期間限定全文公開記事

OPINION3 経済合理性だけではない副業の価値 組織に縛られずに自由に生きる「体質改善型アンラーニング」のすすめ 長岡 健氏 法政大学 経営学部 教授

長岡 健氏

副業に対する政府、企業、個人、それぞれの考えにはギャップがある。
個人は副業にどのような思いを抱いているのか。
また、そのことを踏まえ、企業は個人の副業にどう対応すべきか。
『みんなのアンラーニング論 組織に縛られずに働く、生きる、学ぶ』の著者で法政大学経営学部教授の長岡健氏に聞いた。

[取材・文]=増田忠英 [写真]=長岡 健氏提供

政府は副業を解禁して「オープンな集団活動」を志向

「副業、本当に必要ですか?」という本特集の問いに対して、組織社会学や経営学習論を専門とする法政大学経営学部教授の長岡健氏は、「副業のどの側面に焦点を当てるか、また、政府、企業、個人、それぞれの視座によっても答えは大きく変わる」と述べ、資本主義のモデル図(図1)を基に次のように説明する。

「資本主義には、政府、企業、個人(経済学用語では『家計』)という3人のプレーヤーがいますが、それぞれの目的は異なります。政府は市場の活性化、企業は利潤の最大化、そして個人はウェルビーイングです。企業にとっては経済合理性がすべてですが、個人のウェルビーイングには非経済的な価値、非金銭的な報酬も含まれます。このように三者の利害が一致していないことを踏まえて、副業についても考える必要があります」

企業からすれば、当然経済的価値の観点から副業を捉えるのが一般的だが、政府や個人にとっての副業の意味とはどのようなものだろうか。

政府の場合は、労働政策的視点と産業政策的視点で捉え方がさらに異なる。労働政策的視点では、雇用の確保、非正規雇用、最低賃金などの問題から副業を捉える。その場合、副業は経済的な理由から仕事を掛け持ちするという意味で理解されることが多い。これを長岡氏は「ネガティブな副業」とよんでいる。

一方の産業政策的視点では、経済産業省の「未来人材ビジョン」(2022年)でも示されたように、「失われた30年」から脱却するために、日本の働き方を変えて、国際競争力を高めることが課題となる。

「未来人材ビジョンには、日本企業の従業員エンゲージメントが5%と、世界最低の水準であることが指摘されています。企業と個人双方のために頑張れる人が、圧倒的に少なくなったということです。そこで、個人の意欲を削ぐことなく、企業の発展にも貢献できるエンゲージメントの高い人材を輩出するために、副業の解禁などを通じて、組織への忠誠を過度に重視した関係性を解消し、個人の主体性と多様性が発揮しやすい環境をつくろうというわけです。これは、副業に対するかなりポジティブな見方だといえます」

長岡氏によれば、「未来人材ビジョン」から読み取れるのは次のような個人と組織の姿だ。

「昭和の時代は集団の結束力が重視されてきましたが、平成になると国際化と情報化が進み、イノベーションを起こすために個人の主体性が重視されるようになりました。しかし、自己責任が重視されすぎて協調関係が損なわれ、組織としてのメリットが発揮しづらくなった。そこで、個人が主体的に生き生きと働きつつ、互いに協調して成果を出せる『オープンな集団活動』を目指す方向に舵を切ろうとしているのです」(図2

個人が大切にしたいのは「脱手段化した学習観」

では、個人の視座からキャリアデザイン論的に見た場合はどうか。長岡氏は、ピーター・ドラッカーが提唱した「ナレッジワーカー」に基づいて説明する。

「ドラッカーはナレッジワーカーの“仕事観”に見られる特徴として、肩書きより知識に価値を置くことに加え、経済性を過度に重視せず主体性が発揮できる環境を重視する点と、利他性が発揮できる仕事に積極的である点を挙げています。つまり、非経済的価値や利他性を重視した価値観をベースとして、組織に縛られないキャリアを歩んでいるのがナレッジワーカーです。副業やパラレルキャリアとして非営利活動を志す人も少なくありませんが、組織に縛られずに充実したキャリアを歩むヒントを、経済合理性や個人的利益だけに固執しない“仕事観”に見いだすことができそうです」

このことを踏まえて長岡氏は、副業の前提となる仕事観について考えるとき、「与えられたゴールに向かって走り続けるのではなく、自分はそもそも何を目指し、なぜ学ぶのかを探り続け、成果よりもプロセスを大切にしながら学んでいく」という「脱手段化した学習観」を大切にしてほしいと話す。

