Vol.7 イケてない学生は大学のせい? 企業のせい?
大学生について
企業と大学は“対話”するべき
大学と企業の、大学生をめぐる“話題”は、つねに“緊張”を内包しています。
「企業が多額の研修費用をかけて、なぜ一から十まで教えなければならないんだ。大学でしっかりと企業で必要になる知識・スキルを身につけてきて欲しい」
企業の担当者の方は、きっと、大学にこう言いたいはずです。一方で、「大学で学んだことはまったく役に立たないから、すべて忘れて白紙で企業に来い」とうそぶく担当者もいます。どっちが本音ですか?
大学だって、企業に言いたいことはあります。
「いくら何でも就職活動が早過ぎないか。前の年の6月から就職活動なんかされた日には、まったく勉学に身が入らない。あなた方が教えて欲しいという知識・スキルだってこんな状況じゃ教えられない」
そもそも「大学は企業の予備校じゃない。業務に必要となる教育は、それぞれの企業ごとに実施するべきであり、税金を使ってまでするべきものではない」
要するに、学生がイケてないのは「大学の責任だ」。いやいや「企業の責任だ」と、“果てないあやとり”のような応酬・責任転嫁をお互いにしているのです。立場上、僕は、大学の代表者みたいな形で、シンポジウムへの登壇などを求められますが、もう、この手の議論には、はっきり言って“うんざり”しています。
そこに不足しているのは“対話”の姿勢です。問題に対して協調して解決に当たるといった前向きな姿勢が失われがちなのです。大学“が”悪い、企業“が”悪いというように責任をなすりつけ合う「“が”の応酬」をしていても、話はいっこうに前には進みません。むしろ、大学と企業がお互いの立場の違いを前提に、話し合い、互いを知ろうとするかどうかが大事です。そういうことをきちんと話し合う場、それが圧倒的に不足しているように感じます。
企業は今の大学生を知っていますか?
たとえば、企業のビジネスパーソンは、自分の被教育経験(自分が大学生活を謳歌していた頃)をもとに、大学や大学生を語ります。しかし、その“大学像”“大学生像”は、本当に今の時代を反映しているものでしょうか。
たとえば、「大学生の学生生活の時間の使い方」についての調査に、京都大学の溝上慎一先生の研究*1があります。溝上先生の調査によると、現在の大学生は、時間の使い方という観点から4つのタイプ(クラスタ)に分かれるそうです。
●タイプ1
自主勉強・読書/テレビゲーム/友人・クラブ・サークル……すべての活動に活発な学生
●タイプ2
自主勉強・読書/テレビゲーム/友人・クラブ・サークル……すべてに何もコミットしていない学生
●タイプ3
テレビゲームだけをしている学生
●タイプ4
友人・クラブ・サークルだけに精を出している学生
いかがですか? ご自分の学生の頃を振り返ってみてください。皆さん自身を当てはめるのだとすれば、どのタイプに位置しますか。あるいは、自社の新入社員はどのタイプですか。そして、この分類内容は、皆さんが大学生活を謳歌していた頃と同じでしょうか。
結局、この分類からわかるように自主学習・読書などで学んでいる学生というのは、遊んでもいる、ということですよね。その一方で、何にもコミットしていない学生もいます。また、テレビゲームだけをしている学生もいます。テレビゲームが学生生活の大きなポーション(部分)を占めるのは、現在の大学生に特異な傾向なのかもしれません。
皆さんが、大学生と呼ばれていた頃、このような分類で学生を分けることができたでしょうか。もっとも、フランス現代思想について書いた浅田彰氏のベストセラー『構造と力』を持ってディスコに行くのが流行した時代もあったと聞きます。そういう方々は、この分類のタイプ1に当たるのかもしれませんけれど(笑)。
興味深いのは、何事にも旺盛なタイプ1の学生は、将来展望や、それに対応する日常の努力、知識や技能の獲得意志が強い傾向もあるようです。また、授業以外で教養を身につけたと答える傾向があるそうです。そういう学生は、大学の中でも、そして、大学の外でもすでにアクティブに活動しているのです。
こうしたことを研究している領域は、教育学の中で「高等教育論」と呼ばれる領域です。僕は、もっと高等教育研究が、企業のビジネスパーソンと「開かれたコミュニケーション回路」を持つべきだと思っています。また、そうしたプロセスを通して、ビジネスパーソンの中に強固に染みついた“大学のイメージ”あるいは“大学生のイメージ”も、時折、Unlearn(学びほぐし)していく必要があると思います。あなたの知っている“大学”“大学生”は、今の“大学”“大学生”でしょうか?
勤務経験のない大学教員も
企業理解の努力を
対して、大学の側は企業を理解しようとしているでしょうか。これも、非常に心許ないところがあります。
近年は、キャリア教育を重視したり、企業との共同研究自体が増えているため、以前よりは随分ましになっています。が、それはキャリアに関する専門家や、一部の教員に限られていることかもしれません。あまたいる大学の教員が「企業が求める人材像」を把握しているか、と問われるならば、自戒を込めていいますが、不安が残ります。
僕を含め、ほとんどの大学教員は、そもそも企業で働いたことはありません。だから、情報源は自分の教え子、親戚、子供など、非常に限られています。そもそも知る機会がかなり限られているのです。
それでは、企業で勤務した後に大学に勤めている人はどうか、というと、ここにも自分の被教育経験が強固に染みついています。ところが、シャバに出たことのない(!?)大学教員がほとんどである大学内では、勤務経験のある彼らの意見は“企業”を代表するもののようにとらえられがちです。しかし、もちろんそれも確実なものとは言えません。先ほどのビジネスパーソンの場合と同じように、“大学のイメージ”あるいは“大学生のイメージ”も、時折、Unlearn(学びほぐし)していく必要があるのです。
結論からいうと、企業と大学は今後、大学生、大学の学生生活、教育について知る機会を持ち、それを踏まえて対話する機会をあえてもっとつくるべきだと思います。立場が違いますから、そう簡単にはいかないことはわかりますが、高等教育論などで得られたデータと人事部のデータをつき合わせて真剣に大学生について考える機会を持ってよいと思います。そうすれば、大学では何を教え、企業の人材育成では何を行わなければならないか、に関する、より緩やかで生産的な合意ができるような気がします。
9月11日、公開研究会Learning barを東京大学の福武ホールで開催することになりました*2。テーマは「みんなで大学生を考える」です。もしご興味があるようでしたら、どうぞ参加をご検討下さい。
*1)溝上慎一「自己成長モードが大学生を教養に導く」──雑誌『世界思想』(世界思想社)の特集「大学と教養」(第36号、2009年4月、p35-39)より。
*2)参加は、下記HPよりメールマガジンに登録のうえ申込み。