J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2016年09月号

Story 2 プレーを離れたことで見えてきたもの 車いすから発揮されるリーダーシップ

2015年度の全国高等学校ラグビーフットボール大会、通称「花園」の舞台で、車いすに乗った1人の選手の姿が話題となった。練習中の事故による四肢麻痺というハンディを負いながら、名門校のキャプテンとしてチームを支えた金澤功貴氏だ。
スポーツのキャプテンというと、チームの先頭に立って体を張る姿をイメージしがちだが、車いすの彼はどうやってキャプテンシー・リーダーシップを発揮したのか。
摂南大学に進学して、現在もラグビー部に籍を置く本人に話を伺った。


金澤功貴(かなざわ こうき)氏
摂南大学 ラグビー部

1997 年生まれ。中学時代は吹田ラグビースクールでフォワード選手として活躍し、大阪府スクール選抜キャプテンにも選ばれる。その後、常翔学園高等学校に進学するも、1 年の夏合宿で大ケガをして四肢麻痺に。車いす生活が続く中、3年の時にキャプテンとして花園に出場、話題を集める。2016 年4月に摂南大学に進学、法学部法律学科で学びながら、現在もラグビー部に籍を置き、チームに貢献している。

[取材・文]= 竹林篤実  [写真]= 金澤功貴氏提供、菊池壯太

印象に残ったキャプテンシー

ラグビーを始めたのは、小学校4年の時でした。父親に連れて行ってもらったラグビーカーニバルでトップリーグの試合を見て、「すごいスポーツだ」と惹き込まれたのです。中学生の時は、土日に地元クラブチームの大阪・吹田ラグビースクールで練習していました。そのラグビースクールで中学3年の時に、大阪府スクール選抜でキャプテンをやらせてもらい、全国ジュニア・ラグビーフットボール大会で優勝することができました。

大阪府スクール選抜の練習場は、高校ラグビーの名門である常翔学園高等学校※のグラウンドでした。常翔は自分が中学3年の時に高校日本一になっています。その決勝戦を花園で見たのですが、当時のキャプテンが山田有樹さん(現・同志社大学ラグビー部キャプテン)です。山田さんは、試合中うっかりすると、どこにいるのか見失うぐらい地味なプレーに徹していました。一見目立たないプレーでも相手をしっかり抑えているから、他のメンバーが自由奔放に攻撃できるわけです。

ラグビーのキャプテンシーと言えば、自分が先頭を走ってメンバーを引っ張る姿を思い浮かべがちですが、山田さんはまるで違います。だからこそというべきでしょう、山田さんに対するメンバーの絶対の信頼が伝わってきました。すごいなと感激すると同時に、このチームに入り、キャプテンとして全国優勝をめざそう、と心に決めたのです。

※前身の大阪工業大学高等学校の時代から、ラグビー部は全国大会出場34回を誇る強豪。

首から下が動かない

2013年、念願の常翔学園高等学校ラグビー部に入って感じたのが、圧倒的なレベルの差でした。先輩たちは体が大きいだけでなく、スピードや的確さなど、動きの質が違います。当然、新入りの自分がAチームなどに入れるわけがありません。

どうすれば少しでも差を縮めることができるのか。チームでの練習後、どれだけ自主的に頑張れるかが勝負だと考え、家に帰ってからトレーニングに励み、体重を増やす努力をしました。その成果が出て、夏合宿に入ってようやくAチームで練習できるようになったのです。

事故が起こったのはその矢先のことでした。自分がボールを持ち込んでラック(地面に転がっているボールを、敵、味方が立ったまま組み合って奪い合う状態)ができたのですが、そこで体からではなく頭から転倒してしまったのです。

一瞬の出来事でした。気づいた時には、首から下が全く動かず、感覚もありません。何が起こったのかも分かりませんでした。救急車で搬送されている間は、これからどうなるのだろうと不安でいっぱいだったのを覚えています。

最初に運ばれた病院では対応しきれず、別の病院に移される途中で意識が途切れたようです。実際には普通に話していたらしいのですが、自分には記憶がありません。

気づいたらベッドの上でした。体は1ミリも動きません。えらいことになったと思いながらも、早く治してグラウンドに戻ることだけを考えていました。

診断結果は頚椎の脱臼骨折、そして頚椎損傷による四肢麻痺。治るかどうかも分かりません。少なくとも選手としての復帰が、当面不可能であることは明らかでした。

ただ、母親が「ケガしても、どんな姿になっても、あんたはあんたやねん。今まで通りのあんたでええねん」と言ってくれました。それを聞いて、体が動かなくても、今までと違う自分になるわけではないと思ったのです。

大切なのは、「これからどうしたいか」。答えは、一瞬で出ました。もう一度、グラウンドに戻りたい、どんな形であっても。

復帰、そしてキャプテンに

学校に復帰できたのは、翌年の4月でした。入院中から心掛けていたことがあります。ほんの些細なことで構わないから、毎日、目標を立てて、今できることを全力で頑張るということです。

最初に取り組んだのは、呼吸器を外すことでした。ケガをした直後、咳をすることも、痰を切ることもできなかったため、痰が喉に詰まって呼吸困難を起こしてしまいました。その時に気管切開をして呼吸器が差し込まれていたのです。

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