人材教育最前線 プロフェッショナル編 社員の「こうなりたい」を引き出し 支援するのがキャリア開発
2004 年、人材育成型成果主義による人事制度を全社員に適用させた森永製菓は、多彩な教育プログラムを社員のキャリアデザインに応じて受講できるよう再構築した。社員1人ひとりが「なりたい自分」を描き、それに向かって自己実現を果たすために、自らの意思で最適な教育メニューを受講していく環境を整備したのである。その中核を担う「キャリア開発研修」を企画し、講師役を務める業務推進本部人材開発センター長の曲尾実氏に、キャリア研修実現に対する想いを伺った。
社員の能力開発の根本はキャリア開発支援
森永製菓は、2006 年に従来の教育制度を改革し、キャリア開発支援を中心とした人材開発制度を整備した。社員1人ひとりのキャリアプランを支援するために、実践を通して学ぶOJT、階層別研修などのOff-JT、そして通信教育などの自己啓発といったすべての教育メニューを再構築したのである。
注力したのは、明確なキャリアを描くための支援体制だった。そのために新たに設けられたのが、キャリアデザインのためのサポート体制である。従来から行ってきた上司とのキャリア開発面談に加えて、キャリア開発研修をスタートさせた。さらに2007 年6 月には、キャリア相談室を開設。これらを実現させたのが、業務推進本部人材開発センター長の曲尾実氏である。
曲尾氏は、「社員の能力開発施策の根本はキャリア開発支援施策である」という想いから人材開発部への異動を希望。自ら関係者に働きかけてようやく異動を現実のものとし、キャリア開発研修をスタートさせた。さらには、キャリア開発研修の講師役を務めるためにキャリアカウンセラーの資格を取得。現在は法政大学大学院でキャリアデザイン学を専攻している。その意味では、自身のキャリアデザインを見据えた自律型社員のあるべき姿ともいえる。
このままでいいのかと考え始めた40 代
もっとも、曲尾氏が自身のキャリアデザインを意識したのは40歳を過ぎてからだった。「このままでいいのかと自問自答したのです。自分は何ができるのか、何がしたいのか」と、曲尾氏は当時を振り返る。
曲尾氏が森永製菓に入社したのは1973 年である。
「新入社員ですから大した仕事はしていなかったと思うのですが、当時から自分も組織を動かす一員なのだという実感や、与えられた仕事をやり遂げる達成感を得ることができました。しかもそれで給料ももらえるということで、非常にやりがいを感じていました」
入社後、配属されたのは経理部だった。5年後に食品営業部へ異動となる。さらに2 年後、マーケティング部へ異動。こうした10 年の本社勤務を経て、1982 年、九州に転勤となる。小倉、大分の各支店で現地セールス業務、そして九州総括支店で営業を担当し、情報システム部へ異動。再び本社へ戻ったのは1991 年、40歳の時だった。
「30代後半から、漠然とした不安は感じてはいましたが、40 代を迎えると、それはもっと切実になってきます。それまでのキャリアは、すべて会社のローテーションに合わせたものでしたから、自分はこれでいいのかという思いが湧いてきたのです」。とはいえ、仕事は面白く、充実感が損なわれていたわけでもなかった。
1995 年からは菓子営業部営業開発担当となる。業務は営業支援で、販促物企画作成、提案型営業のためのデータ提供と「エンゼルメイト」と呼ばれる婦人販促部隊の管理・育成だった。「エンゼルメイトは全国に約300 人います。主にスーパーなどを回り、販売促進や商品の陳列応援をしてもらうのが仕事です。当社の営業にとっては非常に大切な戦力であるこの方たちの雇用管理、報酬管理そして能力開発の担当になりました」
エンゼルメイトは準社員だが、ほとんどの人がフルタイムで意欲的に仕事をしている。そうした働きぶりを踏まえたうえで、待遇改善や教育体制の整備を行った。「頑張ったら頑張っただけ報われるような仕組みを考えました」と曲尾氏。そして、彼女たちに森永製菓の企業理念や活動姿勢を理解してもらうため、またセールスの方法やお店の方とのコミュニケーションの手法などを伝えるための教育制度も構築した。2000年からは営業部内の研修担当となり、全国のセールス担当者やエンゼルメイトの研修を実施するようになる。49歳の時だった。
営業部でこうした研修の仕事を続ける中で、曲尾氏はだんだん人材育成や能力開発へ関心を持つようになっていった。
「自分はあと何年頑張れるのか、を真剣に考えるようになっていました。また、アセスメントや性格検査の結果からも、自分は能力開発や研修支援の仕事に就いたほうがいいと思うようになりました」