特集 AIと人事のつながり方 OPINION1 データが示す「現在地」と、AIがもたらすポジティブな未来像 生成AIを「味方」に変える組織戦略で人と組織のポテンシャルを最大限に引き出す 西村孝史氏 東洋大学 経営学部 教授
西村孝史氏
人事部門にとって、生成AI は自分たちの仕事を奪う「敵」や脅威なのか、それとも業務を飛躍的に進化させる「味方」なのか。
2025年発表の研究論文「人事部門にとって生成AI は敵か味方か」の執筆者である東洋大学経営学部教授の西村孝史氏に、生成AI が人事にもたらすインパクトの現在地について聞いた。
[取材・文]=菊池壯太 [写真]=西村孝史氏提供
生成AIは人事業務に活用されているか
最近、人事系のSaaSやAIソリューションの広告をよく見かける。AIを用いた採用自動化や人材の最適配置など、人事の現場が劇的な進化を遂げているような印象を受ける。生成AIが多様なビジネス領域で活用されているが、人事部門でも果たして活用は進んでいるのだろうか。
人的資源管理や組織行動論が専門で、民間企業の人事部門での実務経験も持つ、東洋大学経営学部教授の西村孝史氏は、こうした状況に疑問を抱いたという。そして、2時点のインターネット追跡調査を用いた定量的な統計解析により、「人事部門にとって生成AIは敵か味方か」(以下、「論文」という)を発表した(※1)。
実際に調査を開始してみての第一印象として、西村氏は、次のように話す。
「人事部門で生成AIは予想以上に使われていないと感じました。Excelのマクロや関数を組んで、特定の数値を入力すれば自動的に税率や給与が計算されるような仕組みを指して、担当者が『自動化が進んでいる』と誤認してしまっているケースさえあるのです」
実態として活用度は低く、格差が生じている
人事業務全般における生成AIの具体的な導入状況(5点満点)を測定したところ、すべての質問項目において平均点が3点(半分程度利用している)を超えるものはなく、全体的な平均値は2.01にとどまっていた。さらに各スコアの標準偏差もいずれも1を超えており、企業間のバラつきが大きい。この活用度を企業の従業員規模別に見ると、明確な差異(格差)が生じていることがわかる(図1)。資金力に余裕のある大企業ほどスコアが高くなる傾向にあるが、「論文」によるともっとも活用スコアが高かったのは「従業員規模が1,000人以上5,000人未満」の中堅・大手企業(スコア2.82)であった。5,000人を超える大企業になるとスコアは逆に低下するが、独自のセキュリティーガバナンスや、既存のレガシーシステムとの複雑な統合などが障壁となり、生成AIの全面的な展開に時間がかかっている実態も推察される。
これらの数値が示すように、評価のサポートやデータの整理・初期スクリーニングといった、バックオフィス的な情報処理や管理に関連する業務の周辺において、部分的な活用が始まっているのが実態といえる。
※1 西村孝史(2025)「人事部門にとって生成AIは敵か味方か」『マーケティングジャーナル』第45巻第4号,301-311頁
生成AI介入によって考えられる2つの仮説
経営学における人事施策の研究は、個別施策(採用、研修など)をバラバラに検討する時代が続いていたが、1990年代半ばから人事施策を一貫性のある「束(HR Bundle)」として導入するアプローチへとシフトしてきた。なかでも、従業員の能力、モチベーション、機会を全社的に高め、持続的な高業績をもたらす人事システムのパッケージが「高業績ワークシステム(HPWS:High Performance Work Systems)」である。
では、このHPWSに生成AIが介入したとき、どのようなダイナミクスが働くのだろうか。西村氏は、2つの対立する仮説を提示している。
仮説① AI依存型の人事
生成AIの導入が、従来の「ハイ・コミットメント型」や「コントロール型」に並ぶ、まったく新しい「AI依存型」という別の人事施策の束を形成するという仮説である。
仮説② HPWS運用の手段としてのAI
AI自体が独立した人事施策の束ではなく、既存のHPWSをより効率的・効果的に動かすための「運用の手段」にすぎないという立場だ。AIの情報処理能力を各プロセスに組み込み、全体の運用効率を高めるというものである。
