J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2013年07月号

巻頭インタビュー 私の人材教育論 めざすは、挑戦にワクワクし組織を引っ張るドライバー人材の集合体

CVT(無段変速機)でトップシェアを誇るジヤトコは、日産系列の自動車部品メーカーだ。さらなるグローバル展開をめざし、2011年、カルロス・ゴーン氏に請われて就任した新社長は、プラスチック業界出身の秦孝之氏。秦氏が強力に推進する、組織を牽引するリーダー育成について聞いた。

秦 孝之(Takashi Hata)氏
生年月日 1958年7月5日
出身校 早稲田大学法学部
主な経歴
1981年4月 日商岩井 入社
1986年6月 米国ノースウェスタン大学経営大学院修了。商社員としてドイツ、インドネシアに駐在
2000年1月 GE入社 香港、上海に駐在
2006年6月 日本GEプラスチックス社長就任
2008年1月 SABICイノベーティブプラスチックスジャパン社長就任
2010年1月 SABICジャパン 社長就任
2011年6月 ジヤトコ 社長就任
現在に至る

ジヤトコ
1999 年設立(前身の日本自動変速機株式会社は1970年設立)。日産、三菱、スズキ、ルノー、GMなど国内外の自動車メーカーにATやCVTといった自動変速機を供給。
資本金:299億3,530万円、連結売上高:6,025億円(2012年3月期)、連結従業員数:10,567名(2012年3月31日現在)
インタビュアー/西川 敦子
Interview by Atsuko Nishikawa
写真/藤枝 彩子(スタジオモア)

Photo by Ayako Fujieda (STUDIO MORE)

“シャイな会社”が強さを自覚

―― 貴社は、世界有数のオートマチックトランスミッション(自動変速機。エンジンからの動力を最適にタイヤに伝える)専門メーカーです。なかでもCVT(無段変速機)では世界で49%のシェアを獲得。あらゆるタイプの自動車に対応するラインナップを持たれていると伺っています。

「電子制御5速オートマチックトランスミッション」「2リッタークラス金属ベルト式CVT」「トロイダルCVT」など、創業以来、一貫して自動変速機を作り続けてきました。この分野では先駆け中の先駆けといえるでしょう。それを支えるのは、やはり技術開発力。現在主流である中型車クラスの金属ベルトCVTにしても、商業化に成功したのは当社が間違いなく世界初です。

――CVTの仕組みは、ベルトを使って変速比を無段階に設定し、エンジンの動力を理想的な駆動力に変える、というものですね。

理論的には可能でも製品化は不可能だろうと、当時は業界の誰もが思っていたようです。もちろん開発の裏には、山あり谷ありの苦労があったと聞いています。ですが、試行錯誤の末、製品化に成功し世界シェアを獲得したのは、まさにこの会社の実力、「やりきる力」によるものと思いますね。

現在、全世界で500万台の変速機を生産していますが、高品質な製品を大量生産できるところにも、我々の強みがあります。

―― 2011年6月に社長に就任されましたが、この時の抱負と課題とは。

まず、とてつもない実力と可能性を持った会社だなと思いました。同時に感じたのは、その自覚の欠如です。

ジヤトコはシャイな会社です。上場もしていませんし、テレビCMも流しません。そのままでもビジネス自体は成り立つ。でも、自分たちの強さを皆に再認識してもらいたいと思いました。そこで、新しくタグライン(企業やブランドが持つ感情面と機能面の優れた点をわかりやすく伝えるための表現)を定めたのです。

――“The mission is passion.”というタグラインですね。

はい、皆で考えたものです。優秀な若手を選抜して合宿しましてね。そこで「これから我々はジヤトコをどんな企業にしたいのか」を徹底的に話し合って決めました。

――社員の皆さんにとっては新鮮で刺激的な取り組みだったのでは。

ええ。当社は日産自動車、三菱自動車工業、そしてスズキを株主に持つ、大変恵まれた環境にあります。しかし株主から要請のあった製品を開発するのがこれまでのパターンだったために、ともすれば「指示待ち」の空気が漂いがちでした。自らイノベーションを起こす、という気概に欠けるところがあった。

