J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2013年01月号

巻頭インタビュー 私の人材教育論 創業者のDNAと夢を伝え、未来に開花させる大和ハウス流育成術

1955年、「建築の工業化」を企業理念に創業した大和ハウス工業。
住宅や商業施設の建築を行うなど、幅広い事業展開を進める。
さらに環境エネルギー事業、ロボット事業、農業事業などに進出。
創業100周年を迎える2055年までに売上高10兆円の企業群をめざしている。
その原動力となるのが、創業者である故・石橋信夫氏の仕事哲学だ。
同社のDNAともいえるその教えとは。

樋口 武男(Takeo Higuchi)氏
生年月日 1938年4月29日
出身校 関西学院大学 法学部
主な経歴
1963年 大和ハウス工業 入社
1984年 取締役 就任
1991年 専務取締役 就任
1993年 大和団地株式会社
代表取締役社長 就任
2001年 大和ハウス工業
代表取締役社長 就任
2004年 代表取締役会長兼CEO 就任
現在に至る

大和ハウス工業
1955 年創業。
半世紀以上にわたり住宅や商業施設等を提供し、幅広い事業展開を進める。
近年は、新たに環境エネルギー事業、ロボット事業、農業事業などに進出。
人が心豊かに生きる社会の実現をめざす。
資本金:1,101億2,048万3,981円、売上高(連結):1兆8,487億9,700万円( 2012年3月期)、従業員数:28,249名( 2012年4月1日現在)

インタビュアー/西川敦子 写真/武島 亨

「志のある人材」をつくる

―― 2015年に、御社は創業60周年を迎えます。抱負をお聞かせ下さい。

樋口

目標は売上高2兆5000 億です。そして100周年の2055年には“10兆円企業”をめざす。これが当社の創業者にしてオーナー、故・石橋信夫の夢です。

私の夢は、創業者の夢を実現することに他なりません。それは同時に社員全員の夢でもあります。そして、この夢を達成するために、大和ハウス工業はサステナブルな企業にならなければなりません。夢を実現するのは人材。だから人材育成には特に力を入れなければならない。

――良い人材と、そうでない人材の差とは。

樋口

能力の差より“やる気の差”だと私は思っています。つまり、明確な「志」を持っているかどうか。志さえあれば、どんな艱難辛苦をも乗り越えることができる。逆に目標なき人材は、羅針盤のない船のようなものといえます。つまり、志を持たせるような教育こそ、人材育成には不可欠なんです。

私自身は20歳の時、「事業家になる」という志を持ちました。当時の日本はまだまだ食糧難の時代です。子どもたちにひもじい思いをさせまいと、こっそり質屋に入る母親の姿を見て、親の思いに報いようと決意を固めました。

ですから、大学から斡旋された3つの就職先候補のうち、一番小さな鉄鋼商社へ入りました。小さい会社なら組織の歯車としてではなく、さまざまな仕事を自分で手掛けられる。会社というものの仕組みも大体わかります。将来、事業家になるためにはもってこいだ、と思いました。

しかし、時は「鉄は国家なり」といわれた昭和30年代。はっきりいって、商売は楽でした。勤務時間は短いし、給料も比較的良かったです。植木等の「サラリーマンは気軽な稼業ときたモンダ」という唄がありましたが、まさにああいう感じでした。私には20歳の時の一大決心がありますから、だんだんその楽な環境に慣れることが怖くなった。若い時から生意気だったため、あらかじめ敷かれたレールの上を走っているだけでは大成できないと思った。

それで転職を決意しましたが、さて、転職先はどこがいいのか。あれこれ探している時、とある週刊誌の記事に目が止まった。「不夜城 大和ハウス」という見出しが躍っている。読むと、折からの住宅ブームで急成長している会社という。ここや、ここでしごいてもらおうと思いました。

周囲は反対しましたが、親父はこういって背中を押してくれました。「どんなにいい会社でも、何十年も勤めていたら辞めたくなる時が来るやろ。そんな時、人に勧められて入った会社なら勧めてくれた人のせいだ、と思うかもしれない。失敗を他人のせいにするくらいなら、自分で決意したことをやるがいい。誰の人生でもない、お前の人生や」と。

とはいえ、募集していたのは「歩合制セールスマン」。身重の妻を持つ身でしたから、面接の時、人事課長に「それでは困る、正社員として採用試験をしてほしい」と申し入れました。「厚かましい男だ」とあきれられましたが、資材担当の専務が面接をしてくれて、運良く正社員として入社することができました。

入社後は大阪・堺工場に配属になりました。当時、自宅は池田市にあったので、午前7時半から始まる工場全体の体操に参加するためには、5時半に自宅を出ないといかん。夜は夜で、鉄以外の資材や工場のラインなど、自分で勉強すべきことが山ほどある。だから、退社は午後10 時。それから帰宅すると就寝は午前1時。毎日、睡眠時間は4時間あればいいほうでした。

