特集 組織をあたためる 「感謝と称賛」 OPINION1 個々の能力を高めるだけでは、組織は強くならない 意識・行動・関係性を改善し つながりを生む「感謝と称賛」 正木 郁太郎氏 東京女子大学 現代教養学部 心理学科 准教授
正木 郁太郎氏
「人材がつながりを持ってこそ、組織は力を発揮する」―。
そう話すのは、東京女子大学准教授の正木郁太郎氏だ。
そのつながりを生むため、効果的なコミュニケーションが「感謝と称賛」であるという。
なぜ「感謝と称賛」が効果的なのか。
これを行うことで、職場にはどのような変化が生まれるのか、正木氏に話を聞いた。
[取材・文]=村上 敬 [写真]=編集部
感謝と称賛はつながりを強める
人的資本経営が広まるにつれて、従業員の能力開発やエンゲージメント向上に力を入れる企業も増えている。しかし、それがチームや組織の成果に結びついていないケースは少なくない。その理由の1つとして「つながり」を挙げるのは、東京女子大学現代教養学部准教授の正木郁太郎氏だ。
「一人ひとりの能力やエンゲージメントを高めることは大切ですが、それだけで必ずしも組織が強くなるわけではありません。それらを高めた人材がお互いにつながりを持ってこそ、組織は力を発揮します」
つながりは、信頼関係と言い換えてもいい。メンバー同士が良好な関係を築いていれば、互いに助け合ったり切磋琢磨したりすることができ、組織は皆の能力を足し算した以上のパフォーマンスを発揮する。
そこで、組織内のつながりを強めるために求められるのが「感謝」と「称賛」だ。
「感謝は、自分が何かしてもらったときなどにわく感情で、『ありがとう』という言葉が代表的です。一方、称賛は何か優れたものに対して抱く感情で、『すごい』と伝えたりほめたりする行動で示されます。感謝は相手と自分のやり取りや、それを経た自分の感情に焦点を当てており、称賛は純粋に相手の行動や影響に焦点を当てているのがポイントです(図1)。共通点は、他の人に目を向けたコミュニケーションで、かつポジティブな反応であること。そしてつながりのなかで生まれてつながりを増やすものであること。その意味で感謝と称賛は双子のようなものだと捉えてもらっていいでしょう」
高ダイバーシティ組織ほどつながりが必要
感謝や称賛が人間関係の潤滑油になることは多くの人が経験的に理解しており、学術的にも様々な研究によって裏づけが取れている。社会心理学においても、恋人や友人など一対一に近い親密な対人関係の領域における感謝や称賛については、以前から研究が積み重ねられてきた。ただ、組織というフィールドに積極的に応用されるようになったのは2010年代からだ。心理学の理論はデータで検証する必要があるが、10年代以降は企業のデジタル環境が整い、つながりに関するデータを収集しやすくなったという背景もある。
企業側にも「感謝と称賛」に目を向ける理由がある。その1つとして無視できないのがダイバーシティ&インクルージョンだ。
「ダイバーシティというと性別や国籍といった属性の話だと捉えられがちですが、経験値など何かが違っているだけでも組織の同質性は低下します。近年は人材の流動化が進み、キャリア面でもダイバーシティのある組織が増えています。そこで問題として浮上してきたのがつながりでした。同質性の高い関係ならば言葉にしないでもスムーズに意思疎通ができますが、ダイバーシティの高い組織はメンバーが意識的にコミュニケーションをとらなければギクシャクしやすい。そのつながりをつくるため、企業の現場で明日からでもすぐ着手できる取り組みとして、感謝と称賛はマッチしていました」
テレワークやハイブリッド勤務の拡大、そして社員の「成長実感を得たい」というニーズも、感謝と称賛が注目されるようになった背景として挙げられる。
