J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2013年03月号

巻頭インタビュー 私の人材教育論 京都の文化と歴史を背景に 中長期の視野で 人も技術も関係も育む

エンジン排ガス測定装置分野で80%の世界トップシェアを握る堀場製作所。
そして、同社は海外企業からも、堀場ブランドの傘下に入れてほしいという声が上がるほどのグローバル企業。
そうした世界に通用する魅力の源は、どこにあるのか。「おもしろおかしく」というユニークな社是と、京都の文化の中で培われた目先の利益や流行にとらわれない独自の経営哲学について伺った。


堀場 厚氏
生年月日 1948年2月5日
出身校 甲南大学理学部応用物理学科
カリフォルニア大学工学部
電気工学科
カリフォルニア大学大学院
工学部電子工学科修了
1971年 オルソン・ホリバ(米国)入社
1972年 堀場製作所 入社、
ホリバ・インターナショナル
(米国) 出向
1973年 ホリバ・インスツルメンツ
(米国) 出向
1975年 カリフォルニア大学卒業
1977年 カリフォルニア大学大学院修了、
海外技術部長
1981年 海外本部長
1982年 取締役
1988年 専務取締役
1992年 代表取締役社長 就任
2005年 代表取締役会長兼社長 就任
著書に『京都の企業はなぜ独創的で業績が
いいのか』(講談社)。

堀場製作所
1953 年設立。分析・計測機器の総合メー
カーとして、自動車や半導体産業をはじめ新
素材、エネルギー、鉄鋼、食品、バイオ、化学、
環境、医用などの多分野で製品を提供する。
東証一部、大証一部に上場。
資本金:120 億1,100万円、売上高:(単体)
519 億200万円、(連結)1,234億5,600万円、
従業員数:(単体)1,417名、(グループ)5,448
名(全て2011.12月期現在)

インタビュアー/赤堀たか子
Interview by Takako Akahori
写真/行友重治
Photo by Shigeharu Yukitomo

長期的な競争力強化で世界シェアを実現

―― 御社は、自動車の排ガス測定機が世界シェア8割を誇るなど、世界的な分析・計測機器メーカーとして知られています。こうした強さの秘密は、どこにあるとお考えですか?

堀場

当社は、液体を測定するpHメーターを父(堀場雅夫氏・現最高顧問)が開発したのが始まりです。これが爆発的に売れたことから、その利益でガスの測定機を開発し、その後さらに固体の分析に進出した結果、現在は、気体、液体、固体を分析・計測できる独自の技術を持っています。

開発型の企業ですから、開発投資は重要で、当社の場合、景気の良し悪しに関係なく一貫して売り上げの10%程度を費やしています。

開発投資というと製品への投資と思われがちですが、実は、対象は人間です。ただし、開発者として一人前になるためには10年以上かかりますから、その間は教育期間みたいなもので、経営者は、じっと我慢をしなければなりません。しかも、その投資が全て成果につながるわけでもありません。しかし、それを承知のうえで投資しなければ、開発者は育たないのです。

中長期的な視点は、製品の開発においても重要です。その一番いい例が放射線モニターです。東日本大震災の時、当社は、福島県に百数十台の放射線モニターを寄付しました。輸入品や廉価品が氾濫していましたが、当社の製品だけが全部が同じ値を示したそうです。本来、同じ値を示すのが当たり前なのですが、世の中には、「儲かるから参入する」という経営者は多いのです。しかし、見てくれだけ同じにしたところで、基礎技術がなければ競争力はありません。当社の製品は、子どもでも使えるほどシンプルですが、使われている技術はプロ向けと同等で、しかも、製品の説明をする人間も技術に精通した一流の人材です。ですから、説明を受けた人は、流行りでつくられた製品との違いを実感するわけです。

この放射線モニターをつくっていた事業部は、実は数十年間一度も黒字を出したことがない部隊でしたが、創立以来長らく、基本技術として開発し続けていたのです。

中長期的に育むものとして、協力会社との関係もそのひとつです。日本の多くの企業が系列を解体した時、当社は逆に協力会社との関係を強化しました。半導体の需要が低迷し、受注が減った時期に支援し続けただけでなく、経営者の子弟にも若い頃からいろいろ教え、仕事を超えたつながりを深めてきました。そのおかげで、市場が回復した時、協力会社は、当社に優先的に対応してくれ、ライバルより短納期で納入できた結果、シェアも拡大したわけです。

―― 開発にせよ、供給体制にせよ、目先の利益を追うのではなく、長期的な競争力を考え、強化しているのですね。とはいえ、リーマンショック後の景気低迷下では、その方針も揺らいだりはしなかったのですか?

