕分けするATM(現金自動預入・支払機)などに用いられる駆動部分だ。
ところで、新規事業に参入する時には、同社ではマーケティングと技術評価を外部の調査機関に依頼することになっている。その際、この分野は規模が小さく、事業として取り組まない方がいいのではないかという指摘を受けた。しかし、競争会社は少なく、初めて取り組むのにはちょうどいい分野ではないかと堀井氏は考えた。
「何しろ、それまで自前で一般製品を売った経験がありません。当然販売力もない。ただ産業用製品なら、販売力のなさもそう大きな問題とならないでしょう。大手企業に売れれば、その評判で他社にも販売可能と考えました。懸念はありましたが、製品開発を進めていきました」(堀井氏)

さらに、技術評価をした結果、市場には既に同様のものがあったものの、それは同社の考えているものとは仕組みが違っていたので、いけるという判断もあった。その後、電機、精密機器メーカーなどに向けて、高速・大トルクで耐久性に優れた製品を開発し、結果的にこの分野での高いシェアを占めることに成功した。
「当時は、トップセールスとして、各企業を回っていきました。その後、入社3年目の若手社員が一生懸命に営業を行い、何と1億円を売り上げました。それによって事業にも弾みがつき、売り上げが急増。この成功により、新規事業がいけそうだとういう感触を強く持ちました」(堀井氏)
これを契機として、次はCCDカメラを用いた「画像処理検査装置」を開発、エレクトロニクス事業分野へと本格的に進出することとなった。まさに、それまでの下請けから、“創造業”へと大きく扉が開いていった(図表1)。
新規事業と人材育成を相乗効果として結び付けていく

とはいえ、画像処理を始めた87年当時は、エレクトロニクスのことをよくわかっている人材がいなかった。そこで信州大学に相談にいったところ「市場にまだない装置だから難しい」と断られてしまったが、何とか頼み込んで委託研究の形にして、社員を大学に派遣することとなった。その結果、2年半をかけて画像処理検査装置を開発。以後、画像処理検査分野の機能の向上と用途の拡大を図り、現在では「エレクトロニクス・ディスプレーの検査装置」「原子間力顕微鏡」など、数多くのハイテク製品をラインアップするまでになった。
「エンジニアは技術にこだわりがある反面、事業として考えることが苦手という傾向があります。エンジニアも営業開発部所属ということで一緒に営業へ行き、お客さまの話を聞き、それをフィードバックして新しい製品の開発をするといったスタイルにしていきました」(堀井氏)
それ以降、新製品開発時には、必ず大学などの研究機関に派遣するようにした。当時はバブル景気真っ只中で、大卒者の採用が非常に難しかった時代。ましてや、技術系でエレクトロニクスを専攻しているような学生はなおさらである。だから大学と提携し、エレクトロニクスに関する技術開発を行うことを考えたのである。研究機関へ社員を派遣し、アウトソーシングによる新規事業を開発する手法は、その後も積極的に進めており、同社の人材育成にも大きく寄与している(図表2)。