OPINION3 大切なのは「適応性」と「一貫性」 「カタチ」ある教育体系の実現のため理解しておかなければならないこと 坪谷邦生氏 壺中天 代表取締役
自社の教育体系を見直す場合、「そもそもなぜ見直すのか」というところが抜け落ちてはいないだろうか。
「他社がやっているから」というだけの理由で新しい研修を始めたり、「この階層の次はこの階層に……」などと穴埋めパズルのように体系を整えたりしていては、目指す人材開発は実現できない。
人事領域での長きにわたる実践経験を活かして企業の人事を支援する、『図解人材マネジメント入門』著者の坪谷邦生氏に聞いた。
[取材・文]=崎原 誠 [写真]=坪谷邦生氏提供
人材マネジメントを効果的にする「適応性」と「一貫性」
「効果的な人材マネジメントには、特徴があります。それは、環境への『適応性』と施策の『一貫性』があることです。適応性とは、世の中の環境変化に対応していて納得感があること、一貫性とは自社のポリシーに沿っていて、全員の力が1つの方向へと集中されることをいいます。人材マネジメント施策は、一つひとつがメンバーへの、そして世の中へのメッセージなのですね」
50社以上の企業の人事制度を構築し、組織開発を支援してきた坪谷邦生氏は、こう語る。
たとえば、コロナ禍でリモートワークが一般化したなかで、「うちの会社は毎日出社だ」と理由なく変化を拒んでいると、多くの場合、採用難になったり、離職者が増えたりする。企業も社会の1機能なので、社内外の環境に「適応」する必要がある。
ただし、流行に乗ることと適応することは違う。坪谷氏は、「流行は、誰かが自分の利益のために意図的に仕組んでいる側面も多分にあります」と注意を促す。実際の企業活動では、「同業他社と足並みをそろえるため」であったり、「親会社が入れているので無視できない」といった理由で流行に乗らざるを得ないこともあったりするが、流行しているからといって、社会に適応しているとは限らない。「なぜこれが流行しているのか?」という本質を一度考えてほしい。
一方、「一貫性」というのは、ひと言で言うと、「言っていることとやっていることが同じ」ということ。これが信頼関係に大きく影響する。たとえば、社長が日ごろから、「当社は、頑張っている人を評価します」と言っているとしよう。にもかかわらず、社内で昇格する人や給料が高い人を見ると、社長の縁故ばかりで、あまり仕事もしていない。これでは、「言っていることとやっていることが違う!」となり、誰も信頼しないだろう。
「頑張っている人を評価するというのであれば、まず、どういう人が自社においては『頑張っている人』なのかを示す必要があります。これが『人材マネジメントポリシー』です。そして、それを具現化したものが『等級』であり、実際に判断しフィードバックするのが『人事評価』です(図1)。これらが一貫していて、『確かに社長の言っているとおり、うちの会社では頑張っている人が高く遇されている』と皆が感じることができれば、そこには信頼が生まれ、力が集約されるでしょう」
「流行しているから」「他社がやっているから」ではなく、すべての施策が掲げたポリシーに収斂していくことが大事だと坪谷氏は説明する。人材マネジメントの一環である教育関連施策にも、当然、この考え方が当てはまる。
研修で人は変わらないが「一貫性」の象徴になり得る
坪谷氏は、「研修で人は変わりません」と断言する。知識や技能を身につける研修は別だが、リーダー育成など意識や行動を変えるための研修についていうと、研修だけをしても意味がないというのだ。「リーダーが育つのは、仕事のアサインメントです。アサインされ、そこで活躍し、葛藤し、周りにいる人たちと関わって、人が育つのです」と捉えている。
ただし、研修は人の成長の大きな原動力ともなり得る。
坪谷氏が長年関わっているある企業の次世代リーダー育成研修では、その組織のトップである部門長が本当に次世代リーダーを育てたいと思い、その研修を特別な場と位置づけている。候補者を研修に呼ぶ際には、部門長自ら熱いメッセージを送り、現場の上司も「あの研修に呼ばれたの!? おめでとう! その間の業務は全部調整するから、行っておいで」という温度感で送り出す。同僚たちの間にも、「うらやましい。とてもいい機会だね」という空気が起きる。すると本人も、「この研修は何かあるようだ」とドキドキしながら参加し、行ってみると、部門長や先輩メンバーが高い熱量で関わってくる。実際に成長する場は仕事現場だとしても、この研修は「一貫性の象徴」として機能しているのだ。
想いを持った“ソース(源)”の存在が不可欠
これを担保しているのは、研修のオーナーである部門長の存在だ。
坪谷氏は、同じ研修を同じ企業の別の部門で実施したことがある。しかし、まったく効果がなかったという。受講者たちは真剣だったが、部門長がこの研修にそこまでコミットできず、挨拶だけしてさっさと帰ってしまった。そうなると、皆の本気度はガクッと落ちる。一貫性を担保できなかったのだ。
「ある方向を指し示したとき、多くの人は指の向かう先を見ます。しかし、本当に大事なのは、指の根元、“ソース(源)”は誰かということです。“ソース”の想いが皆に伝わり、火がつけば、効果を発揮します」
坪谷氏が企業を支援する際には、まず、“ソース”がいるかどうかを見極める。想いを持ってやろうとしている“ソース”がいるなら、その人が何をしたいかを一緒に考える。本気の人がいなければやらない。「コンサルタントが体系やマイルストーンを示して『こうすればできる』と提示すると、“ソース”が不在でも、『何だかうちの会社は良くなりそう』と思ってしまう。しかし、“ソース”がいないのに体系やグランドデザインを整えても、形骸化を促進するだけ(図2)」という考えからだ。
次のプロセスとしては、スモール・サクセス(小さな成功)を狙う。いきなり全体に実施するのではなく、チームや部署など小さな単位から始め、そこでの成功パターンを基に広めていく。
「いきなり『人事制度を全面改定する』とか、『全社にOKRを導入する』というやり方は、インパクトはありますが、うまくいかないことが多い。私はむしろ、人事制度をつくろうとする人事を止めて、今ある仕組みでなぜダメなのかを確認することが多いのです。すると、多くの場合、問題は『仕組み』にあるわけではないことがわかります」
そして、スモール・サクセスを横展開していくなかで、今の仕組みが邪魔をしていることがわかったら、初めて人事制度を変える。「管理者たちにこの道具を渡したら成長が促進される」とわかって、初めて仕組みを変え、育成を体系化するのだ。
制度・施策を先に入れようとすると、形骸化につながりやすいというのが坪谷氏の考え方だ。たとえば、自己啓発を支援するために書籍購入や勉強会参加、資格取得の費用を補助する制度を導入する会社があるが、制度だけ設けると、形骸化するか、ただ乗りする人を増やすだけに終わることが多い。しかし、経営者や部門長、もしくはマネジャーが自己啓発の重要性を説き続け、自ら必死に学ぶ姿を背中で見せ、その文脈のなかで補助制度を導入するなら、活性化に寄与する。
「多くの企業は順番が逆なんです。まずソースありきで、施策はその想いを実現するための一施策として取り入れるから意味がある。メッセージとの一貫性が大事なのです」
まじめな人事部長が形骸化を生み出す?
