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CASE1 パナソニック│
採用から入社後の活躍まで、
すべての体験価値向上を 
マーケティング思考が高める
企業ブランドとEX

世界中に拠点をもち、約24万人が働くパナソニック。2017年に採用マーケティング室を立ち上げ、採用起点で人事にマーケティング思考を取り入れてきた。人事とマーケティングの関係性や、今後の可能性について、採用ブランディング・ピープルアナリティクス課課長の杉山秀樹氏に話を伺った。

杉山秀樹氏 パナソニック 採用ブランディング・ピープルアナリティクス課 課長

パナソニック株式会社
2011年創設のZoom Video Communications, Inc.の日本法人。
電機メーカーとして白物家電分野をはじめ、照明器具・配線器具などの住宅設備分野、リチウムイオン二次電池などの車載分野などに重点を置く。
資本金:2,590億円
連結売上高:6兆6,988円(2021年3月期)
連結従業員数:24万3,540名(2021年3月31日現在)

[取材・文]=谷口梨花 [写真]=パナソニック提供

人事とマーケティングの深い関係

パナソニックで採用ブランディング・ピープルアナリティクス課課長を務める杉山秀樹氏は、入社前はベンチャー企業でマーケティングや人事に携わってきた。その経験も踏まえて、人事とマーケティングの関係性についてこう説明する。

「人事とマーケティングは一見関係ないように見えますが、実は非常に重要な接点があります。なぜならば、広義のマーケティングとは、『選んでもらえるしくみをつくること』だからです。一緒に働きたい方に自社を選んでもらい、入社後も活躍してもらうために、マーケティング思考は非常に重要な考え方だと思います」(杉山氏、以下同)

パナソニックがその名も『採用マーケティング室』を立ち上げ、採用起点で人事にマーケティング思考を取り入れるようになったのは2017年。それまで同社では、人事・人材育成領域でマーケティングという言葉を使うことはなかったという。ただ、これからの企業を取り巻く変化をとらえれば、『社員の体験価値(Employee Experience、以下EX)』の向上が重要テーマになり、その手段としてマーケティング思考は不可欠だと考え、あえて言葉にして活動していくことにしたと杉山氏。なかでも、採用起点で取り組みを始めた背景には、当時、大きく2つの課題意識があったという。

「1つは、我々の業界そのものが不人気になっているのではないかという課題です。事業売却などが報じられ、日本の歴史ある大手メーカーに対するイメージが低下している感覚がありました。もう1つは、当社に応募する人材が少しずつ変化しているのではないかという課題です。経営理念や求める人材像と、求職者の方々がもつ当社のイメージの間でギャップが生まれつつあるのを感じていました。これらは感覚値でしかなかったのですが、実際どうなのかを確かめ、もし本当なら手を打とうということで、マーケティング思考でアプローチすることにしたのです」

杉山氏の言うマーケティング思考とは、すなわち顧客起点だ。採用領域の顧客は、求職者に置き換えることができる。

「企業で働いていれば、誰もが就職活動を経験しています。なので、なんとなく就職活動中の相手のことをわかったつもりになりがちです。ですが、採用の意思決定者の多くは40代前後。たとえば新卒採用であれば、20歳差のある彼ら・彼女らの置かれている環境や考え、気持ちを本当に理解できているのか?というところの検証から始めました」

求職者のインサイトを探る

求職者を理解するために、一人ひとりに会うことから活動をスタート。具体的には、1対1のデプスインタビュー、グループインタビュー、アンケート調査の3つを併用して、求職者の『インサイト(相手を理解するための深い理解)』を徹底的に調べたのだ。その際、誰に会うかも考慮したという。

「採用で接点をもつ方は、もともと当社に好意的であり、一定のスクリーニングがかかっています。そうではない一般の大学1年生から3年生、修士課程の学生に話を聞き、彼らがどういうインサイトをもっているかを探りました」

こうして、まだ求職者にはなっていないターゲット層の方々と会うことで、新たな発見があったと杉山氏は振り返る。

「1つは求職者の意思決定タイミングの早さです。当社は就職協定に準じて大学3年生の3月に採用活動を開始していますが、実際には多くの求職者がそれより半年も前の夏休みには、行きたい会社群をほぼ心に決めていることがわかったのです。その状態からひっくり返すのは、かなり厳しいものがあります。

もう1つは、求職者の会社に対するイメージのギャップです。調査の結果、当社に対するイメージのほとんどが『家電』でしたが、実際の家電シェアは4分の1程度なので、大きなギャップがあります。もちろん、求職者は1社1社詳しく調べるわけではないので、ステレオタイプなイメージになるのは当然です。だからこそ、ギャップを埋めて、適切なイメージを想起していただくことが重要だと考えました」

会社都合ではなく求職者思考でメッセージを発信

では、これらのギャップを埋めるために、何をどのように伝えていけばいいのか。試行錯誤するなかで鍵になったのは、やはりマーケティング思考だ。

「求職者を意識しないと、ついつい会社都合で自分たちが伝えたいことを伝えてしまいがちです。『パナソニックは家電も住宅もデバイスもやっています』と言ったところで、彼らには届かないでしょう。

