J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2015年05月号

人材教育最前線 プロフェッショナル編 合併を乗り越えグローバル化へ 育成制度に新たな価値を付ける

ホンダロックは、自動車やバイクのキーやドアミラー、ドアハンドルなどの製品を研究・開発から製造まで一貫して行い、完成車メーカーに供給している企業だ。創業者本田宗一郎の意志「世界に通用するキーロックメーカーへ」を引き継ぎ、高付加価値製品の開発生産に取り組んでいる。同社は成長の過程で、合併という手法もとってきたが、人事部長を務める遠山猛氏は合併企業の1つ、旧松山製作所の出身。合併による環境の激変を乗り切り、急激なグローバル化にも対応し、自らを伸ばしてきた秘訣について伺った。


管理本部 人事部 部長
遠山 猛(Takeshi Toyama)氏
1980 年松山製作所に入社、1996 年に同社がホンダロックと合併後、川越工場管理課総務係係長に。2001 ~ 2003 年にアラバマ等の海外拠点でグローバル経理人材の育成に携わる。帰国後、2005 年から経理部課長、部長を歴任、2013 年より人事・総務部部長を経て、2014 年に人事部部長就任。

ホンダロック
1962年、本田宗一郎によって創設。創業以来、人間性を尊重し、個人の自由なアイデアによる自動車部品の開発・製造を行う。現在は国内6拠点・海外7カ国12拠点で開発から生産・販売を機能的に結びつけ、企業活動をグローバルに展開。
資本金:21億5000万円、売上高:364億円、従業員数:971名(いずれも2013年12月末時点)

取材・文・写真/竹林篤実

合併で受けた試練

遠山氏が入社した松山製作所は、1996 年5月、ホンダロックと合併した。関東の、中小だが独立系のオーナー企業と、宮崎にありながら大企業ホンダの系列企業では、仕事の進め方は言うまでもなく、企業文化自体が根本的に異なっていた。そこには違和感があったのだが、それを抱えたままでは仕事にならない。遠山氏は合併後、半年を経て宮崎に赴任した際、まず宮崎弁を覚えることから始めたという。

「私自身は埼玉出身なのですが、頑張って宮崎弁で話すようにしました。ですが、これが完全に裏目に出ました。まさに、にわか仕込みの悲しさですね。あるお酒の席で、『お前は宮崎人をバカにしているのか』と言われたのです。これはこたえました。もちろん酒の上での言葉であり、相手に悪気はなかったと思います。けれども、このショックで宮崎弁を喋れなくなってしまいました」

よそ者が土地の言葉を話そうとすると、どうしてもおかしくなる。だから遠山氏の宮崎弁作戦は失敗に終わった。しかしその後、意外なキッカケから、それほど時間をかけずに宮崎の土地柄に馴染めた。

「仲を取り持ってくれたのはお酒です。それまで飲んでいたのは日本酒か、むぎ焼酎。だから最初は、少し癖のある芋焼酎に戸惑いました。けれども、元々順応性はあるので1カ月で宮崎銘柄『霧島』に慣れました。慣れると、これがイケる。そう思えるようになった頃から自然に、こちらの人とも打ち解けられるようになりました」

コミュニケーションがとれれば、仕事を進めるうえでの最初のハードルはクリアできたことになる。ただ旧ホンダ系、旧松山系といった帰属意識は簡単には消せない。

けれども、要は仕事であり、大切なのはアウトプットを出すことだ。その点、遠山氏は意識の切り換えが早かった。

毎日を勉強と心得て、仕事に向き合う態度をいったんリセットする。松山式のやり方にこだわらず、ゼロからスタートするつもりでホンダロック流の仕事の進め方を覚えようと取り組んだ。それまでの経験を活かしながらも、新しいやり方を吸収して実績を積み上げることにより、周りからの信頼も固まっていった。

あっさりした入社動機

合併の16 年前、遠山氏は、旧・松山製作所に入社している。そもそもなぜ、この会社を選んだのか。当時の就活戦線は売り手市場だったこともあり、その動機は意外にあっさりしたものだった。

「知人からの『この会社の経理を見てくれないか』との依頼に後先考えず簡単に引き受けてしまった。今から考えれば、役員待遇の知人が取り仕切っている経理の仕事を、大学出たての私が引き継ぐなんて、ありえないことです。けれども、若気の至りですね。簿記を習ったことがあったので、まあ、何とかなるか、ぐらいの軽い気持ちで引き受けてしまいました」

負けん気で乗り越えた苦しみ

そんな遠山氏は入社後、塗炭の苦しみを味わうことになる。もちろん今のようなインターン制度などない時代の話である。そもそも松山製作所の業務内容さえ、よくわからないままに飛び込んだのだ。当時はインターネットもなく、学生が仕事についての事前情報を持つこともまずなかった。ただ遠山氏は、入社して困惑を極めたものの、後悔することはなかったという。

「全くの青二才だった私に目をかけて救ってくれたのが、直属の上司にあたる課長です。この方には公私を問わずずいぶんと鍛えてもらいました。経理のイロハに始まり仕事の進め方から、プライベートでも何度も飲みに連れて行っていただいたのです。人間性も含めて学ぶところはいくらでもありました。今、自分が若い人を見る立場になって振り返ると、新入社員時代の自分が、いかにひねくれていたかを思い知らされます」

遠山氏が社会人となって最初に学んだこと、それは“お金を稼ぐことの大変さ”だった。学生時代にアルバイトをしたことはあるものの、バイトと正社員では、仕事の本質的な部分が異なる。決められたことは何があってもやり抜くのがプロだ。“すみません、できませんでした”は、正社員では通用しない。

「厳しい世界だなと思いました。ただ、仕事が辛いからといって辞めよう、と思ったことはほとんどなかったですね。とにかく負けん気の強さだけは、子どもの頃から自信がありましたから」

この負けじ魂があったからこそ、合併による厳しい状況も乗り越えることができたのだろう。

グローバル経理人材の育て方

1996 年の合併後も、遠山氏は経理を担当した。ただ、松山製作所時代とホンダロックでは、企業のあり方が根本的に異なる。前者が完全な国内展開だったのに対して、ホンダロックはホンダの海外進出に伴い、合併前の1988 年から生産拠点の海外展開を始めていた。したがって同じ経理担当とはいえ、仕事の中身には大きな違いがあった。

ポイントはグローバル対応である。経理部員にとってグローバル対応とは、マルチタレント化を意味する。経理部門のリーダーとして、遠山氏には部下の育成も重要な業務となった。

「当社は今では海外7カ国に12の拠点があり、ほとんどの拠点に経理担当者を配置しています。名前は経理ですが、海外では総務から管理業務までを担当しなければならないこともあり、海外駐在するスタッフには幅広い知識が求められます。これをマスターしてもらうために早い時期から、随時ジョブローテーションを行い、OJTを中心とした教育に取り組んできました」

英語を話せること、経理業務がこなせることはもちろん、総務的な業務も処理できて、生活習慣や文化の異なる人々と臆せずにコミュニケーションできること等……。複数の条件をクリアすることが求められるため、海外駐在を任せられる人材は限られてくる。かといって1人の人間をいつまでも海外に赴任させておくわけにはいかない。駐在期間は長くても4 年程度に抑える必要がある。

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