Vol.15 最終回 アウトソーシングされない人事部に今、必要なこと

オランダで発見した日本の課長の優秀さ

中原 今回は連載最終回を記念して、酒井穣さんをお招きしました。海外で働かれた経験のある酒井さんと、グローバル化が進む中での「人事の今後」についてお話をしたかったんです。

 では早速ですが、酒井さんは、新卒で日本の商社に入社されて、その後オランダで仕事をされてきたわけですが、簡単に経緯を教えてください。

酒井 大学卒業まで海外に行ったことがなかったので、とにかく「海外へ行きたい」という単純な動機があったんです。それと、「小さくてもいいから自分で船を造るような仕事がしたい」という気持ちがあり、当時はまだ有名でなかった商社に入社します。幸いすぐ海外担当になり、台湾で精密機器の販売や機器導入を行っていました。

 転機となったのは、1999年の台湾地震です。この時の日本本社の反応は「危険だから、すぐ帰国しろ」というもの。ただ現地では、多くの顧客企業が被災していたので、1日でも早く復旧させようと勝手に残って頑張ったんです。

 これが目立ったのか、ITバブルだったこともありヘッドハンターから声がかかりまして、8社ほど受け入れ先があるというんです。そのうち7社はシリコンバレーで、1社はオランダ。普通ならシリコンバレーを選ぶと思うのですが、私は「人が選ばないほうを選ぶ」というモットーがありまして(笑)

オランダにしました。それが2000年のこと。

 この会社も半導体製造装置メーカーでした。在職中に通ったMBAのクラスで、起業に関する授業があり、同じクラスの仲間と事業を設計し、実際にやってみたのです。これが軌道に乗り、会社員と経営者の両方をすることになりました。今もこの会社は生き残ってますよ。

中原 酒井さんは台湾やオランダの企業を見てきたわけですが、日本企業との違いはどんなところでしょうか。

酒井 中間管理職ですね。オランダで会社をつくった時に、いわゆる課長を採用しようと思い、多数の応募者に会ったのですが、率直に言って「こんなレベル?」と思いました。自分が日本企業で見てきた課長のほうが、スキルもマインドも知識もはるかにレベルが高かった。そこで思ったのが、実は“課長”という職種は、日本企業だけが価値を高めてきたブルーオーシャン(未開拓市場)なんじゃないか、ということ。日本企業の強さの要は、優秀な課長にあるのではないかと。

 ところが、この点についてきちんと整理された本は意外にありませんでした。そこで『はじめての課長の教科書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を執筆したのです。

中原 オランダと日本の課長で、最も違うところは何ですか。

酒井 月並みなところで“責任感”です。与えられている仕事の質や期待されている役割が、日本企業とヨーロッパではまったく違います。

 ヨーロッパ企業では、上がすごくしっかりしていますから、中間管理職にそこまで責任はないんですね。ところが、日本では課長がしっかりしているので、上はいなくても現場は回る、といった感覚がありますよね。

中原 80年代後半に、一橋大学の野中郁次郎先生が「ミドル・アップダウン」という表現で、日本企業の中間管理職を“発見”しました。日本企業はトップダウンでも、ボトムアップでもない。質の高い情報を大量に持っている中間管理職がトップに働きかけて意志決定を促すと同時に、部下を束ねて走るミドル・アップダウンであると。この意志決定と行動パターンが日本企業を支えてきたという指摘です。

酒井 ただ、その行動パターンが有効に機能しなくなっているのが、現在の日本企業の課題です。

 現場の長である課長に権限が集まると、目の前の物事を処理していくスピードは高まります。一方で、中長期的な戦略が抜け落ちてしまうのです。『はじめての課長の教科書』を書いて、課長であろう読者から「自分が今なぜこんなに苦労しているのかわからない。何のためにやっているのかがわからない」といった声をたくさんもらいました。私は確かに日本の課長は優秀だけれども、そもそも課長にそれだけ仕事が集中してしまうこと自体が、組織としての「戦略の不在」であると思っています。これは日本企業の弱点だと思っています。

ラーニングコミュニティーを社内につくる

中原  戦略については後ほどお伺いしたいのですが、先に、現在の酒井さんのことを教えてください。フリービットで戦略人事部ジェネラルマネージャーとしてご活躍されていますが、具体的にはどのような立ち位置で、どのようなことをされているのですか。