重要なのは、顧客起点です。求職者がどんな状況に置かれており、何を求めているかを具体的に理解することです。たとえば安定志向。一般的には大手企業で長く安定して働けることを指す言葉として使われます。しかし、彼ら・彼女らは同じ安定志向という言葉をまったく逆の文脈で使っていました。激しい環境変化のなかで、自分で生き抜いていく力を身につけることをもって安定志向なのです。

こうしたインサイトをもとに、会社としてどう寄り添えるかという視点で発想することが重要です」

これらを背景に、一方通行にならない言葉選びや場づくりで、エンプロイヤーブランディングに取り組んでいった。エンプロイヤーブランディングとは、企業が「職場」としての魅力を高め、発信していくことだ。どのような情報をどのような言葉で発信すれば求職者の心をつかむことができるのか、綿密な検討がなされたという。

「『会社』が主語のメッセージは刺さりません。でも、『私はこんな想いをもって働いています。その想いを実現できる場がパナソニックです』というメッセージは刺さります。会社が主語だとどうしても顔が見えてきませんし、つくられた情報に見えてしまいます。顔が見える〇〇さんの経験や、その経験からくる想いが伝わると共感しやすくなるのです。テクニカルな部分もありますが、発信するメッセージはすべて、『てにをは』レベルまでチェックしました」

求職者の真実の瞬間をとらえたコミュニケーション

こうして発信の軸を整えてきたが、もう1つ重要なのが、求職者とどのようなコミュニケーションをとっていくかである。杉山氏がコミュニケーションプロセスを考えるうえで参考としたのが、購買プロセスのなかで情報の接点となる「真実の瞬間」、MOT(Moment of Truth)のモデルだ(図1)。購買プロセスに沿って、ZMOT(Zero Moment of Truth) :オンラインで調べる瞬間、FMOT(First Moment of Truth) :実際の場で出会う瞬間、SMOT(Second Moment of Truth):体験する瞬間、TMOT(Third Moment of Truth):体験を通じた感想を伝える瞬間がある。FMOTとSMOTを提唱したP&Gをはじめマーケティングに広く活用されているモデルである。

「これをもとに、当社との接点をZMOTからTMOTまで切り分けました。ただ、職業選択は消費財の選択と違い複雑なので、きれいに切り分けられるものでもありません。どこかにポイントを絞る必要があると考えました」

そこで注目したのはZMOTだ。これもマーケティング思考=ファネル分析で導き出した結果だった(図2)。

「自社の採用課題をマーケティングのファネルでとらえたところ、当社は認知・関心が薄いアッパーファネルから、選択するかどうかを検討中のミドルファネルへの遷移率に課題があることがわかりました。つまり、採用活動の前半が細くなっているので、後半でいくら頑張っても限界があるということです。そこで、ZMOT中心に接点をつくり、アッパーファネルからミドルファネルへの遷移率の改善を目指すことにしました」

ZMOTはゼロから始まるプロセスのため、デジタル中心のコミュニケーションになる。このように整理することで、戦略も明確になったという。

「たとえば私たちが朝一度見ただけのニュースを忘れてしまうように、情報は繰り返し接しなければ記憶に残りません。届けたいメッセージが異なる接点経由で3回以上目に触れるように、情報流通設計を仕掛けていきました」

試行錯誤しながら、ここまでたどりつくまでに3年かかったという。

他部署と連携してブランディングに取り組む

これらの取り組みは、当然人事だけでは達成できない。どのように他部署と連携していったのか。

「エンプロイヤーブランディングは、コーポレートブランド部門や広報部門との連携が欠かせません。これらの部門は、会社の意志や活動の価値を社会に理解してもらう役割を担っていますので、活動を共にするのは自然なことです。一般的に、人事が採用業務のなかでエンプロイヤーブランディングにかけられる予算と、コーポレートとしてブランディングにかけられる予算は規模が異なるので、連携することで選択肢も広がると考えられます。

また、ビジュアルイメージをデザインするクリエイティブチームとの連携も重要です。デザインとは広義の意味では情報設計ですし、表現は印象を大きく左右します。エンプロイヤーブランディングを進めるうえで、クリエイティブディレクターとの話し合いも増やしました。会社として共通する大切にしてきた価値観や、社会に存在する意義のような文脈は揃えたうえで、我々の対象や目的を事実ベースで伝えながら、重なる部分のなかですり合わせていくような進め方をしました」

他部門との連携がうまくいった理由はなんだったのだろう。

「相手の仕事や考えを理解し、自分たちの行いたいことも明確にしたうえで話し合うことが大切です。

たとえば、一般的な人事業務を想像すると、クリエイティブディレクターという存在は縁遠く感じるかもしれません。ですが、ブランディングにおいてこうした役割の方や、クリエイティブチームとの連携は必須。自ら越境し、共創することを積極的に行っていくことは、ますます必要になると考えています」

