J.H.倶楽部

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月刊 人材教育 2009年08月号

巻頭インタビュー私の人材教育論 チャンスの芽を摘まず 挑戦を促し続ければ 人は必ず挑戦したくなる

2008 年4 月、三菱ケミカルホールディングスグループの機能材料4 社1 事業部門が統合して新・三菱樹脂が発足した。グループの中で、それぞれが独自の道を歩んできた会社であったため、新会社社長となった吉田宏氏は、その融合・結束を促す場として「社長塾」を開講。
組織の要となる管理職を集め、ベクトル合わせと共に、コミュニケーションの活性化を図っている。
そして、さらに統合のシナジー効果を高めるため、「現場主義」「人本主義」の2 つの理念のもと、社員の育成に自ら率先して注力している。

吉田 宏(Hiroshi Yoshida)氏
三菱樹脂取締役社長
生年月日 1947年10月20日
出身校 名古屋大学工学部化学工学科

主な経歴
1970年 4月 三菱油化(現・三菱化学)入社
2002年 4月 同 理事石化企画室長
2002年 6月 同 執行役員石化企画室長
2004年 4月 同 執行役員技術・生産センター鹿島事業所長
2006年 4月 同 常務執行役員ポリマー本部長 兼 日本ポリケム取締役社長
2007年 4月 三菱樹脂 副社長執行役員
2008年 4月 同 代表取締役社長
現在に至る

企業プロフィール
三菱樹脂
●発足:2008 年4 月1 日
●資本金:215 億300 万円
●売上高:3461 億円(2009 年3 月期連結)
●従業員数:連結6713 名、単独3072 名
●事業内容
三菱樹脂、三菱化学ポリエステルフィルム、三菱化学産資、三菱化学エムケーブイ、三菱化学の機能材料事業が統合して発足。合成樹脂(プラスチック)製品等の製造・販売を手掛ける。建材などの樹脂製品の他、樹脂フィルムシートに強みを持ち、容器包装、家庭用、産業用と幅広く部材を提供。炭素繊維など、次代を担う新素材の開発にも力を入れている。

インタビュアー/宮本惇夫
写真/太田亨

石化コンビナートに魅せられてエンジニアに

── 三重県四日市のご出身だそうですね。

吉田

小さい頃から石油化学コンビナートを見て育ちました。工場の煙突やフレアースタック(余剰ガスを焼却する設備)から炎や白い煙がもくもくと立ち上っていた頃です。父親が工場の技術者だったこともあり、「すごいな」とわくわくした気持ちで眺めていたことを覚えています。いつしか自分もこんな工場で働けたらいいなと思うようになっていきました。

── 四日市でコンビナート群が建設され始めたのは昭和30年代中頃、吉田社長が10代の頃です。そこから日本の高度成長が始まるわけですが、巨大な装置やパイプラインが縦横に走る工場は、子供には魅力的に映ったのでしょうね。

吉田

父親は日曜日でも会社へ出勤するような仕事人間で、子供の頃はあまり遊んでもらった記憶がありません。でも父親の姿を見ていて影響を受けたのでしょうね。高校生になった頃にはあんなプラントを造ってみたい、とエンジニアを志望するようになっていきました。

── それで名古屋大学から当時の三菱油化へと進まれたわけですね。

吉田

実は大学では、化学工学の分野に進むべきか、コンピュータを使ったオペレーションリサーチ(OR :科学的に問題解決を行う手法)のある管理工学に進むべきか悩みました。OR のある管理工学は当時、学生に人気の新しい学科だったのですが、最終的には化学工学を選びました。プラントエンジニア、プロセスエンジニアに一番近いのが化学工学でしたし、父親も喜ぶかなと思ったのです。

── 三菱油化を就職先に選んだ理由は何だったのでしょうか。

吉田

四日市コンビナートの中核で最も早く進出したのが三菱油化ということもあり、当時の化学工学系の研究室では人気が高かったのです。1956(昭和31)年に三菱グループとシェルグループが共同出資して設立されたのが三菱油化で、当時としては非常に歴史の新しい会社でした。私が入社したのは、会社ができて14 年めの1970 年。新しい会社だけに、いろいろなことをやらせてもらえるのではないかという期待もありました。

大学を卒業して三菱油化に入社後、四日市での実習研修を経て、すぐに茨城県の鹿島に赴任しました。三菱油化は、四日市に次いで鹿島でもエチレンセンターを建設し、樹脂や化成品をつくる計画を進めていたのです。当時ちょうど第一期のプラントができたばかりで、私はその中の1つ、これから試運転を始めるポリプロピレンプラントに配属され、3交替勤務体制でプラントのオペレーションなどの指導を受けました。この職場にはいろいろな経歴を持った人たちがいて、プラント運転のスキルと共に、人との付き合い方など、いろいろなことを勉強させてもらいました。

その職場に1年半ほど勤めた後、2系列めのプラントの設計、建設が始まり、私もそのプロジェクトの一員として仕事をしていた時でした。突如、第1次オイルショックが襲ってきたのです。日本中がパニックに陥ったことはご存知の通り。プラント完成まであと半年というところまで来ていたのですが、プラント建設を中止することになったのです。狂乱物価ですから完成までにあとどのくらいお金がかかるかわからない。会社としてはやめざるを得なかったのでしょうね。

