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特集 HRトレンドキーワード2026 経営|心的資本経営 従業員のハピネスを原動力に持続可能な成長を生むサイクルを回す 田中憲一氏 トリドールホールディングス 取締役 兼 CHHO 最高ハピネス・ヒューマン責任者|宇治川 智大氏 丸亀製麺 執行役員 ハピカン企画本部長

田中憲一氏

店長の年収を最大2,000万円に―2025年9月に発表された、トリドールホールディングス傘下の中核ブランド「丸亀製麺」における新たな報酬制度が世間を驚かせた。正確には、年収が最大2,000万円になるのは「グレートハピカンキャプテン」という、従来の店長に代わる4つの階級からなる役職の最上位が対象なのだが、この、「ハピカンキャプテン」という制度の土台となる考え方には「心的資本経営」という経営思想がある。

[取材・文]=本間 幹 [写真]=編集部

“人材”から“心”へ新たな経営思想が生まれた背景

採用難・高い離職率・エンゲージメントの低下―― 。HR領域の三重苦といわれるこれらの課題に対処するため、数多くの企業が給与制度や福利厚生の改善、研修制度の強化、働き方改革などを進めている。

しかし、こうした施策は往々にして「対症療法」にとどまり、社会構造とも深く関わる課題の根本的な解決につなげるのは困難だ。

そんななか、トリドールホールディングスは、「心的資本経営」という独自の思想を土台とした経営改革に取り組んでいる。従来の「人的資本経営」を深化させたもので、ある意味、「原因療法」的なアプローチで人材不足によって発生する課題の根本的な解決を目指すものだ。

簡単に「心的資本経営」を説明するならば、「従業員の幸福感を高めることで、顧客の感動を生みだし、利益につなげる循環をつくる」ものだといえる。充実した気持ちで仕事に向き合えば、従業員の内発的動機により、顧客の感動につながる体験価値創出が期待できるというわけだ。つまり「心的資本経営」における“心”とは、従業員と顧客双方の“心”を指し、そこに価値を見いだしているのである。

トリドールホールディングス取締役兼CHHO最高ハピネス・ヒューマン責任者の田中憲一氏は、「心的資本経営」の推進に至った理由について次のように説明する。

「『心的資本経営』を軸にした組織改革は2024年から進めていますが、その背景には、『このままでは持続的な成長は望めない』という大きな危機感がありました。今後、人手不足が深刻化すると予想されるなかで成長を続けるには、働く人にとって魅力的な企業になることが求められるのは言うまでもありません。そのためには社員の幸福感を起点として、お客様の感動を生み出していく必要があると考えたのです」

外食産業では、人手不足への対応として配膳ロボットの導入や業務の自動化が進んでいる。しかし、同社の取り組みは、こうした効率化や省人化の潮流とは一線を画すものだ。

「『手づくり・できたて』というコンセプトを守り続けてきた丸亀製麺は、人の手間暇が生み出す感動をお客様に提供できる価値として大切にしてきました。だからこそ、従業員の想いが顧客体験の質に直結すると考えられます」

そう語るのは、丸亀製麺執行役員ハピカン企画本部長の宇治川智大氏だ。

丸亀製麺だけでなく、トリドールホールディングスでは、創業以来、顧客体験を重視した事業を展開している。丸亀製麺の店舗がオープンキッチンを導入しているのもその一環だが、「人手不足が進むなかで、いかに人の手を介した感動を創り続けるか?」という、一見矛盾する問いへの解が「心的資本経営」に基づく経営改革なのである。

幸せの四要素から描く成長モデル

2024年に「心的資本経営」に基づく経営改革を社員に宣言して以来、同社は矢継ぎ早に施策を展開。従業員の離職率低下や人員増加といった成果を着実に積み上げてきた。「心的資本経営」は、社内では「ハピカン経営」というよび方で親しまれ、従業員にとって日常業務に直結する実践モデルとして浸透している。

「ハピカン経営」とは、従業員の“ハピネス(幸せ)”と顧客の“カンドウ(感動)”を組み合わせた造語であり、その核心は「ハピカン繁盛サイクル」(図1)の構築にある。

「従業員が幸福を感じる」→「顧客に感動を提供する」→「店舗が繁盛する」→「成果が従業員に還元される」→「さらに幸福度が高まる」という好循環を、制度や仕組みによって意図的に生み出すのだ。

そして、このサイクルを回す起点となる従業員の幸福度を高めるための指針として、同社が掲げるのが「TORIDOLLハピネスモデル」を構成する「ハピネス四要素」である(図2)。
1.安心感/店舗や職場など、従業員が安心して過ごせる居場所をつくる。
2.繋がり感/仲間に支えられ、協力し合える環境を構築し、帰属意識を醸成する。
3.貢献実感/顧客、店舗周辺地域、仲間に対して何かしらの貢献をしていると意識を持ってもらう。
4.誇り/店舗、ブランド、同僚に対する誇りを持ってもらう。

「これら4つの感覚を従業員のなかに醸成することが、従業員のハピネス向上に直結します」と、田中氏は強調する。

ニュースで話題の施策もハピカン経営の一環

丸亀製麺では、経営改革がスタートした2024年に、18もの施策を実施。そのなかには、休暇制度の改善、待遇の見直し、海外研修機会の提供などが含まれるが、いずれも「ハピネス四要素」の向上、ひいては「ハピカン繁盛サイクル」を生み出すことを目的にしたものだ。