酒井 1つは全社的な人材育成です。すべてのビジネスパーソンに必要な基礎力強化を目的とした標準研修の設計・運用は当然として、中期経営計画を実現するために必要なさまざまなシステムや教育プログラムを設計し、展開しています。いわゆる総務人事は別にあるので、むしろ私は修羅場に介入して、現場の課題を一緒に解決しながら、人の成長を促していくといったかかわり方をしています。自分は修羅場にこそ介入しようという気持ちなんです。

中原 経営的な課題で、人に関連するあらゆることを手掛けるというイメージですね。

酒井 そうです。戦略人事部は社長直轄ですが、経営企画室、総務人事部にそれぞれ担当取締役がいて、そちらとも連携して進めています。ある意味怪しい立場ですが逆に便利なので、何でも任されるという側面もあります(笑)。具体的には、非常に困っている部署に行って一緒に悩んで解決して、ラーニングも行うということです。

中原 そのような修羅場はまさに、「教育的瞬間」の宝庫ですよね。これは、たとえば子どもが何かに興味を持った瞬間に、うまくアシストして学びに結びつける、そういったタイミングのことを言います。ただそれは一瞬で、対応を間違えると学ぶ意欲は失われてしまいます。大人も同じですが、子ども以上にこの瞬間が短い。3秒くらいで意識が閉じてしまう(笑)。だから修羅場に介入するという方法は、学びという点で非常に効果的だと思います。

 教育効果を高めていくという点では、教育的瞬間への介入ともう1つ、環境をセットしていくことも重要だと思っているのですが、それはいかがですか。

酒井 ええ、私もMBA的な文化、「ラーニングコミュニティー」をつくっていきたいと考えています。人を無理矢理学ばせることはできませんが、学ぶことが当たり前で、学びを楽しんでいる人がたくさんいる環境をつくれば、どのような人でも学びを楽しむ方向へ変わっていくことは可能です。

 たとえば「道真公の愛」*というネーミングで、読書手当を始めました。これはその一環ですね。

 それから当社では英語はできるけれど日本語のできないポーランド人を雇用しました。しばらくしたら彼の周囲にいる人と、それ以外の人たちとのTOEIC点数の上昇度についてモニターしようと思っています。これは確実に差が出ると思いますね。もちろんこの人は、周囲の英語力向上のために雇ったわけではありませんが(笑)。

アウトソーシングされない人事部になるために

中原 グローバル化の中に日本企業は否応なく取り込まれているわけですが、その中で先ほども出た「戦略の不在」という問題は1つのカギになっていると思います。人事という観点から見た時、戦略の不在は、どのような問題を含んでいますか。

酒井 中長期の戦略を持っていないという点では、人事も同じ状態にあると思っています。これは人事系のマネジャーが経営用語を使えない、経営のことを理解できていない、ということが表しています。

 よく日本企業は「人が大事」と言いますよね。そう言いながら、人事の成果を測る指標も持っていなければ、それをつくる意識もない。それでは中長期的な視点から、戦略的に人を育成することはできません。研修予算を消化するだけの部署になっていると思われても仕方ないのではないでしょうか。

 会社の経営では、業務の評価を行う指標をつくり、それを読み取って素早く意志決定をしていくことが必要です。すでに重要な経営指標はKPIとして一般化されていますが、人事もやはりKPIを持って、物事を語る必要があると思うんですよね。

 こうしたことをするためには、人材育成担当者自身がもっと勉強しなければなりません。欧米に比べると圧倒的に勉強不足だと思います。また、本気で人を育てることができると信じていないのではないかと感じることが多々あります。

中原 日本には何か、大人というと学び終えてしまって、もう勉強する必要がないといった感覚があります。

酒井 大人になっても人は成長する、学ぶことは楽しいことだという、学びに対するポジティブな姿勢がもっとあっていいですよね。

 欧米では博士号を持っている経営者などザラにいますし、アカデミックなものに価値を置き、純粋に楽しむために学ぶという文化があります。結果として自分が変わることや、“成長”に対する信頼感や信念に、日本と欧米で大きな差があるのではないでしょうか。

