第7回 ベテランの知恵を伝える小学校教員の育成

検証現場 大田区立久くが原はら小学校

 取材・文/井上佐保子、写真/真嶋和隆、イラスト/カワチレン

小学校の先生になるには

 子どもの成長にとって重要な存在である小学校の先生。児童の教育については巷でも話題にのぼりますが、先生の育成については一般的にあまり知られていません。そこで、今回は、小学校の先生の知られざる“現場の学び”にスポットを当てます。

 まずは青山学院大学の苅宿先生に、現在の教員育成について伺いました。

「教員の採用・育成の仕組みは一般的に次のように行われています」

①大学・短大等で教職課程の単位を取り、教員免許を取得

②全都道府県の教育委員会が実施する教員採用試験を受験(筆記試験、個人面接、集団活動、実技試験など)

③採用された場合、4月1日に教育委員会から赴任先を任じられる

④多くの場合、初めは低学年・中学年の学級担任を任される

⑤初任1年間は仮採用期間。さまざまな研修が行われる

⑥1年間で教員としての資質を評価されれば、本採用となる

「初年度は週に一度、研修が行われます。企業に比べて手厚いのではないでしょうか。しかし、現在の小学校での教員育成は大きな問題に直面しています」と苅宿先生。

※オープンスペースの教室。教室が密室になっていないため、ベテラン教員が、学年全体に気を配ることがでる。なお左のクラスは、テスト中のため、机の向きを変更している。

 

職場の半数以上が若手!?

「学校を巡る状況は地域によってさまざま。国内で起きている問題を一括りで述べることはできません」という前置きの後、例に挙がったのは、東京都で起きている問題です。

「東京都の公立小学校では、なんと教員の半数以上が、経験10年未満の若手となっています」その原因は、団塊世代教員の大量退職。ベテラン教員が現場を離れる中、東京都では、児童数の増加、少人数制クラスの増加などにより教員数が不足。毎年数百名程度だった公立小学校教員採用数は、数年前から1500名を超えるようになり、試験の倍率も低下。優秀な教員の確保が難しい状況となっています。そして今、一気に増加した初任、若手教員の育成は、喫緊の課題となっているのです。「若手教員育成の難しさは、前日まで大学生だった人が4月1日になった途端に先生となり、ベテランの先生と同様、担任となったクラスの学習指導、生活指導全てにおける責任が生じる、という点です。こうしたリアリティショックのため、1週間も持たずに離職する人もいるという話も耳にします」

 このような現状の中、校長のリーダーシップでベテランの知恵を活かした若手教員育成を行っているという大田区立久原小学校を訪ねました。

 

教員の8割が10年未満の若手

 大田区内の静かな住宅地の一角にある久原小学校。児童数は約700名で、1学年3~4クラスの編成。公立小学校としては比較的規模の大きい学校です。校内には多様なポスターや児童の作品、学習に関わる資料などが至る所に掲示され、子どもたちの活気を感じます。

 授業の様子も見学しましたが、どのクラスも落ち着いて授業に集中しています。東京都の授業改善研究推進校に指定されていたこともあり、見学者にも慣れているとのことでした。驚いたのは1年生が、はきはきとスピーチの発表をしていたこと。自分の言葉でしっかりと話す様子が印象的でした。しかし、よく注意して見てみると、教室にいるのは若い先生ばかり。実は、久原小の全学年22学級の教員のうち、教職経験年数1~5年の若手が13名、6~10年が6名で、16年以上のベテランはわずか3名なのです。

 担任教員の8割が10年目までの若手、という久原小ですが、教員が“学級経営”を行う力が身につけられるよう、多くの工夫がなされています。清水一豊校長にお話を伺いました。

 

失敗が許容されない教員の仕事

 「教員の仕事は、授業だけではありません。とても忙しいんです」

 先生の仕事は、授業での学習指導、そのための準備、子どもとの関係構築。さらには、遊び、給食、掃除などの指導。学級だよりの作成、通知表、指導要録など膨大な事務作業、相談やクレームなど保護者への対応、クラブや委員会活動など担任外の指導や、運動会や遠足などの行事に関する仕事、さらには地域や他校との交流など――。ざっと挙げただけでも多様で多岐にわたっています。これらの仕事を新任教員も1年目からこなさなくてはなりません。もちろん、新任教員には指導教員がつきますが、手取り足取り教えてもらうわけにはいかず、毎日の授業づくりや事務作業に追われる日々となります。

 何もかも初めての社会人1年目は、誰しも失敗を重ねて成長していくもの。しかし、保護者にとっては、学校に通わせているのは大事な子ども。1年目だからといって「失敗」は許されません。学校としては一定の「教育の質」を保つ義務があります。若手、新任の教員が急増する中、清水校長がまず手がけたのは、子どもたちの学習のルールづくりでした。

 

「久原スタンダード」の徹底

 久原小では、清水校長が校長に着任して3年目の2005年から、児童が学校生活を円滑に進めるための共通ルール「久原スタンダード」を設け、全学年に徹底しています。基本となる学習スタンダードは、「発言する時は静かに挙手をする」「発言する人を見て話を聞く」の2つ。「とてもシンプルですが、これらはベテランの先生方の智恵の結晶です。学級運営をスムーズに進めるために最も大切なことは、学習に向かう“態度”を身につけること。このルールを1年生の最初の1週間で身につけさせることを徹底しています。児童がこのルールを身につけていれば、経験の浅い先生でも安心して教えることができます。児童にとっても、友だちが自分の意見をきちんと聞いてくれるのは嬉しく、自信につながります。ルールを守ることが気持ちいいと気づくのです」