副業をする人のなかには、5社で人事部長をやっているような人もいる。この場合は、自分の得意な領域で経済的にさらに成功するための副業といえる。

「個人の視座に立ったとき、経済的価値を獲得するために副業に取り組むのはもちろん間違いではありません。しかし、それとは違うタイプの副業もあることを知ってほしいと思います。それはシンプルに言うと、『もっと楽しく自由に生きる』ための副業です。それは副業というよりパラレルキャリアと言った方が適しているかもしれません。たとえば会社で働く傍ら、NPO法人を運営したり、スポーツに本気で取り組んだり、音楽をライフワークにしたり。会社の中の閉じた世界から自由になって、非経済的な価値を大切にする生き方やキャリアを歩む道もある、ということです」

「経済的合理性」という価値基準だけで良し悪しを判断せず、一人ひとりにとっての異なる豊かさを認め、多様な非経済的価値を尊重していく。たとえば、サイボウズ代表取締役社長の青野慶久氏が、一般社団法人『あすには』の理事として、選択的夫婦別姓の法制化を目指す活動をしているのは有名だ。長岡氏が示しているのは、経済的価値や金銭的報酬は大切にしつつも、副業に取り組むことを通じて、ビジネス的な基準に収まりきれない多様な「豊かさ」にも価値を見いだす、自由な生き方である。

自由に生きる「脱組織人」が求められている

このような生き方の1つのビジョンとして、長岡氏は文芸批評家、エドワード・サイードの「アマチュアリズム」の考え方を紹介する。

アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、
より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えさまざまなつながりをつけたり、
また、特定の専門分野にしばられずに、専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。

(エドワード・サイード著『知識人とは何か』)

「『愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ』たり、『特定の専門分野にしばられずに』もう少し自由な生き方をしてみたい人にとって、副業やパラレルキャリアは価値があるのかもしれないと考えています」

長岡氏が話すアマチュアリズム的な副業は、合理的な目的を定めて、その手段として行うものではなく、試行錯誤のプロセスを楽しみ、多様な経験を通して自分自身を変えていくような行動といえる。

「アマチュアリズム的な仕事観は、『行動を組織にしばられず、判断を組織に依存しない“心の自由さ”を持ちつつ、経済的にも精神的にも無理のない“自然体”のまま働き、生きる』というものです。その背景にあるのは、自分らしく、自由に生きたいという思いです」

また、長岡氏が考えるアマチュアリズム的な学習観は、「与えられたゴールに向かって走り続けるのではなく、自分はそもそも何を目指し、なぜ学ぶのかを探り続け、成果よりもプロセスを大切にしながら学んでいく」というものだ。

このアマチュアリズム的な仕事観と学習観を、企業はポジティブな意味で理解しておく必要があると長岡氏は話す。

「個人と政府の視座は、それほど矛盾していません。たとえば、大谷翔平選手やオリンピックのメダリストたちが大きな成果をあげる過程では、報酬や名声などの外発的動機よりも、『好き』『楽しい』という内発的動機が大事だとしばしば指摘されています。経産省の『未来人材ビジョン』とは、こういうタイプの人材をつくろうということです。企業がイノベーションを起こすには、このような人材がどんどん育ってくるといいのですが、こうした人材を育成することはできません。むしろ、脱組織人的マインドセットが自然に育つのを待つことが肝心です」

企業が副業について考えるには、ここまで述べてきたことを前提として踏まえておく必要がある、と長岡氏は指摘する。

副業のような越境学習の効果は「体質改善」

副業を通じて期待されている効果に「アンラーニング」がある。アンラーニングは「不適切となった既存の習慣/知識/価値基準などを棄て、新たに、妥当性が高く、有用なものに入れ換えること」と一般には理解されている。ただし、アンラーニングには2つの意味があると長岡氏は説く。

「最近よく話題になるアンラーニングは、DX人材育成のためのリスキリングや、シニア世代が役職定年を迎えて年下の上司の下で働く際に求められる学び直しについてです。このような『目的達成型のアンラーニング』とは別に、活動領域や視野を広げながら、自分の中の無意識の前提や価値基準を見つめ直そうとする『体質改善型のアンラーニング』があります」

