連載 調査データファイル 第92 回 番外編 島根県海士町役場の行政改革に学ぶ 皆で意識を共有することが 危機脱出のカギ
下げ止まったとはいえ、不況であることに変わりはない日本経済。
経営危機に瀕した企業の正念場は、リストラの次に打つ一手に他ならない。
島根県海あま士町は、小泉内閣が行った行政改革で大打撃を受けた。
少子高齢化、過疎化の上に降りかかった地方交付税の大幅削減。
離島ゆえの四面楚歌状態を打ち破ったのは、リーダーである町長が行った巧みな職員意識改革であった。
今号は趣を異にして、地方自治体の改革の実例から人事を含めた大胆な経営改革のあり方について考えてみたい。
1. 政府の構造改革による地域崩壊の危機
衆議院選挙では自民党が大敗し、民主党政権となったが、行政改革も地方分権も簡単に進展するとは思えない。しかし、すでに改革を実行して地域再生を着々と進めている市町村が、いくつか存在している。
それらの市町村に共通しているのは、企業経営に模した行政改革を果敢に実行していることである。しかも、財政危機に対応した人員削減と給与カットを進めながらも、職員のやる気は高まるといった組織風土を形成しつつある。中でも、前例踏襲の「お役所仕事」から決別し、行政改革を大胆に実施している島根県・海士町のケースは、官僚的組織風土がはびこって大胆な経営改革がなかなか進展しない大企業にも参考になるはずである。
海士町は島根半島から60キロの沖合に浮かぶ離島で、隠岐諸島の1つである中ノ島に位置している。離島であるがために少子化、高齢化、過疎化が急速に進行しており、人口も昭和25年頃は7000人ほどであったが、現在は2500人ほどに減少している。島には働く場が乏しく、若者が流出したことによる弊害である。
こうした離島の窮状にとどめを刺したのが、小泉内閣の財政改革であった。小泉内閣が行った「三位一体の改革」は、地方交付税の大幅削減によって町財政に壊滅的な打撃を与えた。2004年には地方交付税が1 億3000万円も削減されたが、この削減額は町税収入に匹敵するものであった。こうした財政危機に対して、基金を取り崩すことで対応したが、1994年に15億円以上あった基金も2004年には4 億円近くにまで減少し、財政再建団体転落の危機に直面することになった。
地域崩壊を免れるための手段の1つとして、周辺の島との市町村合併という手もあったが、合併による相乗効果をほとんど期待することができなかった。結局、単独で地域再生に取り組まざるを得ないことになったが、地域再生を実現するためには、国の公共事業に頼らずに島が自立できる道を探る必要があった。その柱としたのが産業育成である。
2. 危機意識の共有による意識変革
2002年の町長選挙で当選した山内道雄町長は、初登庁の就任式で町の経営方針として「自立・挑戦・交流」を掲げた。企業勤務経験のある山内町長は、「町政運営は企業経営であり、町長は中小企業の社長」だと考えている。町長就任後まず着手したのは、職員の意識改革である。それまでの役場職員の意識は、豊富な交付金があったこともあって、住民に対して「やってやる」といったお上意識が強かった。こうしたお上意識を払拭し、「やらせていただく」という住民本位の行政に転換することを目指した。
この意識改革を本物にするために、次々と具体的な対策を実行していった。まず行ったのが危機意識の共有である。財政再建団体転落の危機といった状況を認識させるために役立ったのが、近隣3 島による合併協議会であった。町村合併は、結果的に合併による相乗効果が期待できなかったため御破算になったが、合併協議会に向けて町の現状をまとめていくうちに、町が直面する具体的な諸問題が浮き彫りになった。海士町のみならず、他の市町村がまとめたそうした資料は、後の町の中長期的な自立促進プランを作成する過程で大いに役立った。
海土町が自立促進プランを作成する過程では、何度か職員全体で協議する機会が設けられ、住民が参加する懇話会も設置された。こうして、島の置かれた危機的状況に対する共通認識が、役場の職員のみならず住民にも形成されていったのである。さらに、自立促進プランの作成は、それを担当した若い職員たちにとってはいい経験となり、それぞれの能力向上へとつながった。こうして成長した若い職員たちが、その後の行政改革を牽引する原動力となっていった。