坪谷氏の経験では、形骸化が起きやすいのは、人事の責任者がまじめなときだという。
「たとえば、経営者が社外のセミナーに参加し、『なんかティール組織っていいらしいぞ。うちもティール組織にするんだ』と言い出すとします。そうすると、まじめな人事部長はティール組織を導入しようとコンサルタントを呼ぶでしょう。『何のために』というところが抜け落ちたまま、『ティール組織にする』という手段が目的になってしまうため、その先には形骸化しかありません」
とはいえ、経営者に「ティール組織にするぞ」と言われて、人事部長が「やりません」とは返せない。
ではどうすればよいか。坪谷氏は次のようにアドバイスする。
「人事がすべきことは、社長がなぜティール組織と言っているのか、背景を探ることです。すると、『社長は、新入社員の離職率が高いことを気にしていたな。それと、マネジャーがメンバーとどう話してよいかわからないと言うのを聞き、眉をひそめていた。もしかしたら、階層を超えたコミュニケーションがうまくいっていないという感覚があるのでは』などと見えてくるはずです(図3)。社長は別にティール組織にしたいのではなく、表現の仕方がわからないから聞きかじった言葉を使ってしまっているだけです。人事がその正体を突き止めることができれば、『マネジャーを全員集めて社長と座談会をしましょう』と提案してもいい。社長が座談会でじっくり話すことで『マネジャーに任せてみよう』と考えたり、マネジャーも『社長と話したら当社の方向性がよくわかりました。メンバーとも、もっと話してみます』と行動を始めたりしたら、しめたものです。ティールのことを社長はもう覚えてもいないでしょう」
同様に、経営者が「教育体系を再点検しろ」と言っているとしたら、再点検が必要だと思う何かが起きているはずだ。
「教育体系の再点検はあくまでも手段。なぜ再点検をしなければならないのか背景を掘っていくと、本質にたどりつくでしょう」
人事や経営者が自ら本気で学ぶ姿を見せること
経営者など想いを持った“ソース”が一貫性を持って方向性を示し、それに必要な教育が足りなければやる。今のやり方が違うなら改める―― という形であれば、教育体系を見直す意味がある。ただ、それで全員の意識や行動が変わるかというと難しい。
この点について坪谷氏は、「学ぶ気がない人を学ぶ気にさせる魔法はありません。HRD業界で繰り返し言われているように、水飲み場に馬を連れて行くことはできても、水を飲むかは馬しだい。人事にできるのは、経営者が行こうとする方向に行きたいと思う人を採ること。教育の問題ではなく、『誰をバスに乗せるか』という採用の問題です」と説明する。
では、既存社員の意識改革はあきらめるしかないのかというと、そうではない。自己啓発を促進したい場合を例に挙げると、企業にできることは2つある。
1つめは、人事の責任者や担当者が自ら学ぶこと。「社員の自己啓発を促進したいが、うまくいかない」と悩む人事は多いが、果たしてその人自身は学んでいるのか? 学んでいない人から「あなたたちの自己啓発を促進します」と言われると、イラっとくるだろう。促進したい人が“ソース”となり、誰よりも学び、誰よりも楽しそうにしていて、「この研究会に参加してきたのだけど、とても面白かった。あなたも行ってみる?」などと生き生きと語る。すると、影響を受けて水を飲む馬が出てくるかもしれない。
2つめは、経営者が本気であること。人事やマネジャーが本気でも、社長が「そんなの意味あるの?」と言ったら総崩れになる。経営者が誰よりも社員の学びに本気で投資し、学んでいる人たちに「素晴らしい」と言い続け、自身も必死に学んでいる姿を見せていることが大切なのだ。
型(カタ)に血(チ)が通ってカタチになる
ここまで見てきたように、「教育体系の再点検」に取り組むうえで気をつけたいのは、手段が目的化して形骸化しないようにすること。そして、想いを持つ“ソース”が一貫性を持って方向性を指し示すことだ。
「まじめな人事部長は型をつくりたがる。しかし、枠組みを整備しても、魂がこもらなければ、血が通わない。魂の入っていない仏像です。一方、経営者の多くは、想いがあって血は熱く流れているものの、流し続けるだけでは何も残らない。型だけでもダメ、血だけでもダメ。型に血が通って初めてカタチになる。両方が必要なのです」