そういう生活を、かれこれ2年間続けました。辛かった。転職の時、親父がいってくれた言葉がなかったら、挫折していたかもしれない。あきらめそうになるたび、あの時の言葉を思い出し、「そうや、おれは自分で決めたんだ」と歯を食いしばりました。もちろん、その思いの奥には「事業家になる」という志があったわけですが――。

創業者の背中に学んだ仕事人生

――現場で部下育成に当たられていた時、特に印象的な頃はいつ頃でしょうか。

樋口

人材育成の醍醐味と厳しさを知ったのは1974年に支店長として赴任した山口支店時代でしたね。当時の私は、この部下はここで鍛えなければダメになる、という場面では、容赦なくビンタを食らわせたりしていた。今では考えられないことだと思いますが――。たとえば、約束を破る、嘘をつく、朝礼に遅れる、といった場面で、明確な理由がある時。もちろん、理不尽な叱り方をしたことは一度たりともありません。

しかしその反面、誰よりも長時間働き、たくさんの人に会って商談した、という自負があります。「率先垂範」。これは、創業者のモットーでもありました。そして、自ら胸襟を開き、機会を見つけては部下と語り合った。これも、「会社は命、社員は子ども」と心底から信じ、行動する創業者の仕事ぶりを見ていたからです。

―― 創業者の石橋信夫氏には大変大きな影響を受けられたと伺っています。

樋口

創業者は、言葉ではなく、自分の背中で部下を育てる人だった。

最初にその薫陶を受けたのは、山口支店時代でした。創業者が来られた折、県知事を訪問した後、日本電信電話公社山口支部に行った。そこで支部長に挨拶した後、「いつもお世話になっているのはどなたや」と聞く。「総務課長と係長さんです」と答えると、その足でさっそく出向いて行かれた。先方はすっかり恐縮して気をつけの姿勢で出てこられるわけですが、創業者は、知事や支部長に挨拶している時となんら変わらぬ姿勢で名刺を両手でおし頂き、膝がしらを拝むように挨拶されるんです。こちらが頭を上げると、まだ深々と頭を下げておられたので、慌ててまた頭を下げたものです。

あとで、「今日は挨拶のオン・ザ・ジョブトレーニングをしていただいたんですね」と尋ねると、「そうや」とも「違う」ともいわれない。黙って、相手が気づいて学ぶのを待つ。そんなところがありました。

――常に先の先を読んで行動する方でもあったとか。

樋口

バブル崩壊後の1993年、大和団地株式会社を再建してほしいという話を持ちかけてこられた時は、びっくり仰天しました。債務超過寸前の関連会社を再建するというのは、あまりに任の重い仕事です。お断りすると、怒髪天を衝く勢いで怒られた。

ところが、その後の対応がやはり凡人と違う。すっと冷静になって、「山口支店ではでええ経験したやろ。福岡支店では、大病をして人間が太うなったやろ。俺は20年間、君を見てきたんや。昨日や今日の思いつきでいっているんやないんやで」。

まさしく外堀を埋められた気分でした。「わかりました。そこまでおっしゃっていただければ、男冥利に尽きます」と返事すると、一言「君の宿命やと思ってくれ」と。後々まで心に残って離れない言葉でしたね。

当社の社長に就任する時もそうでした。ある時、オーナーに呼ばれ、本社に行くと「6月の総会で大和ハウス工業の非常勤取締役になっておけ」といわれた。私にしてみれば予想外の言葉でした。関連会社に出た人間で、大和ハウスに戻った例はなかったですから。

総会を終えて9月、またオーナーに呼ばれました。今度は何かと思えば「大和ハウス工業と大和団地を合併する」といわれました。「ただし、対等合併やで。来年4月から大和ハウスの社長は君や」。

それで急遽、12月後半に臨時株主総会を開き、4月1日から社長に就任することが正式に決まりました。後から考えてみれば、あらかじめ非常勤取締役に就任していたからこそ、実現した急展開だったわけです。

この話には続きがあります。

臨時株主総会が済むと、今度は「就任までに3ヵ月ある。その間に工場を含め、全国の全事業所を回って訓示して来い」と指示されました。「8年間、関連会社にいた間に、君のことを知らん人間もたくさん増えたはずや。支店も昔とは変わっているしな」。足で現場を回り、自分の目で確かめて来いとおっしゃるのです。「現場主義」はオーナーから学んだ、大切な教えのひとつ。思えば、1950年代に当社が開発、販売をスタートしたプレハブ建築「パイプハウス」「ミゼットハウス」も、現場の知恵から生まれた商品でした。

―― 創業者の最晩年の4年間は、オーナーが療養する能登の「石橋山荘」に毎月通われたそうですね。

樋口

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