西村氏が、生成AIは人事の「味方」に成り得ると結論づけた根拠は、仮説②の方である。生成AIがHPWSの運用手段として機能することで、人的資本や組織成果に与える正の影響がさらに増幅されると考えられるからだ。
「たとえば、AIが一人ひとりのキャリア履歴から『過去にこれと類似したキャリアを歩んだ人は、次にどこへ異動し、どんな教育を受けたか』といった最適なルートを提案でき、社内教育の効果も最大化されます」
HR-Lineの関係性も向上
もう1つ、生成AIの活用度が、人事部門と現場の管理職・従業員が組織の規範を共有し、互いの知識や意図を深く理解し合えている状態、つまり「HR-Line」の関係性を大きく向上させると西村氏は説明する。
「人事の日常業務は、労務管理、各種資料の作成、契約書のリーガルチェック、履歴書の初期スクリーニングなど、膨大で労働集約的な『アドミン業務(管理・手続き事務)』に追われています。これらの業務は、ミスが許されない一方で、多くの時間と人手を要しますが、生成AIの導入により、これらのアドミン業務の多くを自動化・省力化することが可能になります。つまり、これまで人員不足でできなかった個別管理をAIの力で補うという考え方です」
生成AIは人事の時間効率と客観性を担保することから、人事がAIを使えば使うほど、人間的なはずのHRLineの関係性も向上すると考えられるのだ。
さらに、生成AIが過去のデータに基づいて、異動や評価の一次提案を行えるようになると、現場には、「上司の個人的な好き嫌いや、人事の経験・勘だけで決められていない」という安心感や公正感が芽生える。これも、HR-Lineの関係性を改善させるきっかけとなる。
人事が日々の事務作業の拘束から解放されれば、より多くの時間を組織開発、人的資本経営の戦略立案といった創造的業務に振り向けることができるようになる。これこそが、AIが人事部門の「味方」になると考えられる本質的な理由である。
AI活用を阻む4つの壁
しかし、現実にはこの理想的なシフトがうまくいっている企業は少ない。そこには、海外の研究者(※2)が指摘する「4つの壁」が存在していると、西村氏は説明する。
第1の壁:「優秀であること」の定義の多様さ
AIに学習させるための「優秀な社員」という概念は複雑だ。営業職のように数字で測れる職種であればまだしも、「周囲を巻き込む力」といった優秀さは企業文化によって定義が異なる。変数が多様すぎるため、AIが一貫性のある基準を導き出すことは難しいうえ、中期経営計画の更新やM&Aに伴う「優秀さ」の変更などが反映されない。
第2の壁:スモールサンプル(母数の不足)
AIが真価を発揮するには大規模なデータセットが不可欠だが、一般的な企業において、解雇や抜擢といった人事を巡る重要イベントの発生件数はそう多くない。このような「スモールサンプル」の領域にAIを適用すると、統計的ノイズを過剰に学習し、誤った予測を導き出しがちになる。
第3の壁:情意人事や特別な事情
AIは過去データを教師として学習するが、日本の伝統的な企業評価には、情意評価や特別な事情によるイレギュラーな人事も過去のデータに含まれる。これらをそのままAIに投入してルール化させると、過去の不公正な評価をもとに判断を下すようになってしまう。
第4の壁:従業員の拒絶反応と「裏をかく行動」
アルゴリズムによって機械的に評価されることへ嫌悪感を抱く人は多い。一方で、AIのスコアを上げるためだけの「裏をかく行動」を取る従業員が現れるリスクもある。人間が見れば信頼に足らないと見抜ける人物であっても、AIの評価基準に最適化されて高いスコアがついてしまうという歪みが生じかねない。
※2 Tambe,P.,Cappelli,P.,&Yakubovich,V.(2019).Artificial intelligence in human resourcesmanagement:Challenges and a path forward.California management review,61(4),15-42.