こうした考えから、他部門との接点は意識的に増やしたという杉山氏。

「できるところから橋をかけていき、共創することが重要だと思っています。まだ取り組み始めたばかりですが、CHROとクリエイティブ部門の役員、ブランドコミュニケーション部門の役員が話す場づくりやイベントも実現しています」

入社後も一貫してEXを高める

採用マーケティング室発足から約3年。現在は採用ブランディング課となり、さらに昨年、ピープルアナリティクスが名称に加わった。目的は、外でエンゲージして入社してもらった人材が、入社後もエンゲージされ続けていくようにすることだ。

「会社の魅力を伝え、そこに共感してもらったのに、入社してみたら全然違うというのはあってはならないことです。TMOT、つまり入社した人がどう感じ、それを人にどう伝えるかも重要な観点です。ピープルアナリティクスは発足して間もないですが、オンボーディングのパルスサーベイを全社で試行し、入社した方がどんな状態で働いているのかを把握していこうとしています。社員数が少なければ一人ひとり見ることもできますが、当社は24万人社員がおり、国内の新卒採用だけでも600人以上入社するので、データでしっかり追っていこうと考えています」

人材獲得は、入社したところで終わるわけではない。入社後に活躍するところまでいってはじめて、会社にとっても、入社した本人にとっても成功したといえるのだ。

「社員一人ひとりが価値を高めていくために、今後はEXを高めていくことがますます重要になります。これからの人事担当者にはEXを高めるために、働くうえでのMOT(真実の瞬間)を意識し、施策や働き方を考えていくことが求められるのではないでしょうか」

マーケティング思考は企業文化を変える

EXとは、従業員が仕事や職場内で経験するすべての体験価値のことだ。入社前から、成長し活躍するところまで、一貫したEX向上を突き詰めたいと語る杉山氏。そこに障壁はなかったのだろうか。

「それはあります。たとえば、これからは『社員の体験価値の向上が必要』と訴えたときに、『これまでも十分に社員のことを考えてきた』という声が上がることもありました。こうしたときに重要なのは、社員目線でのファクト=ペインとゲインを届けることです。ペインは『このような活動をしたいけれど会社の制度や風土が阻害してしまっている』というケース、ゲインは『会社の取り組みのおかげで挑戦が後押しされた』というケースのことです。ゲインは伸ばし、ペインには向き合い改善していく。そのために、サーベイやアンケート、デプスインタビューなどの手法を組み合わせて深層を探り続けています」

このような取り組みは、企業文化の進化にもつながると杉山氏は指摘する(図3)。

「採用マーケティングから始まり、エンプロイヤーブランディング、ピープルアナリティクス、オンボーディングとすべてつながっています。大きくいえば、企業文化を進化させる取り組みです。入社した人の体験、すでに働いている人の体験、取り巻く環境。それらが相互に作用して文化がより良いものに進化し、それが社外にも正しく伝わり、『パナソニックで働いてみたいな』と思ってもらえる。そのサイクルが回りながら広がってくことが理想です。それは、求職者にとっても自社の社員にとっても明らかにポジティブなことです」

人事担当者がどうマーケティングに向き合うか

これらの一連の取り組みは、「パナソニックだから」実現できたことだと思われがちだが、それは違うと杉山氏は断言する。

「私自身、50人の会社から、当社のような24万人の会社まで経験していますが、規模にかかわらず共通する考え方があると感じます。一方で手段については、それぞれの会社で選択できるもの、選択した方が良いものはあります。たとえば、ここまで述べた取り組みはすべて、お金をかけて実行する方法もある一方、お金をかけずに工夫することで実行できる方法もあります。自社の置かれている状況に合わせ、選ぶことが大切です。求職者のインサイトについても、地道に声を聞き続けることでもつかめますし、お金をかけた宣伝手段を使わずとも、ブログなどで発信することで求職者にメッセージを届けることはできます」

まずは自社のありたい状態を明確にする。そのうえで課題がどこにあるのかを洗い出し、誰に何を伝えるかを明確にすることが大切だと杉山氏は話す。

「当社の場合は、お伝えしたとおりアッパーファネルからミドルファネルへの遷移に課題がありました。しかし、企業によっては、課題は意思決定をするロウワーファネルにあるかもしれませんし、ZMOTよりTMOTにあるかもしれません。すべての企業に適応する施策というものはないからこそ、他社の事例を参考にして、自社だったらどうするのかを選択していく必要があるのです」

同様に、「杉山氏だから」実現できたわけでもないと語る。正解のある領域ではないので、課題を感じている人事担当者がいればぜひ閉じこもらずに人事の外を見てほしいとのことだ。

「確かに私にはマーケティングや広報などの経験があります。ですが、自分には知識や経験がないからできないとは思わず、行動してみてほしいと思います。実際に私もデザインは専門ではありませんが、クリエイターと話す機会から学んできました。先に行動があって知識がついてくるのであり、逆ではありません。マーケティングや広報についてよくわからないと思っている人事の方がいたら、まずは一歩を踏み出して他部門と話しに行くことから始めてみてはいかがでしょうか」

共創によって組織は変わる。その架け橋となれるのは、人事部門なのかもしれない。

Learning Design 2021年07月刊

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