「テレワークをしていても様々なツールのおかげで業務に必要な情報は得られますが、信頼関係や一体感などの感情的なつながりが薄れることで孤独を感じやすい。それを埋めるものとして、情報共有以外のコミュニケーションが求められていた面があります。また、成長実感については、人は1人で完結しているとなかなか自信を持てません。自分がどれだけ成長したか、今何ができていないのかを知るには、他者からのフィードバックが参考になります。感謝と称賛のコミュニケーションはそれを推し量る材料であり、成長を確認したいというビジネスパーソンの思いに合致していました」
以上の様々な背景から、組織にはつながりを強くするコミュニケーションが求められる時代になってきた。その有力な手段の1つが感謝と称賛というわけだ。
感謝と称賛で改善する「意識・行動・関係性」
感謝と称賛が増えることで職場にはどのような影響があるのか。まずは感謝の効果から紹介しよう。正木氏は感謝の効果を「意識」「行動」「関係性」の3つに分類する(図2)。
「これまでの研究によると、感謝のコミュニケーションはまず意識―― 幸福感、メンタルヘルス、エンゲージメント、ウェルビーイング―― に働きかける効果があることがわかっています。また、意識にとどまらず行動にも影響を与えます。わかりやすいのは、相手にお返しするといった利他的な行動を促す効果です。さらに最近の研究では、社内の提案制度に応募するというような主体的・自律的な行動を促すという結果も出ています。感謝が主体的な行動に直接的につながるのか、『感謝された』→『社内人脈ができた』→『提案しやすくなった』というように他の要素が間に入るのかはわかっていませんが、感謝がプラスの行動を促すことは確かです」
さらに感謝は、一対一の対人関係、そしてチームや組織の関係性にも良い影響を与える。
「日々の助け合いに対して感謝をする・されることで、まずは二者間の信頼関係がさらに強まることが期待できます。さらに効果は第三者にも『伝染』すると考えられています。たとえば、『AさんとBさんの良い関係をCさんが見ることで、Cさんの2人への信頼も増す』といった合理的な理由によるものもあれば、『感謝し合う前向きな雰囲気が広がる』という感覚的な理由で伝染する場合もあります。こうして感謝がチームや組織の信頼関係に火をつけ、チームワークの良さにもつながります」
このように感謝は個人や組織に様々な効果をもたらすが、興味深いのは、それらの効果が感謝する側とされる側の両方にある点だろう。たとえば感謝されたからお返しに利他的な行動をするだけでなく、利他的な行動を受けたから感謝をして「あの人のようになりたい」と考えて自分も利他的な行動をするというパターンもある。
では、感謝するのとされるのとでは、どちらの方が効果が強いのか。これについては「切り分けが難しい」という。
「皆さんの職場を見ればわかると思いますが、周りから感謝される人は大抵、周りにも感謝を示していて、どちらかだけに極端に偏ることは少ない。大切なのは、両方のバランスです。私の研究では、感謝することとされることのつり合いが取れていない人はエンゲージメントが低くなるという結果が出ています。自分は感謝をしているが周りからは感謝されないというケースだけでなく、その逆も同様です」
一方、称賛の効果については、感謝の効果とだいたい共通しているものの、細かく見ると違いもあるという。
「感謝はどちらかというと二者間の閉じた関係性で、その相手へのお返しなどに強く効果が出ます。それに対して称賛は、自己効力感が高まって自信がつくなど、個人の意識や行動に効きやすい。また、日本では称賛することに対する心理的ハードルが感謝することより高いため、それを乗り越えて習慣化した場合は、称賛する側に他人の長所に目を向ける姿勢が身につくなど、強く効果が出ます」
上司からの公平でない称賛はチームに逆効果
感謝と称賛が個人や組織にプラスの効果をもたらすことは実証的な研究で明らかになってきたが、問題はその示し方である。質の高い感謝と称賛とはどのようなものか。正木氏は2つの条件を挙げる。