 その他にも話をせずに給食を食べる「もぐもぐタイム」を設けた「給食スタンダード」や清掃の手順などを決めた「清掃スタンダード」などを設けています。学習態度や生活に関する指導方法を統一化することで、若手教員が授業づくりに力を入れられるようにしているのです。

 

教員同士も学び合う学校

 一方、若手教員の育成の中心は、同学年の担任の集まりである「学年会」です。教員を配置する際は、経験年数の長い教員を学年主任とし、若手、新任の教員と組ませることで、学年単位でOJTが進むように配慮。教室の構造も、壁を取り払ったオープン型教室なので、隣の教室の気配を察知し、授業中でも細やかな指導ができるそうです。学年会を通し、「学年の児童は担任全員で育てる」という意識が生まれ、若手を育成する風土を醸成するといいます。

 もう1つ重視しているのは、音楽、図工、家庭科などの専科の先生方とクラス担任との斜めの関係です。専科の先生にベテランの先生を配することで、若手教員は、専科の授業を通じて、指導のコツを学んだり、子どもの違う側面を発見したりします。

 また、多くの小学校ではクラス替えと担任の入れ替えを2年ごとに行っていますが、久原小では1年ごとに行っています。担任の持ち上がりが無いので、育成を視野に入れた教員の配置を自由に柔軟にできます。若手教員がいろいろな学年の指導経験を積めるというメリットがあるそうです。

 さらに、月に一度は校内で若手教員研修会「ひまわりの会」を開催。6~10年目の教員から研究会のリーダーを複数人選出し、新任、若手教員の指導、育成ができる次世代ミドルリーダーの育成も行っています。「若手教員の育成はもちろん大切ですが、上級生が下級生の憧れとなり、子どもが子どもを育てる学校をめざしています」と話す清水校長。久原小では学年を越えた児童の交流も盛んに行っています。夏季休業中には、教員、保護者、地域の方々、企業、NPO法人などが講師となり、講座を開講、児童はそれらを好きに受講できる「夏休みドキドキ学校」を開催。教員だけでなく、保護者や地域社会を巻き込んで学校全体で子どもを育む取り組みも積極的に行われています。

 久原小は、清水校長によるリーダーシップと若手教員への細やかな配慮、そしてなにより子どもたちの自ら学ぶ力を引き出す試みにより、子どもも教員もともに学び合う場となっていました。

 

Reflection

初等教育の現状を、知っていますか?

「中原くん、子どもの“おもちゃ”になってはいけないよ。一度玩具になった大人はずっと玩具になってしまうからね」

 かつて、僕がまだフツーの教育学!?を志していた時、日々小学校の教育現場に通っていました。この言葉は、当時僕が苅宿先生に言われた言葉です。一般に、「学級経営は始めの7日間で決まる」と言われます。子どもに過剰におもねり、一度“おもちゃ”となった大人は、短期的には子どもと友好関係を築けますが、二度と教師として見られることはありません。

 一見簡単に見える児童との関係づくりですが、“教師”として関係をつくるには、こうしたベテランの知恵がいるのです。にもかかわらず、無計画な採用計画により教師の人口ピラミッドが歪な形になっています。若手教師の数が激増する一方で、40代~50代の熟練教師の数、いわゆる経験あるベテラン、ミドルリーダーの数が圧倒的に不足しています。 そのような中、学級崩壊・保護者への説明責任の増大・児童の多国籍化など、課題が次々と生じているわけです。

 マスメディアは、日本の初等・中等教育の「問題」ばかり喧伝しがちです。たとえば国際学力で日本の成績が悪かった時には大ニュースですが、成績が良かった時には、ニュースにすら取り上げられません。

 確かに、現場では多様な問題が起きています。しかしそれでも、グローバルに見れば、日本の初等・中等教育のレベルは非常に高いと僕は思います。たとえば、ほぼ100%の識字率というのは、世界的にみれば驚異的な数字です。私たちにとっては当たり前に思えますが、それは教育現場の努力によって実現している「素晴らしい成果」なのです。国際学力テストにおける読解力、科学・数学リテラシー等の学力達成度も高いといえます。情報に踊らされて、こうした良い面が評価されていないのは残念です。

 もちろん今後、懸念点がないわけではありません。さまざまな問題がふりかかる学校現場を支える先生方をエンパワーメントする施策や、教員の教育力向上を果たすような施策がさらに必要です。

 このような現状と、久原小学校のような現場の取り組みをもっと多くの人に知ってほしいと思っています。

@nakaharajun

 

BOOK

浅田匡・藤岡完治・生田孝至/著、『成長する教師̶教師学への誘い』(金子書房) 

教師養成の基礎学問になるのが、いわゆる「教師教育学」です。やや古い本ではありますが、我が国の初等中等教育を支える教師教育の典型的な研究が網羅されている本といえるでしょう。

秋田喜代美・キャサリン=ルイス/著、『授業の研究 教師の学習』(明石書店)

 さまざまな問題は抱えていますが、実は、日本の初等・中等教育は世界的に見て非常にレベルの高いものです。今、アメリカでは日本の教師教育の特徴である「授業研究」が注目されており、「レッスンスタディ」と名前をかえて実践されています。本書はレッスンスタディ研究の現状を伝える本です。

 

Keyword

教師教育 スタンダード 学年会 授業研究