これからの人事に求められるのは「アブダクション」
これらの壁があることを踏まえ、AI時代の人事担当者にはどのような能力が求められるようになっていくのだろうか。
AIが出せるアウトプットの本質は、あくまで過去のデータの統計的な相関関係にすぎず、物事の因果関係(どちらが原因で、どちらが結果か)」までは証明できない。
そこで求められるのが、演繹法・帰納法に次ぐ「第3の論理的思考法」とよばれる「アブダクション(Abduction:仮説的推論)」の力であると、西村氏は話す。
「相関関係を導き出すという途中作業までは、AIが圧倒的なスピードでやってくれます。ただし、それに対する解釈や、その解釈が本当に現場の文脈に即して正しいのかというジャッジ、そして『現場のメンバーが腹落ちしてついてきてくれるか』という納得感の醸成に関しては、人間がやらざるを得ないし、ここだけはAIに絶対に譲ってはいけない領域です」(図2)
アブダクションを支持するデータ収集も大切
西村氏が指摘するように、人事の仕事のコアは、AIが生成したレポートを現場に丸投げすることではなく、AIのデータを武器にして、現場を納得させるストーリーを紡いでいくことへと変化していくことが望ましい。
そのためには、第2の壁として挙げたスモールサンプルの壁を乗り越え、現場で実践すべき具体的な「n数(サンプルサイズ)を確保する必要がある。加えて、アブダクションを機能させるためには、人事が現場のデータを日頃からスマートに収集する仕組みも必要である。
取り組みやすいデータ収集のアプローチとして、西村氏は、つぎの2つを推奨している。
①半年・1年ごとの調査からパルスサーベイへの移行
従来の半年や年1回の人事評価やエンゲージメント調査では、データの粒度が粗く、現場の動的な変化を追うことができない。そこで、数問程度の簡易的なアンケートを、週次や月次といった短いサイクルで繰り返し実施するパルスサーベイの導入も効果的だ。微細な変化を定点観測できるようになり、人事データとしてのn数を蓄積することが可能となる。
②雑談のデータ化
経営学や組織行動論では、「オフィスでの雑談」や「ウォーターサーバートーク(給水機の周りでの気軽な会話)」は、これまで無駄なものとして軽視されてきた。しかし昨今では、組織の創造性やメンタルヘルスの維持に重要な役割を果たしていると考えられ、見直されている。人事は、このようなカジュアルな現象をデータとしてつなぎ合わせるべきだと西村氏は主張する。
「たとえば、一部の企業で試みられているように、会社の始業時と終業時に『今朝の気分は?』『今日の業務の充実度は?』といった2、3問の簡易的なスタンプ回答を求めるだけでも、2週間継続すれば、組織の隠れた疲弊度やモチベーションのブレを可視化する貴重なデータに化けます。これらの取り組みを通じて、人事研究のトレンドは『何が効くのか』つまりWhatあるいはHow toの制度論から、『どんなプロセスを経て、現場でその施策が有効に機能していくのか』というプロセスのHowの解明へと変わってきているのです。生成AIは、まさにこのHowの細部を自動的に判別するための助けとして機能するでしょう」
生成AIで築く新たな高業績ワークシステム(HPWS)
生成AIを単に「Excelの延長線上にある事務の自動化ツール」として矮小化して捉えているうちは、企業は本当の価値を享受できない。真の価値は、生成AIの高度な情報処理能力を既存のHPWSの運用に内包させることで、個人のキャリア提案や評価の公正性を高めることにある。そして、アドミン業務の省力化によって確保できた時間を使って、現場の奥深くまで入り込んでHR-Lineの関係性を強固にすることも重要だ。
とはいえ、いきなり全社的な人事システムのAI統合を目指す必要はないと、西村氏は語る。「『AIの活用』と大上段に構えるのではなく、『小さな業務改善』だと捉えてみてください。まずは直接的に従業員の処遇へ影響が及びにくい、アドミン業務や契約書の確認など、やりやすい領域からスモールスタートで回していく。そこで得た成功体験を、徐々に他の人事機能へと展開していくことが、普及への一番の近道だと思います」
そのうえで、人事部門の本来の使命ともいえる経営戦略の高度化や人的資本経営の実践へとシフトする。これこそが、AIで拓く新しい時代のHPWSの姿だといえるだろう。