堀場

揺らぎませんでしたね。それは、競争力をつけるには時間がかかるということを経験的に知っているからです。

私は、社長に就任後3年間、減収減益を経験しています。というのも、専務時代から進めていた取り組みを社長になり強化していた同じ時期に奇しくも、成績が落ちたのです。専務時代から通算すれば、5年間結果を出せなかったわけです。今、私が取り組んでいることも成果が出るまでは、5年から10年はかかるでしょう。経営者というのは、常に10年20年先を考えて手を打つことが必要なのです。

成果がすぐに見えないと、市場からは評価されにくいのですが、一方、長期的な事業を展望する姿勢は、企業の信用を高めることにもなります。

当社では、中国の反日デモのさなかに上海の新工場のオープニングセレモニーを行いました。時期が時期だけに、地元の幹部役人は来ないだろうと思っていたら、セレモニーに参加してくれ、しかも、「堀場さん、こちらもきちんと対応するから、安心して頑張ってください」とまでいってくれたのです。これは、我々が現地に根差した事業を行い、現地に必要な技術や仕事を提供していると認められたからでしょう。

当たり前の話ですが、誰でも相手の態度を見て自分の態度を決めるのです。当社の現地法人の責任者は、現地の経営者の集まりにまめに参加し、自宅に招かれれば、喜んで応じています。そうした常日頃の個人ベースのつき合いの積み重ねや、誠実に相手と向き合うことが、仕事のうえでも信頼関係につながるのです。

現場を知らなければ組織は運営できない

――信頼を得るには、コミュニケーションが重要ということですね。

堀場

私がコミュニケーションを重視するようになったきっかけは、米国進出です。1970年代当時、米国はこの分野で最も競争が激しい市場で、参入をためらう企業も多かったのですが、当社は、独自の技術が現地で高く評価されたため、1970年に合弁会社を設立し、米国進出を果たしました。

しかし、参入はしたものの、日本から空輸した製品は、移動中の振動や気圧の変化が原因で故障が続き、現地の米国人スタッフからは、「堀場の製品は品質がいいと聞き転職したのに、全然よくないじゃないか」と責められる始末でした。

当時、私は最初のサービスマンとして赴任していたので、それを本社に報告したのですが、「日本では故障は起きていない」と、初期には全く取り合ってもらえなかった。この経験から、現場の声は本社には届かないことを痛感し、いかに現場の声を経営に活かすかを考えるようになったのです。

――具体的にはどのような対策をされているのですか?

堀場

まず、従業員を海外に派遣し、直接現場を見るようにさせました。

現在、当社は、世界27カ国で事業を展開しています。日本人に肩書きだけつけて海外に派遣しても、現地の人は従いません。グローバルな組織を運営するうえでは、現地の習慣や考え方を肌で知り、Face to Faceのコミュニケーションをとることが肝心です。そうした観点から、毎年、20代後半~30代半ばの人を10~15人、社内公募した研修生として海外の事業所に送り出しています。

その結果、現在では、本社1200人のうちの15%、管理職200人のうちの30%、役員19人のうちの90%が、海外勤務を経験しています。

現地を知るという観点では、年末のパーティーもあります。幹部を集め、夫婦同伴の全員タキシード着用の海外式のフォーマルパーティーを行うのです。海外ではパーティーに出る機会も多いのですが、慣れていないと、タキシードを着た人を見ただけで日本人は萎縮してしまいます。海外では、堂々としていないと人はついてきません。海外企業とビジネスをするためには、そうしたことを学び、経験する必要があり、その機会としてもパーティーを開いているわけです

「おもしろおかしく」の理念と“京都”の文化力で得る共感

―― 研修からパーティーまで実践を通じ、海外の組織を運営する力をつけるわけですね。では、海外で事業展開するうえで、どんな点に留意されているのでしょうか?

堀場

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