「まずTPOに応じて使い分けることが大切です。何でも『ありがとう』のひと言で済ませるのではなく、場面によっては別の言葉や物で表現するなど、状況に適切な伝え方をする必要があるでしょう。もう1つは、誤解なく伝えること。人間は様々なバイアス(考え方のクセや偏り)を持つ生き物です。感謝しても、される側が誤解して受け取れば効果が薄れる恐れがあります。誤解なく伝えるためには、何に対して感謝しているのかを具体的に伝えてください」
この2点は一人ひとりが意識すべきことだが、リーダーやマネジャーはさらに以下のことにも気を配る必要がある。
「特定の人だけに感謝と称賛を送ると、依怙贔屓と読み取られ、チームの雰囲気は悪くなります。特に称賛は、『上司はAさんをほめていたが、自分はほめられない』という状況がマイナスの効果をもたらす可能性があるので要注意です。ただ、称賛の水準に達していない人に下駄を履かせて称賛すると、基準がブレて新たな不満を生み出しかねません。あまりほめることができない部下は、別の視点で良いところを探してください。たとえば普段のパフォーマンスが低くても、『細かいところに気がつく』など何か強みを見つけてほめれば、基準を一定に保ったままみんなをバランスよくほめることができるでしょう」
「何のためにするのか」目的を伝え続ける
人事部としては、感謝と称賛を組織に浸透させる施策も気になるところだ。まず考えられるのは、感謝と称賛のスキルトレーニングだ。先に見たように、感謝の示し方には様々なコツがある。それらを身につける機会を研修などで社員に提供すべきだろう。
感謝と称賛を伝える媒体手段の整備も効果的だ。
「アプリやカードのようなツールを使って、感謝と称賛を伝えやすくする環境を整えます。デジタルか紙かは、自社のカルチャーに合わせればいいでしょう。注意点は、文字による伝達は効果が強いものの、タイムラグがあって誤解が生じやすいこと。口頭でタイムリーに伝えた方が効果的なケースもあります。ツールを提供しつつ、口頭とうまく使い分けてもらうように伝えたいところです」
その他、「社員同士が交流する場と組み合わせる」「最初はキャンペーンなどのイベントで雰囲気づくりをする」といったやり方も考えられる。
一方、評価と結びつける場合は細心の注意が必要だ。
「感謝や称賛を評価対象にすれば、会社はそれを重視しているというメッセージを社員に伝えられます。ただ、外発的動機は内発的動機を抑制する恐れがあります。報酬目当ての感謝・称賛ばかりになれば、いろいろと歪みが出てしまいます。評価と結びつけるとしても、報酬は軽いものにとどめることが大切。たとえばたくさん感謝した人にはお菓子や記念品をあげるとか、報酬を好きなところに寄付できるといった程度がいいと思います」
これらの施策を導入する際には、目的を明確に示すことが欠かせない。
「人は『何のためにやるのか?』と疑問を持った途端にそれをやらなくなります。目的は会社しだい。働きやすい職場にするためでもいいし、カルチャーを浸透させるため、もしくはチームで成果を出すためでもいい。いずれにしてもリーダーや人事部が最初にきちんと目的を説明した方がいいでしょう。人は忘れやすいので、最初だけでなく節目ごとに目的を伝え直すことができればベターです」
感謝と称賛を組織に浸透させる施策を紹介してきたが、これらを進めるにあたって人事担当者はどのような心構えでいるべきか。最後に正木氏はアドバイスしてくれた。
「数的指標を特に重視せざるを得ない経営層や経営企画部門には、組織は合理的に管理するものというイメージを持っている人が少なくありません。しかし組織が人間で構成される以上、実際には合理性だけでは回らず、隙間を感情で埋める必要があります。感謝と称賛は一見ムダに見えても、隙間を埋める重要なピースの1つです。人事担当者はそうした認識を持って施策を導入・運用してほしいですね。一方、経営層や経営企画部門を納得させるには、離職率やエンゲージメントスコアなどのKPIを設定して効果を可視化したり、心理学の研究結果を活用して理論武装することも大切。合理性と感情の両方を意識しながら、感謝と称賛を組織に広げていってください」