それは、2025年9月に発表されると同時に大きな話題となった「ハピカンキャプテン制度」や「家族食堂制度」も同様。

「『ハピカンキャプテン』とは、2025年12月1日に誕生した役職です。従来の店長に代わる人材で、ひと言でいえば『管理業務をしない店長』。従業員のハピネスづくりやお客様の感動づくり、地域との関係づくりなど、『ハピカン繁盛サイクル』を生み出すことをミッションとしています」(宇治川氏)

ハピカンキャプテンには、店舗運営に関する大きな権限が与えられ、従業員の幸福度向上や顧客への感動体験創出を目的に、店舗独自の店づくりや限定商品の開発などを行う。報酬は店舗の売り上げや運営成績に応じて決まり、最大で年収2,000万円という金額が設定されているが、これは「成果を正当に評価する」ことで、従業員の貢献実感を高めるという狙いがある。

一方の「家族食堂制度」は、トリドールグループの従業員の15歳以下の子どもが、丸亀製麺の店舗でいつでも無料で食事ができる制度。

「この制度は、子育て世代を支援する社会的意義はもちろん、社員のお子さんに丸亀製麺での感動を味わってもらうことで、将来当社で働きたいという気持ちを養う狙いもあります。さらに家族に自分の働く店舗に来てもらうことが、従業員の誇りにつながることは言うまでもありません」(田中氏)

「ハピネススコアインタビュー」の導入も興味深い取り組みだ。生成AIによる音声対話で従業員の幸福度をスコア化し、その結果を施策改善に活かすというものである。

このツールにより、「ハピネススコアが高い店舗は感動スコアも高く、来客数の増加につながる傾向が確認されている」(宇治川氏)とのこと。今後は、「ハピカン繁盛サイクル」をすべての店舗で確度高く回していくために、このような知見を活かしていくという。

なお、AIによる音声対話方式にしたのは、やり取りのなかで自らの仕事の楽しさに気づけるようにした工夫だ。

また社内コミュニケーションアプリ「ハピ→カン! コミュニティ」も、従業員のハピネス向上に役立っている。

アプリには投稿機能があり、アルバイトを含む全従業員が情報を共有できる。社長や役員の投稿も閲覧できるため、経営層の考えや想いを直接知ることができ、安心感につながっているのだ。従業員からは「以前はアルバイトと社員の間に情報の格差があったが、今は同じアプリでつながっているので一体感が生まれた」という声も寄せられている。

業界平均を大きく下回る離職率を実現

以上のような取り組みを進めるには、かなりのパワーとコストが必要になるのは想像に難くない。しかし、田中氏も宇治川氏も「それ以上のリターンが見込めるのは間違いありません」と断言する。

「人件費は年々上昇していくのが自然な流れです。それならば、意思をもって人に投資した方が賢明だと考えています。たとえば『ハピカンキャプテン制度』で社員の報酬を上げるのも、単なる給与引き上げではなく、幸福感を資本とする経営思想に基づいた投資に他なりません」(宇治川氏)

「ハピカン経営」の効果は確実に現れ始めている。厚生労働省の「令和6年雇用動向調査」によれば、宿泊業・飲食サービス業の離職率は25.1%と高水準だが、トリドールグループの離職率は13.6%と業界平均を大きく下回っているのだ。

「『ハピカン経営』を進めて以来、丸亀製麺の離職率は低下し、従業員数も増加傾向にあります。これは偶然ではなく、意図的な改革の成果だと捉えています」と田中氏は胸を張る。

安心感、繋がり感、貢献実感、誇り―― この4つの要素を高める施策が有機的に連動する環境が、「働き続けたい」と思わせる職場をつくっているのだ。

幸せが繁盛を生む未来へ―― 心的資本経営が示す次の一歩

人によっては「理想論」とされかねない今回の取り組みを、成功に導く鍵は「共感」と「宣言」にあると田中氏は強調する。

「社員の誰もが『そうだよね』と共感できる方向性を掲げることが、制度や仕組みの変更を容易にします。そして理想を先に宣言し、社内外に発信することで、経営側は自らを追い込み、期待値を設定する。こうした意識の醸成こそが、改革を確実に進めるためのポイントになると考えています」

丸亀製麺から本格始動した「ハピカン経営」は、今後グループ全体へと展開される予定だ。ブランドごとに事業形態やコンセプトは異なるが、それぞれに沿った形で施策を進めていくという。そして、その先には、外食産業全体の価値を高めるという、壮大なビジョンがある。

「粟田(トリドールホールディングス代表取締役CEOの粟田貴也氏)をはじめ、私たちは『食を通じて誰かを感動させることができる外食産業は、素晴らしい産業である』という強い想いを持っています。『ハピカン経営』を進めることで、最終的には業界全体を盛り上げていきたいですね」とは宇治川氏の弁。

外食産業のあるべき姿を実現する取り組みに、同業者からも「よくぞやってくれた」という声が寄せられているというが、厳しい経営環境を前に一歩を踏み出せない企業も少なくないのが現実だ。今後、取り組みの成果を示すことができれば、追随する企業が現れるだろう。そうすれば業界、そして社会を巻き込むような大きなムーブメントになることが期待される。なぜなら、従業員の幸福を真剣に考えることが顧客の感動を生むという好循環がもたらす価値を享受できるのは、外食産業にとどまらないからだ。

「心的資本経営」は、これからのHRトレンドを先取りする実践例となるのか? 持続的成長の鍵となる取り組みに注視していきたい。

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