J.H.倶楽部

無断転載ならびに複製を禁じます。なお内容は取材・掲載当時の情報です。

月刊 人材教育 2012年02月号

連載 人材教育最前線 プロフェッショナル編 想定外のところに“ 本当の成長”が待っている

10年後の三菱地所グループの理想型、強固なバリューチェーンに裏打ちされた投資開発事業におけるNo.1企業をめざし、中期経営計画「BREAKTHROUGH 2020」を策定した三菱地所。事業戦略実現に向けて、全社的なグローバル化の推進、環境への積極的な取り組み、経営インフラの強化、そして人材育成や活力のある職場づくりに取り組んでいる。そうした同社の人づくりを担うのが人事部副長の後藤泰隆氏だ。都市の未来を創造する組織をつくるために人事部の果たすべき役割は少なくないと話す後藤泰隆氏に、人材育成について伺った。

後藤 泰隆(Yasutaka Goto)氏
1991年三菱地所入社。都市開発部配属。オフィスビルや大規模物件の開発に8年間携わる。その後、丸の内ビルの運営管理を担当する。2002年、人事業務の関係会社であるメック・ヒューマンリソースに2年間出向。2004年企画管理本部人事企画部、2005年資産開発事業部、2007年人事企画部、2009年4月人事部

三菱地所
1937年5月7日三菱合資会社の不動産部門・建築部門が分社して設立。オフィスビル・商業施設等の開発・賃貸・管理、収益用不動産の開発・資産運用、住宅用地・工業用地等の開発・販売、余暇施設等の運営、不動産の売買・仲介・コンサルティングなどを幅広く展開する。
資本金:1413億7321万4071円(2011年3月31日現在)、従業員数:624名(2011年3月31日現在)、連結:8001名

取材・文/浅久野映子、写真/髙橋美香

仲間と一緒に行動し結果を出すことの大切さ

2007年に人事部へ異動し、採用と人材育成を担当することになった人事部副長の後藤泰隆氏。今でこそコーポレートスタッフの仕事にやりがいを感じているというが、三菱地所に入社したのは、もちろん、都市開発の仕事がしたかったからである。

兄と2段ベッドで育ったせいか個室に憧れ、子どもの頃から不動産広告の住宅の見取り図を見ながら、理想の我が家を思い描くのが大好きだったという後藤少年は、工学部で都市工学を学ぶために岡山市から上京する。1987年だった。バブル経済に沸く東京の街の力に、まさに驚愕したと、後藤氏は笑った。

街は面白い。街をつくる仕事がしたい。公務員や銀行、シンクタンク、ゼネコンと、自分の夢を叶える仕事に就きたいと、自分なりに調べたと後藤氏はいう。そして、不動産会社で実際の街づくりに携わる仕事が最もやりがいがあると思い入社を決めたのが、三菱地所だった。

1991年、入社後に配属されたのは、念願の都市開発部。「憧れの仕事に就けて、本当に嬉しかったですね。しかし、その思いはすぐに消えてしまいました。大規模な不動産開発の仕事をするには、あまりにも自分は無力であると思い知らされたからです。入社後しばらくは、自分は給料分の成果を出せていないと、忸怩たる思いでした」「丸の内再構築」第1号、丸ビルの建て替えが発表されたのは1995年。この直後、後藤氏は「丸の内再構築」の担当に加わった。「丸の内再構築」といっても、建て替えが決まっていたのは丸ビルだけ。そのため、街づくりに関して社外に具体的に発表できることは少なく、丸の内のオフィス街がどのようになるのか、そのイメージを伝えることは難しかった。

今でこそ、華やかなイルミネーションに彩られ、ビジネスだけでなく、ショッピングやグルメ、文化の発信地となった丸の内だが、丸ビルがオープンする前は「朝、丸の内へ向かう人の群れが夕方になると東京駅へ吸い込まれる」オフィス街。汐留や品川などに最新設備を持ったオフィスビルが登場し、新たなビジネス街が注目されるようになると、丸の内から多くの企業が離れていった。「1997年、経済紙に『丸の内のたそがれ』という記事が掲載されました。内容は、「日本経済の中心だった丸の内だが、今や凋落の一方。三菱系の多くも品川に拠点を移している今、三菱地所はどうするのか……」というものでした。悔しかったですね。私にしてみれば一方的な記事で、我々のビジョンなど、一行も触れられていない。とはいえ、丸ビル完成までにはまだ何年もかかる……。そうした歯がゆい思いが募りました」

