Vol.8 OJTとOff-JTを問い直す

OJTとOff-JTという言葉の不思議

 えっ、あなたの会社では、まだOff-JT、OJTって言っているんですか?

 ご存知の通り、企業人材育成の世界では、OJT(On the Job Training)とOff-JT(Off-the Job Training)という2つの強固なカテゴリーがあります。企業の中の学習、教育訓練を語る時、誰もが、これら2つの言葉を使いますね。

 今回のラーニングイノベーションでは、この2つの言葉について考えてみましょう。結論を先に述べちゃいますと、僕がこの小論で主張したいことは「Off-JTとOJTという言葉を利用するのは、もうそろそろやめませんか」ということです。あーあ、言っちゃった(笑)。まったく、小生は、年中「新春大放談」です。以下、その理由を順に説明します。

 まず、この2つの用語の定義についてもう一度確認しましょう。OJTとは一般的に、“職場において実施される、上司と部下の間の1対1の教育訓練”を指します。

 そして、アカデミックには、この文脈で言う教育訓練は「上司からの指導助言」と「上司からの権限委譲」の2つから構成されると考えられています。当然ですが、前者は「上司が仕事の指導・助言をすること」、後者は「上司から仕事を任せられること」ですね。先行研究では、特に後者のほうが教育効果が高いと言われています。大人は、みんな、仕事を任されたいんですね。

 一方、Off-JTとは「職場を離れて実施される教授行為」を指す場合が多いと思います。いったん職場や業務を離れて、たとえば、研修室などにこもって行われる教授(Teaching)のことを言うのですね。

 ここまでお読みになった方の中には、「そんなことは、アタリマエ」だといぶかしがる方もいらっしゃるかもしれません。「人材教育という専門雑誌で、そんなしょーもないことを繰り返すんじゃない」と。

 でも、ちょっと待ってください。僕が、数年前に企業人材育成の研究に着手し始めた頃、僕には、この言葉が非常に不思議で不思議でなりませんでした。

 それはなぜか。なぜ学習研究者(一応、なんちゃってですが僕のことです)から見て、この言葉が不思議に見えるのか。それは、OJT、Off-JTという言葉は、本来見失ってはいけない“学習の本質”を、実はことごとく見落としているからです。

OJTとoff-JTで見失われるもの

 OJTという言葉からこぼれ落ちてしまっているのは、たとえば、職場のさまざまな他者と出会い、コミュニケーションする中で生じる学びです。先述したように、OJTという定義が示すのは、主に「上司から提供される学びの機会」なのです。しかし、少し振り返ってみればわかるのですが、私たちが職場で“学ぶ”機会は、上司との間だけに存在するものではありません。

 あなたが最も成長したと思う時、その傍らには、誰がいましたか?

 あなたが最も成長したと思う仕事を「一本の映画」にたとえるとするならば、そのエンドロールには、誰の名前を書きますか?

 わたしたちは、実際は、同僚、部下、顧客……さまざまな人々と出会うことによって学んでいます。しかし、OJTという言葉から我々が連想してしまうのは、過度に“上司”に寄っていないでしょうか。つまり、この言葉は、我々が日々、職場において経験する“ダイナミックな学び”を見落としてしまいがちなのです。そしてこのことは、ともすれば職場の学びが「上司の専管事項」になってしまうことと無関係ではありません。

 一方、Off-JTという言葉はどうでしょうか。こちらも、大切なものを見落としてしまいます。それは研修室における「インタラクティブでリフレクティブな学び」です。Off-JTで指示されている内容が「教授行為(Teaching)」とされているがゆえにこの見落としが起こります。とかく、Off-JTという内容から連想するのは、知識を注入することです。その反面、受講者が相互に話し合ったりしながら学ぶ学習──協調学習(インタラクティブな学び)や、日々の仕事のあり方を振り返る学習──経験学習(リフレクティブな学び)は、忘れられやすいのです。

ラーニングは、ラーニングだ!

 さらに、さらに、もうひとつ決定的に見落としてしまうものがあります。それは、「Off-JTとOJTの連携」という視座です。この2つの用語があることで、かえって連携がとれないでいるのです。

 学習研究者の目からすれば、“ラーニングはラーニング”です。分けて考えるほうがおかしい。本来ならば、カリキュラムとして(学習者の学習経験の総体を教育学ではカリキュラムと呼びます)、「Off-JTで学ばれるもの」と「OJTで学ばれるもの」は連動・連携・一貫しているほうがベターでしょう。しかし今、ラーニングは、OJTとOff-JTという2つの言葉にいちいち分けて語られます。さらには、Off-JTは研修所の人がやるもの、OJTは現場の上司がやるものと、コントロールする主体も分かれます。そして、最悪の場合、そこに“妙なセクショナリズム”が現れちゃったりします。かくして、OJTとOff-JTはまったく“別物”とされ、それらが連携・連動するといった視座が生まれることは希になるのです。

新たなワン・ワードを探る

 結論は最初に言ってしまったので(笑)、繰り返しになってしまいますが、皆さん、思い切ってOff -JT、OJTという言葉の使用をやめませんか?

 たかが言葉じゃないか、たかが定義じゃないか、と思う方がいらっしゃるかもしれないですが、「たかが言葉、されど言葉」なのです。現代思想をひもとくまでもなく、わたしたちの世の中は「現実が言葉をつくっている」のではありません。むしろ、「言葉が現実を構成する」のです。

 OJTやOff -JTという2つのカテゴリーは、見落とすものがあまりに多いと僕は思います。しかも、そこで見落とされたものの中に、あまりに重大で、現在のビジネスにおいて失ってはいけないものが含まれているように、僕には思えます。

 仕事で多種多様な人々に出会いつつ、ダイナミックに成長すること、研修でインタラクティブに学ぶこと、内省を深めること。そのいずれもが決して、見落とされてはならないものではないでしょうか。

 OJTとOff-JTという2つのカテゴリーの利用をやめて、もう一度、自社の人材育成を虚心に見直す時、新しい育成のあり方が生まれるのではないかと思っています。その時、OJTやOff-JTに代わる「新たなワン・ワード」が生まれるのではないでしょうか。僕自身も、それを見つけていきたいと思っています。

 それに僕の印象では、OJTやOff-JTという言葉に対する現場の方々のイメージは、必ずしもよくないですね。すでに現場では色褪せている分類だということです。OJTをします、Off-JTをしますというと、どうしても「やらされ感」「またか感」が漂います。そうであるならば、「新しい育成のあり方」、それに伴う「新しいワン・ワード」をつくって普及したほうが早いと思うのですが、いかがでしょうか。