J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2011年01月号

連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 異文化で働く体験を通して自らを磨き、組織を強くする

日本を核にアメリカ、ヨーロッパ、アジア、中国に70カ所を超える拠点を中心に事業を展開しているアルプス電気グループ。2010年3月期の海外生産売上高は、71%を占めている。同社は、多くの日本人が海外現地法人へ出向する一方で、海外現地法人の社員が日本の拠点に勤務する研修制度の導入も進んでいるのが特徴。グローバルな人材活用に注力した教育が行われている。そうした同社で10年以上にわたり、人材開発や人事といった人づくりにまつわる部署で活躍してきたアルプス電気松山慎二人事部長に、人材育成に対する想いを伺った。

松山 慎二(Shinji Matsuyama)氏
アルプス電気 人事部 部長
1981年4月アルプス電気に入社。1995年本社の人材開発グループマネージャーを務める。以降、人事部グループ主査、人事総務部長を歴任。2009年に人事部長に着任する。また、日本キャリアデザイン学会、事業継続推進機構に所属。
アルプス電気
日本を核にアメリカ、ヨーロッパ、アジア、中国に開発、生産、販売拠点を展開する電子部品を開発・製造販売する大手メーカー。「アルプスは人と地球に喜ばれる新たな価値を創造します」を企業理念に、世界各国で地域社会と信頼関係を築きながら電子産業の発展に貢献することをめざす。
設立:1948年、資本金:236億2300万円、従業員(連結):3万6520人(2010年3月末現在)
取材・文/浅久野 映子、写真/高橋 美香

人を育てることは個人を守ること

アルプス電気人事部長の松山慎二氏は、6年間、従業員代表組織(労働委員会)の専従役員を務めていた時期以外は、入社以来ずっと総務人事の仕事に携わってきた。

他部門を経験しなかったのは、人材開発の仕事に携わりたいと自らが望んだからだという。もっとも、人材開発の仕事に就きたいと思ったきっかけは、入社後に新潟事業部の総務課に配属されたことにある。

「採用と教育の担当でした。入社2年目からは新入社員向けの研修トレーナーもやりましたし、20代の後半からは入社3年目の社員研修のファシリテーター役もやりました」

ビジネススクールで訓練を受け、トレーナーとして実施した創造性開発研修は、数十回に及ぶそうだ。トレーナーの仕事は嫌いではなかったし、研修を企画し、実施する中で出会う講師や専門家の話も刺激的だった。

本来はシャイで人見知りだと笑う松山氏だが、学生時代から教育に対する関心は高かった。「野球部に所属していた高校時代は、高校野球の監督になりたいという夢を持っていたし、大学生の時にはボーイスカウトのリーダーとして小学生を指導していました。教職課程もとりましたから、教育に対する関心は、学生時代から持っていたのかもしれません」

企業ビジョンの「個の尊重」という言葉も、人材開発の仕事への情熱を後押ししてくれたことの1つだが、人材開発への想いを決定づけたのは、1989年から6年間にわたる労働委員会の専従役員としての経験があったからだと松山氏は振り返った。

世界市場を視野にすでに1960年代から海外展開に着手したアルプス電気の海外生産体制は、1980年代になると世界各国に4つのメインとなる生産拠点を確立。松山氏が入社した1981年当時は業績も右肩上がりだったが、1985年のプラザ合意以降は急激な円高により、経営は厳しくなっていく。1992年下期には業績の悪化からついに希望退職募集を行った。この時、労働委員会の事務局長として会社側と対峙しなければならなかったのが、松山氏である。退職勧奨を受けた社員と会社の板挟みとなり、つらい想いをすることも多かったという。

「会社はつぶれても個人はつぶれてはならない。だから、個人が強くならなくてはいけないのだということを、強く感じました。その意味で、人を育てることは個人を守ること。人材教育は、社員にとって利益となると確信したのです」

リストラを断行したアルプス電気は、1993年下期から構造改革に着手する。企業再建をめざし、管理者教育の見直しをスタートさせた。こうした流れの中で、1995年、松山氏は本社人材開発グループマネージャーに就任した。37歳だった。

自律した個人を創ることで会社を強くする

自らも希望して人材開発の仕事に就いた松山氏だったが、理想と現実のギャップが埋まらず、当時はかなり苦しんだと話す。ITやグローバルな企業間競争の進展から求められる人材像をいかにつくっていけばいいのか。海外展開の加速化に伴う人材づくりに加え、管理職の強化を図るための研修も実施したい。しかし、業績の低迷から教育費の削減を余儀なくされる現状。

「想いばかりが強過ぎましたね。自己啓発で社外研修に出席した時、自律した個人を創ることで会社を強くすると訴えたんです。そしてリストラを経験したからこそ、そうした組織づくりの重要性を強く認識しているということを熱く語る私は、“まるで経営者ですね”と他の受講生に言われてしまった。冷静にならなければと、反省しました」

試行錯誤を続ける中、2年後の1997年、松山氏は磁気応用事業部の総務課長へ異動した。

「本社の人事部は専門分野ごとに担当が分かれますが、事業部の総務はある意味何でもやらなければいけません。だからこそ研修の企画も通りやすいんです。本社だと、全社展開ということになるので、必要な承認も煩雑になります。その意味で、事業部の総務の仕事はやりがいがありました」

再び本社人事部へ異動となったのは、2003年だった。まず実施したのは、ビジネスリーダーとなる若手幹部社員を選抜し、教育するコースを構築することだった。社会的に厳しい情勢だった時期だからこそ、アルプス電気の事業を引っ張っていける、問題解決のための戦略が立てられる人材が必要だったのだ。

2006年、松山氏は人事総務部長に就任する。めざすはグローバルな人材活用である。

「ビジネスのグローバル化に伴い、社員の活躍の場も拡大しています。日本国内だけでなく、海外現地法人に勤務する社員を含め、グローバルな視点で人材育成も考えています」

課題は、海外現地法人の社員の育成だと松山氏は指摘する。

「海外現地法人の中には、現地採用スタッフにマネジメントをやってもらっている場合も少なくありません。そうした社員はその国のことは理解していますが、経営のグローバルな視点が足りない。その意味で、アルプスグループというグローバル経営に携わるには心もとない。海外現地法人に勤務する社員を経営幹部として育成できるようにならなければ、本当の意味でのビジネスのグローバル化は実現できないと思うのです」

地域による給与格差や意識をいかに是正するか

アルプス電気が、日本国内だけでなく海外現地法人に勤務する社員を含め、グローバルな視点で人材育成を積極的に展開し始めたのは、2006年からだ。

「2001年のITバブルの崩壊から2003年までは、正直当社の業績は厳しいものでした。2005年からようやく業績が好転し、グローバルな人材活用のための育成に手がつけられるようになったのです」

現地法人採用のマネジャークラスの社員を対象に、2年間、日本国内で業務に従事させ、その過程でリーダーとして不可欠なアルプス電気グループの独自の企業文化を体得してもらうための「アルプス日本勤務制度」をスタートさせたのは、2006年10月だった。すでに22人の社員が来日し、国内の職場に参加、もしくは継続中だそうだ。

「海外現地法人の社員が育ってきたからこそ、逆出向とも呼べるこの制度が実現できたのです」

欧米の現地法人には現地採用のマネジャーは少なくなかったが、中国への本格展開は1993年から。およそ15年を経て、ようやく現地採用の社員がマネジャーにまで育ってきたというわけだ。

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