何か今すぐにでもできないか。実際に実現しない限り、社会からの評価は変わらない。社内の各部署それぞれが、たとえば店舗を呼び、情報発信の拠点をつくりと、さまざまな活動を積極的に行った。それによって人が集まるようになると、雑誌やテレビで取り上げられるようになり、丸の内に対する見方が徐々に変わっていった。「悔しい思い、反論できないという絶望感、そこから這い上がって仲間と一緒に行動し、一つひとつを実現していくことのやりがいと楽しさを感じることができた瞬間でした」仕事の醍醐味を実感できたこの出来事は、後藤氏にとって強烈なターニングポイントとなった。

仲間を支えることで組織を強くする

青天の霹靂ともいえる辞令は、丸ビルオープンの直前にあった。

後藤氏は、2002年の4月から人事業務のトータルサポートを行うメック・ヒューマンリソースへの出向を命じられた。出向といっても、職場は三菱地所本社の人事部の近くにある。後藤氏の担当は、福利厚生と給与関係。

思いがけない仕事に後藤氏は、「これからは、街づくりとは関係ない仕事に就くのか」と、気持ちを持て余した。

設立されたばかりのメック・ヒューマンリソースのプロパーの社員のほとんどは、年齢こそ後藤氏よりも若かったが、中途採用者ばかりで、皆“その道のプロ”。後藤氏は彼・彼女らを管理する立場であるにもかかわらず、仕事の知識もスキルも持ち合わせていなかった。

自分が役に立つことはないか探し回った。居場所がほしかった。「そうしてあがいているうちに、自分は、メック・ヒューマンリソースの担当者と三菱地所の社員との橋渡しをすることで貢献できるのではないかと気づきました」と、後藤氏は当時を振り返る。「住宅ローンなど、福利厚生の制度を活用する場合、互いの事情がわからずにトラブルが発生することは少なくありません。しかし、そうした問題の大部分は、コミュニケーションのギャップが原因。両者を理解している私が間に入ってギャップを埋めればいいと思ったのです」

グループ会社の人事制度構築の際も、後藤氏が依頼者と専門家の間に立つことで互いの理解が深まった。

しかも後藤氏が出向した2002年は、日本企業の多くが成果主義を導入した時期。終身雇用や年功序列といった日本的経営が否定され、社員の自立の必要性が声高にいわれた頃だ。それまで人事に興味がなかった後藤氏だが、マネジメントやリーダーシップに関する書籍を読み、人事について考え、人事の重要性を意識するようになったという。

こんなこともあったという。過去の人事部の先輩が退任を迎えた際の送別会。席上、その方はこう言った。「入社以来、この会社には色々な変化があった。変化にはいい変化も悪い変化もあるが、トータルに見てこの会社は今まで随分よくなってきたと思う。しかし、ここから先、この会社をもっとよくしてほしい。皆さんにそのことを託す」

この言葉を聞いて、後藤氏は人事の仕事への思いを改めて強くした。「最前線で働く仲間を支えることによって、会社を強くすることができる。そのやりがいに気づいたのです。それからというもの、人事の仕事が格段に面白くなっていきましたね」

しかし、人事の仕事の楽しさに気づいたのも束の間、2005年には資産開発事業部へ異動となり、証券化スキームを使ったオフィスビルの開発に従事。晴海センタービルの開発を担当するなど、人事とは全く異なる仕事に挑むことになったのだった。

こちらはJ.H.倶楽部会員限定記事です。
ご入会後、続きをお読みいただけます。

残り:2,097文字

/

全文:4,193文字

【入会・年会費無料】

J.H.倶楽部は人事の仕事に役立つ特典が満載です!

  1. 総数2000本以上の人事の実務に役立つ記事(※)が閲覧可能
    ※専門誌『Learning Design』(旧『人材教育』)の記事
  2. 新サービス・お役立ち情報(調査報告書・ホワイトペーパーなど)の先行案内
  3. 会員限定セミナーへのご招待/講演動画・配布資料の閲覧
  4. 興味関心に沿った必読記事を、メールマガジンでお知らせ!