中原 実は育てられると思っていないけれど、人事部だから育成をしている、といった意識ですよね。

 経営の言葉がわからないということと合わせて、育成に対するいわば“本気感”がないということ。この2つは大きな問題ですね。

酒井 グローバル化が進み、海外に外注できることはどんどん外注されるようになっています。そして、現在人事部は「シェアードサービス」とも言われて、アウトソーシングされても問題ない存在になりつつあります。本気になって考えるべきだと思いますね。

 ただ人を教育する機能に対する必要性は、むしろ高まっていると感じます。たとえばM&Aによって組織が大きく変わった後、新しい組織文化を醸成していったり、事業ニーズに合った新たな人材要件を定義し、それに合った人材を育成していくといったことは、今後も非常に重要です。ある意味人事部にとって人に関する問題は、“ラストリゾート”といってよいでしょう。

 「今後の人事部」を考えるならば、1つは組織内でラーニングリーダーシップを発揮して欲しいと思いますね。会社の中で一番勉強している人がいて、一番仕事ができる人がいる。そして必要な時に叱ってくれたり、困ったら助けてくれたりと、少しスーパーマン的ですが、そういう場所をめざさなければならない。そうでなかったら、存在価値がなくなってしまいます。

KPIの設計と教育機能

中原 今、人事は重要だけれど、人事部はいらないという声もあります。

酒井 そうならないためにも、教育をKPIとセットで考えることは重要だと思っています。

 要するに私が兼務している経営企画グループでやっているのは、KPIの設計なのです。これは学ぶべき方向とその結果を示すという意味で、インストラクショナルデザインと同じです。

 KPIは、つまり、“何のテストで”100点をめざせばよいのかを社員に伝えることです。そして、社員が、そのテストで良い点数を取る努力が成果や売り上げにつながっていくと実感すれば、これはもう大きな学びになります。

 そうなると次の段階では、個々人がより適切なKPIを考えることができます。「こんな指標で見ればよいのではないか」「こっちのほうがよいのではないか」などと考えることが、実は自分が何を学ぶべきかを知るうえで、最も適した方法なのです。

 だから本当に企業の中で教育者でありたいと思うのであれば、KPIの設計を握ることは非常に重要です。

中原 人事機能にしても、たとえばプロジェクトマネジメントにしても、外部にアウトソースできない機能が確実にあります。それは組織内部のことをよく知っており、社内ネットワークを使ってコミュニケーションをしていくという、その可能性にありますよね。

酒井 社内営業は外部の人には絶対にできませんよね。人材育成は、結局、予算に直接的な責任を持てない分野です。予算に責任を持たない人間が事実上いろいろな人の決定に影響を及ぼすためには、組織のさまざまな人の“かゆいところ”を握り、その人の判断に影響力を与えていかなければなりません。これはまさに強力な社内営業です。

中原 これまでのお話から、「人事の今後」を考えた時に、明らかに必要なことはいくつか見えてきています。

 1つは、人事が組織の内部にいるということ。それはやはり重要なリソースなのです。内部にいるからこそ、社内営業力が発揮できます。

 この社内営業力には、説得するロジックを持つ、という要素も含まれています。KPIも含めて経営と同じ土俵で話せる言葉を獲得するということです。

 2つめは、私が再三思うことですが、編集力が必要ではないでしょうか。

 たとえば「道真公の愛」*といったネーミングであったり、アイデアであったり。こういった人をハッとさせるような構想力が、今の人事には欠け過ぎているように感じます。

 でもこれは、人事だと考えると珍しい感じがしますが、たとえば、商品開発であれば当たり前のように行われています。牛乳1つをとっても、ただ牛乳といって売るわけじゃないですよね(笑)。いろいろ工夫するのが普通です。他の分野では散々やっていることが、人事に来ると途端になくなってしまっているんですね。

 3つめは、学びに対するポジティブな姿勢であったり、学びと成長を楽しむワクワク感みたいなものです。

 説得力、編集力、学習意欲。この3つのコンピテンシーと、その土台になる教育に対する信念。人事に必要な要件を考えると、この4つでしょうか。

酒井 さすが、きれいに整理しますね(笑)。でもおっしゃる通りです。やはり楽しいと思っている人には勝てないですから。

 

*)道真公の愛……酒井氏がフリービットで始めた読書手当制度。社内ネットに書評を公開すれば書籍代の半額を補助する。学問の神様と言われる菅原道真にちなんだ名称で、読書は学問であるとアピール。