J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2011年04月号

“よそでも通用する能力”がある人材を 育成するのが人事の務め

大阪府に本社を構える東和薬品。同
社は、ジェネリック医薬品の製造販売
を手がける企業だ。ジェネリック医薬
品のニーズの高まりにともない、同
社では企業規模を拡大。わずか4年
ほどの間に、社員数は1.5倍に増加し
た。そうした企業において人材育成
の重責を担うのが相澤直樹人事部長
だ。前職でのキャリアを買われ、
2006年に入社した相澤氏は、2008年
には人事部長に就任した。相澤氏が
人材育成で常に意識しているのが“よ
そでも通用する能力”がある人材の
育成だ。この言葉の裏に隠されてい
る相澤氏の真意とは――。その想い
を伺った。


相澤 直樹氏
1981年4月ケーブルメーカーに入社。人事・総
務関連の業務を担当。1999年総務部長、2002
年情報通信事業本部長、2004年管理本部長
歴任。2006年に25年勤めた会社を退職し、
東和薬品に入社。2008年現職。現在に至る。
東和薬品
ジェネリック医薬品の製造・販売を行う
大手企業として知られており、研究開発
から生産、物流、販売まで一貫して手が
けている。1951年創業。大阪府に本社を
構える。
資本金:47億1770万円、売上高:390億4300
万円(2010年3月期実績)、正規従業員数
1353名(2010年12月末現在)

取材・文/赤堀たか子、写真/吉田三郎

他社でも通用する自立した人材の育成をめざす

2006年に東和薬品に中途入社した相澤直樹氏が、人事部長に就任したのは2008年のこと。相澤氏は、これまで、目標管理制度の導入や人事制度にリンクした賃金体系の構築、人材育成制度づくりから社員に対するカウンセリングまで、人事関連の業務について、制度設計から運用まで幅広く取り組んできた。

相澤氏が新しい制度を通じてめざしているのは、「よそでも十分通用する能力を持ちながら、当社の企業理念に共感し、当社が好きだから、当社で働いているという人づくり」だという。「人事部長が、“他社に転職できる能力を持て”というのは、矛盾しているように思われるかもしれません。しかし、社会環境が激変する中では、一生、会社が守ってくれるという保障はありません。自分らしく働きつつ、会社に必要と認められるためには、社外からスカウトされるくらいの能力を身につけることが必要なのです」

こう語る相澤氏が勤める東和薬品は、最近よく耳にするジェネリック医薬品のメーカーである。これは、新薬の特許期間(20~25年)などが過ぎたあとに、他のメーカーにより製造・販売される医療用医薬品のことで、新薬と同じ有効成分、効能・効果などを備えながら、新薬より低価格なのが特徴だ。

欧米に比べジェネリック医薬品の普及が進んでいなかった日本だが、近年は、医療費抑制の観点から国も普及を推進しており、需要も拡大している。

1951年、医薬品原材料卸として創業した同社は、1957年に一般用医薬品の製造に進出した後、1965年に、医療用医薬品製造業に転換。ジェネリック医薬品に対する急速な需要拡大に伴い、同社も企業規模を拡大し、2006年に1000人あまりだった従業員数は、2010年には非正規も含め、約1700人と、1.5倍以上に増加している。また、創業家が経営するオーナー系企業ながら、株式を公開し、上場企業としての責任も果たさなければならない。

急成長する企業にとって急務となるのが、人材の育成だ。特に、上場企業となると、それにふさわしい人事制度の構築が求められる。

その重責を任されたのが、相澤氏なのだ。

ITバブルの崩壊で、リストラの責任者に

相澤氏が、“よそでも通用する人材を育成する”という人材観を持つようになったのは、自身の経験と無関係ではない。

相澤氏は、大学を卒業した1981年、ケーブルメーカーに就職する。

同社は、国際的大型プロジェクトを数多く手掛けてきた会社。企業としての歴史が長く、しかも、情報通信産業の発展に伴い、ケーブルの需要は増大、新しい工場を立ち上げるなど、業績も拡大していた。相澤氏も当時は「手堅い企業に入社した」と思っていたという。「順風満帆と思われていた会社でしたが、大きな嵐が襲いかかりました。膨らんでいたITバブルが、ついに崩壊したのです」

米国では、大手の通信会社をはじめ、IT関連企業の経営破綻が相次ぎ、一説によれば、2002年だけで、米国IT関連失業者数は56万人に上ったという。こうした影響を受け、相澤氏が在籍していた会社でも受注が激減。債務超過ぎりぎりまで業績が悪化したという。

このような状況の中で会社の存続をめざすには、組織のスリム化が必要となる。そしてその任務を命じられたのが、当時総務部長だった相澤氏だったのだ。

自分自身を守るのは、自分の能力でしかない

相澤氏に任されたのは、希望退職の受付から退職者の再就職支援までのさまざまな業務、つまり、人員リストラ業務だった。

かつて相澤氏は、九州に工場を新設した際、関東地区の工場から200名近い従業員を異動させるという業務に携わったことがあった。「家庭の事情などで異動が難しい従業員にも、異動を求めなければならなかったのは、苦しい経験でした。ですが、当時の人員整理の仕事の厳しさは、それ以上のものがありました。リストラを進めていた年の春、見上げた桜の花の色が灰色に見えたほどですから」

しかし、大手企業としては、社会的な責任を果たすためにも、何としても会社を存続させなければならない。相澤氏は、そうした重圧に耐えながら、自分がやるべきことに取り組んでいったと振り返る。「精神的にとても苦しい毎日でした。しかし、“明けない夜はない”、“やまない雨はない”と自分にいい聞かせながら、とにかく誠実に対応することを心がけました」

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