だから着任以来、ずっと言い続けました。「自分たちの強さを認識しろ」「自分たちの未来は自分たちで創れ。でないとサラリーマン人生など楽しくないぞ」と。一人ひとりにやりきる力を自覚してもらい、発揮してほしいのです。

そして、2018年には売上1兆円を達成する。現在の1.7倍にまで引き上げます。これは、夢物語ではありません。必ず実現できるはずです。

人材育成の真髄は「1対1」にあり

――日商岩井(現双日)、日本GEプラスチックス、SABICイノベーティブプラスチックスジャパンなど、プラスチック業界のご出身ですね。

ええ。まず1981年に日商岩井に入社しました。84年からは米国に留学しMBAを取得して2年後に帰国。その後、ドイツやインドネシアなどに駐在しました。インドネシアで感じたのは商社の限界です。これからは自ら事業を興す時代だと直感し、石油化学の合弁会社を設立。副社長として出向したのです。

ところが98年、ジャカルタで暴動と通貨危機が起こります。結果的に99年末、その会社を閉鎖し、ジャカルタを去ることになりました。

――試練の時代、だったのですね。

しかもその頃は日本の商社も追い詰められていた時期で、活躍の場が狭められつつありました。そんなタイミングでGEから引き合いがあったのです。プラスチックの専門家で海外経験のある人間を探していると。当時、ちょうど40歳でした。

プラスチック業界の人間にとって、GEプラスチックスはいわばメジャーリーグなんです。恩義のある会社に残るか、メジャーリーグに渡って自分の力を試すか。大きな決断で、かなり悩みましたが、やっぱりメジャーリーグを選びました。

転職後は、中国は上海で大がかりなチーム仕事を任されました。2001~ 03年の中国というのは、プラスチックの需要が拡大した時期。いや、楽しかったですね。

ところが急きょ、日本に帰国することになりました。中国とは逆に、日本市場がシュリンクしていった時代です。2006年から、日本GEプラスチックスで社長を兼務しました。

――2007年にGEプラスチックスがサウジアラビアのSABICに売却された後も、SABICイノベーティブプラスチックスジャパン社長を務められました。

振り返れば「GE人生」は7年でしたが、その間、GEの経営やリーダーシップを深く学ぶことができました。節目節目で有意義な研修も受けさせていただいた。私の大きな財産です。“ Control your destiny, or someoneelse will.” という有名なジャック・ウェルチ元会長の言葉があります。わかります? 命令形なんですよ。自分の運命は自分で変えろ、さもないと他の誰かに変えられるぞということですね。

GEは大きくて強い会社ですが、割ってみると、まるでザクロのような構造をしています。一人ひとりがリーダーシップを持ち、それが無数のクラスターを構成し、1つの企業をつくり上げている。その中で、いくつも得がたい体験をしました。

―― 特に印象的な体験は。

忘れがたい思い出の1つはビル・コナティ氏との出会いです。

GEの人事部長、そしてウェルチの右腕として有名な人物ですが、幾度か1対1で話す機会に恵まれました。そんな時、彼はいつもパーソナルに(人間的に親身に)私のキャリアについて助言してくれた。会社がSABICに売却され、私が新会社を任された時も、日本に来て、言ってくれました。「あなたならできるよ」と。

こう言われて、絶対にやってやる、と思いましたね。会ったのはほんの短い時間でしたが、ビルは私を強烈にエンカレッジしてくれたんです。SABICに移ったのは、彼が背中を押してくれたから。新たな責任感を植えつけたのも彼の言葉です。「1対1」ってパワフルですよね。人間性だけで勝負する場です。あの時、1対1で、そして飾らない言葉で勇気づけてくれた。とても尊敬しています。

GEは素晴らしい企業です。道具立ても最高。でも本当にあの会社を偉大にしたのは、彼のようなヒューマンタッチな人間だと思います。

―― カルロス・ゴーン氏との出会いもかなり強烈な体験だったのでは。

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