J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2015年08月号

連載 中原 淳の学びは現場にあり!  第32回 失敗の許されない手術をどう学ぶのか 手術のリハーサルで外科医を育成 検証現場『筑波大学 医学医療系 消化器外科』

今、外科医の減少が進んでいます。20年後には手術をする外科医は現在の3分の1になるとも予測されています。従来のように若手が経験を積み、一人前になるのをただ待つわけにはいきません。
テクノロジーの力でベテランの「ゴッドハンド」を再現し、若手を育成する筑波大学の試みを取材しました。

中原 淳(Jun Nakahara, Ph.D.)
東京大学 大学総合教育研究センター准教授。著書に『職場学習論』『経営学習論』『活躍する組織人の探究』『研修開発入門』『駆け出しマネジャーの成長論』など多数。
Blog: http://www.nakahara-lab.net/blog/
Twitter ID: nakaharajun
[取材・文] = 井上佐保子 [写真] = 宇佐見利明

パソコンの画面上に現れたのは、患者のCT画像から再現された「肝臓」の画像。マウスを動かすと、その部分がメスで切開したように内部が開いていきます。内部の画像は血管や組織の様子などがリアルに再現され、「この部分にメスを入れるとどうなるか」を歪みや撚よじれまでも正確に計算して表示します。

これは筑波大学 医学医療系消化器外科の大河内信弘教授らが開発した「肝臓の3D-CGバーチャル手術シミュレーションシステム」。マウスをメス替わりにし、手術を体験できるという画期的なシステムです。

大河内教授らは、外科の手術方法や手術手技などを動画で見られる「デジタル教科書」も同時に開発。電子書籍化された教科書をダウンロードすれば、iPadひとつで難しい肝臓の外科手術方法も鮮明な映像で学ぶことができます。動画は「右冠状間膜の切離のための肝臓の持ち方を示します。まず、ガーゼを使って……」などと解説する音声つき。他に手術の際の糸の結び方や道具の使い方を動画で学ぶこともできれば、手術の詳しい解説なども読めます。

こうした外科教育ツールが開発された背景には、若手外科医の成長を促し、外科医減少に少しでも歯止めをかけたい、という狙いがあるといいます。筑波大学を訪れ、大河内氏にお話をうかがいました。

外科が敬遠される理由

大河内氏は日本の外科医をめぐる状況を「少し前から小児科、産婦人科の医師不足が問題になっていますが、実は最も減少率が高いのが外科医なのです」と説明します。「元の数がそれなりに多かったので、あまり話題に上っていませんが、地方の中小病院では外科医不在というところも出てきています。筑波大のある茨城県の北部も医師不足は深刻で、人口あたり医師数が全国平均の3分の1程しかおらず、医療の地域格差の是正が急務です」。

特に課題となっているのが、外科医を志す医学生が減っていること。外科が学生たちに敬遠されている理由はいくつかあります。1つは「リスクが高いから」。外科は癌など重篤な症状の患者を扱うことが多いため、手術にはどうしても医療事故や訴訟のリスクが伴います。

また、「労働時間が長い」ことも敬遠される理由の1つです。外科の勤務医が足りない病院も多いことから、泊まり勤務や緊急の呼び出し、当直明けの手術なども日常的にあり、体力的にも精神的にも負荷のかかる仕事です。リスクが高く、労働時間が長い割に、報酬は他の診療科の医師より高いわけでもないのです。

そのうえ、「一人前の専門外科医となるまでに時間がかかる」ことが、外科志望者減少に拍車をかけています。外科学会が認定している「外科医」になるためには、医学部を卒業し、医師免許を所得した後、5 年程度の研修を受ける必要があります。まずは2 年間の初期研修で、内科、精神科、産婦人科と様々な診療科をローテーションします。その後3 年間の後期研修で、消化器・心臓・呼吸器など、広範囲にわたる症例について、一定数の診療と手術を経験しなくてはなりません。同時に学会発表や論文などの研究業績も必要です。これらの条件をすべてクリアした後に、外科専門医制度の認定試験をパスしなければなりません。

その上のサブスペシャリティと呼ばれる消化器外科専門医・心臓血管外科専門医となるには、さらなる修行が求められます。消化器外科専門医では手術を450例以上(難易度別に手術数が指定されている)経験しなければならないほか、学会参加、論文執筆などの条件をクリアする必要があります。「消化器外科専門医」と名乗るためには、卒業後10年近くかかるそうです。

資格取得のために必要な難易度の高い手術を数多く経験するには、どうしても大きな病院や患者数の多い都市部の病院で働く必要があり、このことも、中小の病院やへき地の病院に若い研修医が集まらない一因となっているようです。

肝臓手術の難しさ

結局、外科の専門医となるのは、早くて30 代前半、ということになりますが、肝臓の専門外科となるにはさらに熟達が必要です。大河内氏は「肝臓の手術は、概して他の臓器の手術より難易度が高いのです。自分で手術適応(手術を行うことが妥当かどうか)を見極め、手術方法を決めて執刀できるようになるのは40歳過ぎくらいではないでしょうか」と大河内氏。

肝臓は複雑な構造をしていますが、外側からは一塊にしか見えず、内部の状態は切ってみないとよくわかりません。しかも、血管が外側に走る胃や食道と異なり、臓器内に血管が入り込み出血しやすいのが特徴です。

そのため、肝臓の外科手術を行う際は、肝臓を超音波、CT等で撮影した画像を見て、医師が内部の様子をイメージしながら、血管を傷つけないよう慎重にメスを入れていきます。

「しかし、実際に手術してみると、なかなかイメージ通りには進みません。肝臓は、持ち上げたりして動かすと全体が変形するので、内部の血管などの位置も移動してしまいます。位置のずれも想像しながら、できる限り出血しないよう手術をするには、それなりの経験が必要なのです」

難易度の高い肝臓手術を成功させるために必要なのは、長年の経験だけではありません。術者の体力と視力も不可欠。「私は今62歳ですが、同年代で肝臓手術を手がける外科医は少ないと思います。老眼になると、拡大鏡を使っても、細かい手術はやりにくくなりますから。しかも、手術時間は平均5、6 時間。肝移植手術ともなれば12時間近くかかります。体力的にも難しくなり、50 代半ばで手術室から離れるのが肝臓外科医の現実です」

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