私としてはショックだった。7~8割までできていて、あと1年ぐらいあれば完成するという状況だったので悔しい思いを抱いたのを覚えています。十数名いたスタッフは皆、散り散りバラバラ。ところが、若いほうから数えて何番めという位置にいた私は残ることになり、未完成のプラントの保守をすることになったのです。

現場にはすでに500 以上の機械が据えられており、ポンプやモーターなどは仮設倉庫にしまわれていました。そうした新古品の機械類や多量の配管材料などを、会社全体で転用して有効活用の道を探るのが私の仕事です。活用先が見つかるまで、機械類が錆びないようにペンキを塗ったり、ベッセル(大型の槽類)やサイロが腐らないように防錆剤を入れたりといったことをやっていました。プラントの建設が中止されたのは1974 年で、1978 年12 月まで毎日そんなことをやっていましたから、つらかったですね。

ポジティブに考え愉しく仕事をする

── 20代後半の意気盛んな時代にそういう立場に置かれたら、つらい気持ちになるのはわかりますね。

吉田

夢だったプラントエンジニアの仕事に就いて、何十億円ものお金を注ぎ込んだ大きなプロジェクトに参加できたと思った矢先の出来事でしたから失望が大きかった。会社を辞めようと思ったこともあります。

父親に相談したこともありました。「会社を辞めて大学へ戻ろうかな」と相談したところ、「そんなことは会社生活の長い人生の間にはいっぱいある。たった一度の挫折で、仕事をほっぽり出してどうするんだ」と笑われましたけどね。

── お父さんからは、かつて、それまでの考え方を一変させるような本をいただいたそうですね。

吉田

高校時代、大学受験の勉強をしていた時、父親は、私のどこか身が入ってない態度を見て「これを読んでみろ」と、C・M・ブリストルの『信念の魔術』という本を渡してくれたことがありました。この本は、困難に打ち勝つエネルギーはつねに自分自身にあり、望みを強く持ち続ければ、いつかは叶うということを説いています。心でこうありたいと思ってないものは、自分自身も積極的に行動することはないので、決してうまくいかないということです。この本を読んでポジティブな考え方、積極的な生き方というものを学んだ気がしました。今でも座右に置いている本の1つです。

私は新入社員の皆さんに、「仕事は愉しくやらないといけない」と言っています。趣味をやる時と同じように、仕事も愉しんでやるようにすれば成果も上がるのです。といっても、愉しいだけの仕事などあるはずがないし、愉しいと思ってやれることばかりでもない。それじゃ、どうすればいいのか。やはり、どんな局面においても、前向きに、ポジティブに考えてやるのが第一です。どうせ、やらなければならないものなのだから、愉しくやろうよというわけです。

── これまでの仕事人生の中で、転機になった出来事は、どのようなものだったのでしょうか。

吉田

入社後13 ~ 14 年経った頃、外資系企業との合弁企業へ出向したことがありました。周囲は皆年長者ばかりで、社内では一番若い管理職だったこともあり、風当たりが強かった。設立してからずっと儲かっていた会社でしたが、結果として、世の中との間に壁を作り、社風が閉鎖的になっていたように感じました。

そこへ溶け込むのには大変苦労をしました。しかし、受け入れてもらえないからといって悩んでいてもしょうがないので、こちらから胸襟を開いていくしかない。建て前ばかりでなく、本音でぶつかっていかなければ、相手も心を開いてくれません。まず自分から一歩踏み出していかない限りは、“いい心の関係”をつくることは難しいということを学びました。

統合で新会社発足
融和・結束を図る

── 2008 年4 月、三菱ケミカルホールディングスグループの機能材料4社1事業部門が統合して新・三菱樹脂が発足し、社長に就任されました。それを機に「社長塾」を開かれたわけですが、これには、どのような狙いがあったのでしょうか。

吉田

統合に加わった4社1事業部門は、同じグループだったとはいえ、それぞれが知らない人ばかり。原料についてはともかく、商品群も十分に理解できてなかった。それが今回1つの会社になって一緒にやっていくことになったわけですから、私はもちろん、社員がお互いをまず良く知り合うことが大事。その機会を設けるために始めたのが社長塾です。

私は社長になった時、2つのビジョンを掲げました。「現場主義」と「人本主義」です。現場主義は、現場の力を強化することで、それが会社を支えていくという考え方。一方の人本主義は、一橋大学(当時)の伊丹敬之教授が提唱されたもので、日本の資本主義は人のネットワークが基盤になって動いているという理論です。

私はそれを拡大解釈し、「経営を支えているのは人。人の育成なくして会社は成り立たない。だから人を大切にしながら企業活動を続けていく」という考えで、人本主義という言葉を掲げました。まさにこの言葉を実現するために、昨年11月から社長塾をスタートさせたわけです。

── 社長塾は、どういった人を対象に、どのように運営されているのでしょうか。

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