長岡氏は、副業のような越境学習が効果的なのは、目的達成型ではなく、体質改善型のアンラーニングだと話す。

「環境が変化したときに変われるかどうかは“体質”が強く影響します。自然に変化を受け入れる“体質”の人もいれば、変わらなくていい理由を必死に考えてしまう“体質”の人もいます。前者のように、変化や多様性を拒絶しない柔軟なマインドセットを醸成するために有効なのが越境学習です。越境学習では、特定の目的を意識する必要はありません。むしろ、今まで触れたことのないテーマや活動に積極的にかかわり、ドキドキしたり、違和感を抱きながら、自分の常識や価値観を揺さぶり続けることが肝心です。その効き目は、時間をかけて症状を改善する漢方薬のようなものです。凝り固まった“体質”だと、一度や二度越境学習をしても直りません。漢方薬なので、急性疾患にはあまり効かないのです」

凝り固まった意識を短期間でほぐしたいなら、ワークショップや研修などなかば強制的に直す方法がいいという。

「越境学習と同様、凝り固まった意識をほぐす“即効性”を副業に期待するのは難しいでしょう」

副業は、個人や企業が変化に対応するための手軽な対症療法ではない、というのが長岡氏の主張だ。

「副業に取り組んでいる優秀な人材は、企業の思い通りに動いてくれる人材ではないかもしれません。しかし、慎重に関係を築いていけば、企業にとって大きな力になる可能性があります。変化や多様性に柔軟な人材の可能性を丁寧に探り、予見困難で多様な価値観に溢れる時代に相応しい組織文化の担い手を増やしていくことが、企業の長期的な利益に資するのだと思います」

考えの異なる個々の社員との「対話」による解決が重要

越境学習を通じて“体質改善”するコツは「できることから始めること」、そして「続けること」だという。

「ダイエットのために、急に毎日10キロ走ろうとしても続きません。とりあえず休日に家の周りを軽く走ってみることから始めてみればいい。越境学習も同じで、わざわざ予算と時間を確保して、合宿型の自己啓発プログラムに参加しなくてもいいんです。行ったことのない街をぶらぶら歩いてみたり、名前を聞いたことのない作家の小説を読むなど、無理なくできることから始めて、頑張りすぎずに長く続けることが大切だと思います」

アンラーニングはあくまでも長期的な越境学習の結果として達成されるもの。だから、「体質改善するぞ」と意気込まず、楽しみながら無理のない越境学習を続けることが何より大切だと長岡氏は話す。

「越境を続けるポイントは、様々な方法を試しながら、自分にあった揺り動かし方を見つけることです。副業も1つの有力な方法です」

副業などを通じた体質改善型のアンラーニングを企業が支援するには、社員一人ひとりとの真剣な対話が必要になる。

「企業と個人の利害は必ずしも一致していないので、互いの考え方を擦り合わせるために、丁寧に話し合うことが大切です。その話し合いは『会話』ではなく『対話』でなければなりません」

劇作家の平田オリザ氏は、著書『わかりあえないことから』の中で「会話」と「対話」の違いを次のように定義している。


会話 価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり
 対話 あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは、親しい人同士でも、価値観や考え方が異なるときに行うすり合わせ

「最初から『私たちは仲間だよね』といって『会話』に持ち込もうとするのではなく、まずは互いの違いを認め合い、どこまで合意できるかを慎重に探りながら、『対話』をすることが重要です」

対話の前提にあるのは、副業のルールを定めて一律に対応するのではなく、一人ひとりと個別に交渉を行い、当事者ごとに異なる解決策を紡ぎ出そうとする姿勢だ、と長岡氏は話す。

「企業の想定を超え、積極的に副業をやりたいという社員が出てきたとき、『規定では……』と受け流さずに、一人ひとりの社員と真正面から向き合って、誠実な姿勢で『対話』を続けることができるかどうか。それによって、変化や多様性に柔軟な組織文化に向けた“体質改善”の度合いはだいぶ変わってきます」

実際、副業で活躍している人は、企業との前向きな対話を重ねながら個別交渉を続け、先例を塗り替えてきたケースが多いという。

「日本企業が“失われた30年”から本当に抜け出そうと考えるなら、副業を手軽な“対症療法”と見なすのではなく、変化や多様性を拒絶しないしなやかな組織文化を本気で目指す“体質改善”の機会とすることもできるはずです」

副業を推進する前に、企業として従業員の変化を受け入れる準備ができているのかを自身に問い直すことが重要になるだろう。

最新号より期間限定全文公開中です。
無料会員登録すると、
全ての記事をお読みいただけます。
人材開発専門誌『Learning Design』の
全バックナンバーが読める!
無料で読み放題 会員登録する
会員の方 ログイン