J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2017年05月号

ATDの風 HR Global Wind from ATD <第2回> 脳科学とマインドセット、ラーニングデザイン

米国で発足した人材・組織開発の専門組織ATD(タレント開発協会)の日本支部ATD-IMNJが、テーマ別にグローバルトレンドを紹介します。



川口大輔氏
ATD-IMNJ 理事/ヒューマンバリュー 取締役主任研究員
早稲田大学大学院理工学研究科修了。2001 年にヒューマンバリュー入社。企業や行政体において、組織開発やリーダーシップ・マネジメント開発等の取り組みを通して、学習する組織づくりの支援を行う。訳書に『組織開発の基本~組織を変革するための基本的理論と実践法の体系的ガイド~』『脳科学が明らかにする大人の学習』(共にヒューマンバリュー刊)がある。

Image by Merfin/Shutterstock.com

毎年世界各国から、1 万人近い実践家・研究者が集うATD-ICE(カンファレンス)では、グローバルの人材開発で起きているさまざまな動向・潮流に触れることができる。本稿では、その中でも近年、特に大きな影響を生み出している「脳科学」(ニューロサイエンス)のトレンドを紹介し、人材開発の領域で起きているシフトについて考えてみたい。

■人材開発と脳科学

ATDでは2014 年より「サイエンス・オブ・ラーニング(学習の科学)」という新しいトラックが立ち上げられた。この中では、例えば「学習と脳科学」「脳科学に基づいたコーチング」「脳科学と従業員のエンゲージメント」といった脳科学をテーマとしたセッションが数多く行われ人気を博している。ATDのCEOのトニー・ビンガム氏も、カンファレンスのオープニングメッセージで脳科学が人材開発に与えるインパクトについて言及するなど、この領域を発展させていくことへの期待や意欲が高まっていることがうかがえる。

脳科学が注目されている背景には、近年、脳科学の研究自体が大きく進化したことが挙げられる。1990 年代以降、f-MRIに代表される、脳の内部の活動を視覚化する技術が発達したことによって、それまで間接的にしか研究できなかった、人の認知や感情といった抽象的な機能が、実際にどのような神経回路や神経伝達物質によって担われているかということについて、直接的に研究できるようになった。これにより、人材育成やリーダーシップ開発・マネジメントの領域において、これまで私たちが当たり前のように行ってきた慣習を、脳科学に裏づけられたさまざまなエビデンスに基づいてRethink(再考)していく動きが活発になってきているのである。

■グロース・マインドセットを育む:Be GoodからGet Betterへ

 では脳科学に関して、具体的にどんな議論や実践が行われているのかを見てみたい。ATDに限らず、昨今の人材開発の方向性にインパクトを与えている心理学・脳科学の知見に、スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授らが行っている「マインドセット」の研究がある。ドゥエック氏は、人々の学習と成長に関するマインドセットを大きく2つに分けて捉えている(図1)。

1つは、「フィックスト・マインドセット」(Fixed Mindset)と呼ばれるもので、これは、「自分の能力は固定的で変わらない」という考え方に基づいている。こうしたマインドセットを持つ人は、失敗したくないという意識が強く、他人からの評価ばかりが気になり、新しいことにチャレンジしなくなったり、すぐにあきらめてしまい、成長につながりづらいという傾向がある。

もう1つは、「グロース・マインドセット」(Growth Mindset)と呼ばれるもので、これは、「自分の能力は努力と経験を重ねることで伸ばし、開発することができる」という考え方に基づいている。こうしたマインドセットを持つ人は、失敗を恐れず、学びを楽しみ、他人の評価よりも自身の向上に関心を向け、成長が促進されやすい傾向がある。

ドゥエック氏とも深い交流がある、コロンビア大学のハイディ・グラント・ハルバーソン博士は、ATDの基調講演の中で、「変化が激しく、不確実性や複雑性が増す現在においては、その人がいかに優秀か(Be Good)といったこと以上に、どれだけ主体的に学び、成長していけるか(Get Better)といったことがより重要になる」と述べている。

ATDのセッションの中でも、学習性を高めるマインドセットをいかに育むかを扱ったセッションが増え、主要なテーマになってきている。

■「恐れ・不安」を排除し、「信頼・安心」を醸成する

こうした背景を踏まえ、近年のATDでは、人々の学習や協働を大きく阻害する脳内反応である「恐れ・不安」を減らし、「信頼・安心」に基づく職場環境をいかに築いていくかを探求する動きが多く見受けられる。

脳科学を活用したリーダーシップ開発を専門とするニューロリーダーシップ・インスティチュートのデイビッド・ロック氏は、同じくATDのセッションの中で、「恐れや不安」に関する研究の成果を「SCARF」と呼ばれるモデルに整理して紹介している。SCARFとは、

「Status(存在の承認)」

「Certainty(未来の見通し)」

「Autonomy(自律性)」

「Relatedness(仲間意識)」

「Fairness(公平性)」

の頭文字で、この5つの要因が脅かされると、脳の扁桃体が刺激されて闘争・逃走反応を引き起こし、学習に対してネガティブな影響を与えることが分かっているという。

加えてロック氏は、現在の職場におけるマネジメントの在り方が、不要な競争や不信感、関係性の悪化や貢献感の欠如を招くなど、働く人のSCARFを脅かしており、それが人々をフィックスト・マインドセットに陥らせていると警鐘を鳴らす。現在、GEやギャップといったグローバル企業の多くが、人をランキングしたり、レーティングすることで恐れや不安を引き起こすような人事制度を廃止し、グロース・マインドセットを育んでいけるような新たなパフォーマンス・マネジメントの在り方を模索しようとしている。こうした動きも、この流れに影響を受けたものである。

また、昨年のATD-ICE 2016 においては、基調講演を務めたサイモン・シネック氏(経営評論家・TED Talkの人気スピーカー)から、これからのリーダーの重要な役割として、上述したような不信感が蔓延した職場を脱却し、協力・信頼が育まれる環境、つまり“安全なサークル”を創ることが重要であることが語られ、大きな共感を呼んでいた。

シネック氏は、安全なサークルの形成に寄与する脳内の神経伝達物質として、誇りや寛容さを感じさせるセロトニン、そして愛や忠誠心を感じ、人間同士が触れ合うことで分泌されるオキシトシンの価値について言及。そして、リーダー自身が犠牲となって行動し、責任を取ると共に、お互いに支え合っていける環境を創ることの大切さを、脳科学の引用と共に紹介していた。

基調講演に限らず、「信頼」や「安全」という言葉は重要なキーワードとして多くのセッションで語られていた。

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