第45回 1からではなく、0からの学び直し 今の自分にしかできない音楽を求めて 大江千里氏 ジャズピアニスト
大江千里氏
シンガーソングライターのキャリアを手放し、ジャズを学ぶため47歳で渡米した大江千里さん。留学決断に至ったジャズへの想い、ジャズピアニストとして通算9枚目となる『HOMEWORK』の制作秘話やキャリアの考え方などについて伺った。
[取材・文]=平林謙治 [写真]=中山博敬


“終身雇用系”アーティストだった
―― 人は、何歳からでも学び直せる―― 。築き上げたキャリアを手放し、47歳でアメリカの音楽学校の門を叩いた大江千里さんの挑戦に、心を揺さぶられました。ジャズにはデビュー以前から憧れていたそうですね。
大江千里氏(以下、敬称略)
出会いは10代半ばでした。ポプコン※1の関西大会の決勝へ進み、エンタメ業界に片足を踏み入れたような気分でルンルンしていたころです。中古LPでアントニオ・カルロス・ジョビンを知り、セロニアス・モンク、ビル・エヴァンス、ウィントン・ケリーと、もう熱狂しました。かっこよくて、オトナっぽくてね。積み重ねられた地層の厚みというか、妙味というか……3歳からピアノで練習していたクラシックとも、ポップスともまったく違う世界がそこにあった。僕も彼らみたいに弾いてみたいと、さっそく教則本を買って勉強を始めたのですが、頓挫するのに時間はかかりませんでした。
※1 ヤマハポピュラーソングコンテストの略称。ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテスト
―― どうしてですか。
大江
とにかく難しかったんです。膨大で複雑なセオリーも覚えなきゃいけないし、これはとても一朝一夕にはいかないなと。一方で、当時はポップスのシンガーソングライターになりたいという夢もあったので、実際にデビューのチャンスが巡ってくると、ジャズはいったん机の奥にしまい込み、エネルギーのすべてを作詞作曲と歌に費やす感じでした。そこから瞬く間に時が流れて……。
―― 新作のタイトル同様、ジャズは大江さんにとって、長年机にしまい込んだままの「HOMEWORK」=宿題だったわけですか。
大江
そうかもしれません。でも、忘れたりあきらめたりしたわけじゃないんです。いま思うと、日本にいたころの大江千里は“終身雇用系”のアーティストでした。ずっとレーベルに守られ、育てられ、僕もその期待に応えようと必死で走り続けていたんです。音楽だけでなく、俳優や司会もやりました。本番は皆勤賞。欠席やキャンセルは一度もありません。
それでも時折、ジャズへの想いがむくむくと起き上がってきて、僕にちょっかいを出すんですよ。「やっぱりやりたいよな」って。

