Vol.12 新人こそが組織活性化のカギ!?

 2009年11月12日、本誌『人材教育』発刊250号の記念シンポジウムで「新人の育成」について議論する機会を得ました。あすか製薬、日本旅行、森永製菓の3社の新人研修ご担当者様から、それぞれの取り組みをお聞きしたあと、会場の皆さんで、いつものごとく、ディスカッションをしていただきました。会場は非常に盛り上がり、実りの多い時間を過ごすことができました*。

組織が新人育成に寄せる2つの期待

 シンポジウムをファシリテーションしながら、僕は、密かに考えていたことがあります。なるほど、「新人育成」に取り組まれている方々は、一見、相反するような「2つの社会的期待」を新人に寄せているのだな、ということです。

 1つめの期待は、いわゆる「組織社会化」のニーズです。マサチューセッツ工科大学のヴァン・マネンとエドガー・シャインという研究者によると、組織社会化とは「個人が組織における自己の役割を理解するのに必要な社会的知識や技術を獲得し、組織構成員になっていくプロセス」のことを言います。

 ややこしい定義ですね(笑)。要するに、1)新人をいかに組織に順応させ、2)組織で必要な知識やスキルを覚えさせつつ、3)いかにして「組織の人にするか」ということでしょうか。こう言うと、別に目新しいことではありません。元々、「新人育成」はこのことを意味するのではないでしょうか。悪く言えば「組織に染める」。中性的な言い方をすれば「組織の人になる」ということでしょうか。なるべく早く効率的に、いかに新人を組織に順応させるのか。ビジネス環境がさらに厳しさを増していく昨今、現場で奮闘する人ならば誰しも、新人には早く一人前になって欲しいと願わずにはいられません。組織社会化に対する関心は、日に日に強くなってきているように思います。

一方、もう1つのニーズは「組織活性化」です。つまり、新人を職場に配属することで、その職場の中を活性化したい、というニーズですね。

 右も左も知らない新人は、一人前になっていく過程で、職場内でさまざまなコンフリクトを起こします。こうした1つひとつの出来事によって、今まで自明視されていたもの、これまで誰も問わないできたものを疑う契機になって欲しい、新鮮な目を職場にもたらして欲しいということです。今まで「一番下」で新人だった人が、自分よりも若い新人が職場に入ることで先輩としての自覚を持って欲しいということも、どこかではあるのかもしれません。

 新人による組織活性化──。実際、これまでお会いした何人かのビジネスパーソンに、このことを質問したことがあります。異口同音に彼らは「新人が入ると職場はよくも悪くも活性化します」とおっしゃっていました。

 新人を迎え入れることで、普段は粛々と仕事をしている人たちが、コミュニケーションの機会を持ったり、新人に教えるべき仕事の内容を話し合ったりするそうです。あるいは、職場全体の仕事の役割分担が見直されたりといったことがあるようです。

 もちろん、ポジティブな効果だけではありません。ネガティブな効果が生まれることがあります。新人を迎え入れるための準備に時間がかかり、日々のオペレーションが停滞したり、コミュニケーションをしている間に、“いさかい”が生じたりすることがあります。

 いずれにしても、新人は、終わりなき日常が支配する「職場という空間」に“ゆさぶり”や“ゆらぎ”を与える存在であるようです。もし、これが事実だとしたら、若手の職場への参入は、「組織活性化と言わない組織活性化」と言えるのかもしれません。

順応しつつ組織を活性化するという“矛盾”

 しかし、もうおわかりだと思いますが、組織社会化と組織活性化の間には、“矛盾”が存在しています。

 組織社会化のプロセスでは、若手の「やんちゃな部分」を“削除”する方向で物事が進みます。「やんちゃな部分」がなくなって、「その組織の人になった」時、新人は、「○○君は最近成長したね」と言われるのです。つまり、「組織社会化は成功した」ということになります。

 一方、組織活性化で最も重要なのは、組織社会化においては削除したい「若手のやんちゃな部分」でしょう。これが“資源”となり、職場にコンフリクトをもたらすことで、組織にカオスや葛藤が生まれます。組織活性化を促すためには、すぐに「成長したね」となってしまっては困るのです。「やんちゃな部分」がずっと残っているのも困りますが、それによって、職場に“ゆらぎ”や“ゆさぶり”が生じたあとで、次第になくなることを望むはずです。

 まぁ、実際には、新人の成長とは、組織社会化と組織活性化のプロセスの間を行きつ戻りつしながら、ゆっくりと進行するのかもしれません。

 そして、季節が変わり時間が過ぎて、新人の顔に凛凛しさが生まれ始めた頃、つまり「新人の組織社会化が成功した」時こそが、「新人による組織活性化の終焉」ということになるのでしょうね。

新人がもたらす本当の効果

 今回の話は、新人の組織社会化と組織活性化でした。ここで思うことは2つです。

 第一に、新人の組織社会化と組織活性化のダイナミズムを描き出す研究があったら面白いのになと思います。1980年代以降、膨大な数の組織社会化研究においては、新人や若手は「染められる=社会化」される存在として描かれていました。彼らの社会化を促進する要因を探る研究、あるいはその社会化のプロセスの障害になる要因を探る研究が大量に生み出されたのです。経験、上司、同僚など、新人の成長を支える要因はさまざまなものが考えられますが、最もパワフルなのは職場のメンバー、特に同僚や先輩といったピア(親密な)関係であることは疑いありません。

 しかし一方で、新人自身が職場に与える影響は、十分に考慮されてきたとは言えません。経験的には多くの人が「新人による組織活性化」を事実として知っており、また、望んでいるのにもかかわらず、そのインパクトを明らかにする研究は非常に限られています。

 現在、僕自身が取り組んでいる研究に引き付けて言うのならば、新人が配属された職場とそうでない職場を比較して、職場の風土やコミュニケーション環境がどのように変化するのかを定量的に把握する研究なんて面白いんじゃないかなと思います。

 第二に、経験値として「新人が入ることで職場が活性化する」のであれば、「新人を採用する意味」として、積極的にこのあたりを打ち出せばいいのにとも思います。

 ここ1年の不況により、新人採用を控えたり、採用数の大幅削減を検討している企業が少なくありません。新人採用を抑えるのは、とにもかくにも人件費の圧縮が最たる理由でしょう。しかし、それだけが原因でもない気もします。新人をゼロから育成するために必要な労力をすべて「コスト」としてみなすのならば、そのコストを企業が負担できるかどうかこそが問題なのではないでしょうか。

 しかし、新人とは決して「労働力」というだけでなく、またその育成は「コスト」だけではありません。むしろ、「職場」の新陳代謝を促したり、職場を活性化させるリソースなのかもしれません。

 新人が職場に与える影響──シンポジウムの間、皆さんのディスカッションに耳を傾けながら、僕はこんなことを考えていました。皆さんはどのようにお考えですか?

*)詳細は弊誌2010年1月号に掲載。