J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2011年09月号

変化とともにあるための易経 第3回 易経が教える 時の本質と捉え方

常盤 文克(ときわ ふみかつ)
元・花王社長、会長
1933年生まれ。1957年東京理科大学理学部卒業、花王入社。米国スタンフォード大学留学後、大阪大学にて理学博士取得。研究所長、取締役を経て、1990年に代表取締役社長、1997年に会長に就任、2000年退職。現在は社外取締役などで幅広く活躍。著書に『知と経営』(ダイヤモンド社)『モノづくりのこころ』(日経BP社)『コトづくりの力』(同)『ヒトづくりのおもみ』(同)など多数。

生成・消滅の循環的世界を取り巻く「時」の存在

今回は、陰陽五行の説明で触れた「循環」に深くかかわる「時」の概念について考えていきたい。前回述べたように、陰陽五行は、陰陽と五行という2つの考え方が統合された思想である。陰陽では、陰と陽の対立する一対の組み合わせが生成・消滅を繰り返し、そこから万物が生じるとしている。五行では、木・火・土・金・水の五行が相互に影響し合い、「相生・相克」の中で、陰陽と同様に生成消滅を繰り返すとしている。このように、どちらの思想にも、個(部分)が有機的に結びついて統体(システム)を構成し、その中で個々が無限の変化を繰り返していくという世界観が基盤にある。ここで重要なのが時の存在である。生成消滅が繰り返されるということは、そこに時が存在すること、そして変化が時の流れとともに起きていることを意味している。時の流れは円環を描くように循環しており、そこで起こる変化は、永遠に止むことがない。ただし、円環といっても元のところに戻るのではない。なぜなら、時の経過の中に変化があるからである。このような変化と時の概念が、陰陽五行を理解するうえで重要である。易経は「変化の書」と呼ばれるように、変化を読む。変化の兆しを読むための教えでもある。循環という「時」の本質を正しく捉えてこそ、変化を読むことができ、先手を打って物事に取り組めるという考え方が底流にある。このことから易経には時に関わる記述が多数あり、「時の教え」「時の書物」とも呼ばれている。西洋における「時」の概念は、易経や陰陽五行の考え方とは好対照だ(図-1)。たとえばキリスト教文化では、神の天地創造によってこの世が始まり、最後の審判、つまりこの世の終わりに向かって時は流れていると説いているが、そこには時間は直進するという観念がある。そのため、物事には始まりと終わりが必ずあり、一度起きたことは、二度と起こらないと考えられている。これに対し、易経や陰陽五行では、循環する時の流れの中で、森羅万象の変化は永続的に繰り返されると考えるのである。

大事を成すタイミングは「時中」を見定めて決する

「時」を重視する易経で、ひときわ重要とされるのが「時中」という概念である。「中」は「丁度よい」「過不足がない」「片寄らない」などの意味を持つ語であり、時中とは、無限の時の流れの中の最適な「時」を意味している。また「的中」というように、「中」には「的を射抜く」という意味もある。「時中」を見定めるとは、時の流れの最適部を的に見立てると、そこに矢を放って中心を射抜くイメージであり、この「時」の最適部を正しく捉えて迷わず行動するということである。易経における「時」とは、「時処位(じしょい)」を包括する概念的キーワードでもある。「時」は天であり、天に定められた最適なタイミング、「処」は地であり、最良の場所、そして「位」は人であり、地位や立場、人間関係をあらわす。新たな行動を起こす時は、その人自身、その人を取り巻く環境、全ての要素が最適でなければ時中とならない。したがって時中を見定めることは極めて難題であるが、だからこそ時中を見定める意義は大きいともいえる。身近な農業でいうと、種蒔きをするのに最適のタイミングが時中である。時期を見誤ると収穫に悪影響を及ぼすし、場合によっては凶作を招いてしまう。政治でいえば、国の仕組みを刷新するような大改革は、最適のタイミングで実践する必要があり、時中を強く意識しなければならない。古代の戦乱期、他国との戦で大胆な策に打って出る場合など、為政者は易に基づいて時中を決断した。この「時中」に対し、「時流」という言葉がある。時流とは、ある時代の風潮、傾向のことだ。同時期に大勢の人が共通の価値観を抱いて同じように行動を起こせば、それは時流である。後発組が先発者たちの行動に倣えば、それは時流に乗る行為である。「時流に乗る」という表現は、肯定と否定どちらの意味でも使われるが、現代人はどちらかというと肯定的に使っているように思える。時流に乗ることは、好機を機敏に捉えることであると考えているのだろう。だが易経では、時流に乗ることを良しとしない。時流は、時代の流れの表層部分であって本質ではない。だから、それに影響を受けて行動してはいけない。これが易経の考え方であり、「時流に乗るものは時流とともに滅びる」と諫めている。(参照:竹村亞希子著『人生に生かす易経』致知出版社)

「時」を読み行動を起こすために揺るぎのない哲学を持つ

時流に乗って一時的に会社の業績を上げ、会社を大きく育て、文字通り時の人となった経営者は少なくない。しかしよく考えれば、時流に乗れるかどうかは運のよし・あしである。その時流が終わって次の時流がやってきたとき、同じようにうまく時流に乗れるかどうかは運次第であり、将来にわたって運を呼び込み続けるのは無理な話だ。自分ではうまく乗ったつもりでも、実は流されていただけ、というのが「時流」の本質である。これに対して「時中」は、時の流れの中で、ここぞというポイントを見つけて勝負どころとすることである。「時中」の見定めは容易ではないが、自分自身に確たる哲学があれば、それは可能である(図-2)。1980年代後半、バブル経済が日本中を覆い尽くした。企業も個人も、株に手を出し、不動産を買い占め、ゴルフ会員権を売買するなど、いわゆる財テクに励み、バブルという時の流れに誰もが疑いなく乗っていた。しかし、世の中どんなものも青天井ということはあり得ない。花王で私たちがTCR(全社コスト低減のちに全社業務改革)と呼ぶ革新運動の導入に踏み切ったのはバブルの最中だった。何を好き好んで、こんな運動をするのかと笑われたりもしたが、業務改革は会社が元気なとき、健康なときに取り組むべきもの、と私たちは考えた。病気になって体力が衰えてからでは遅い。それまで私たちが見てきた他社の業務改革は、経営がおかしくなり、組織が元気を失ってから仕方なく手をつけるケースが多かった。こうした企業の轍を踏んではいけないと、私たちは前向きの危機感を持っていたのだ。しかも、会社に体力があれば、業務改革で生み出されたカネ、ヒト、モノを別の新しい事業に投入でき、会社に正の循環を起こせる、と考えていた。このような思いと発想があったからこそ、バブルの只中を「時中」と見定めてTCRに着手したのである。その結果として、幸いにも大きな成果を得ることができた。

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