Vol.4 教育の内製化という試練は存在意義説明のチャンス!

「人材育成は絶対にやめるな。もうバブル以降の後遺症は避けたい。しかし、社内で実施する方法を考えて欲しい」

「規模は縮小しても、人材育成は実施する。外部ベンダーも必要ならば使う。ただ、“お金をかけないで育成の場をつくること”も考えて欲しい」

 最近、僕のところに寄せられる問い合わせで多いのは、上記のリクエストを、経営者、役員、部長といった、いわゆる「上」から求められた方からのメールです。皆さん、非常に悩んでおられるようですね。「無理難題」を突然あなたに突きつけるのが「上」という人種の仕事です(笑)。

 しかしながら、なんといっても、こういうご時世です。「教育・研修の内製化」

 というものが、各社において始まっているように思います。今回は、これについて考えてみましょう。

教育は、お金がかかるもの

 まず、最初に誤解を避けるために断っておきますが、「教育・研修の内製化」といっても、それはイコール「教育にはお金をかけなくてもいい」ということを意味するわけではありません。教育には「お金をかけなくてもいい」あるいは「お金はかからない」という認識は100%間違っています。教育は「不確実な将来」に対する「未来投資」であり、そのことは不況であろうと、好況であろうと、今も、昔も、小学校も、企業も変わりません。アタリマエのことですが、教育は「コスト」ではなく、「投資」です。

 ちなみに、日本という国は「教育に多くのことを期待しつつ、それに投資することにコンセンサスが最も得られない国のひとつ」です。このことが象徴的に表れているのは、公教育にかけられている教育費です。日本の国内総生産(GDP)に占める教育公財政支出割合(要するに国がどの程度教育に金をかけているかという程度)は、2005年には、2003年の統計よりもさらに0.1%減少し、3.4%になりました。この値はOECD加盟国28カ国内ワースト1です。さらにひどいのは高等教育(大学教育)に対する支出です。高等教育に対してはGDP割合の0.5%です。これもワースト1です。各国平均の約半分しかありません。

 企業人材育成の場合はどうでしょうか。矢野経済研究所の試算によると、この国の企業研修市場は2007年で5830億円と見積もられています。米国の場合、手持ちには古いデータしかないのですが、2000年初頭の段階で600億ドル(約6兆円)と、軽く「一桁」違います。米国と日本の人口規模、GDPの規模の差を考えても、「一桁の差」は大き過ぎます。ここには明らかに日本人の教育というものに対するメンタリティが表れている気がします。教育に多くを期待しながら、それに投資しない。グローバルな視野から見ても、この国の「教育のあり方」が問われています。

人材育成のあり方を再考するきっかけ

 話をもとに戻します。もし、あなたの「上」が教育には「お金をかけるべきではない」あるいは「お金がかからない」と考えているならば、教育学の基本中の「き」から学び直していただくため今すぐに大学にお越しいただくよう、説得してください(笑)。

 しかし、僕が最近よく耳にする「上からのリクエスト」は、どうもそういうことばかりではないようです。むしろ、

1)外注することで得られる付加価値とは何かを明らかにして、説明して欲しい

2)1)の質問に答えられないならば、内製化することも選択肢に入れて欲しい

 ということだと思います。

 結局、求められているのは、これを機会に人材育成のあり方、仕事でもたらされる価値を内省(リフレクション)し、説明することではないでしょうか。もしそうだとしたら、もっともなことではないかと思います。

 ここ数年、企業人材育成業界は成長を遂げました。マクロに見れば、市場そのものは必ずしも成長傾向にあるわけではないのですが、ここ数年間、企業の好景気に支えられ、いわゆるプチバブルが訪れていました。バブルの時には、「シンドイ問い」を突きつけてくる人はいません。しかし、世の中には好況があれば、不況があります。

 「外注することで得られる付加価値とは何か?」「人材開発部があることの付加価値とは何か?」はいずれ、両者が答えなければならない「問い」であったようにも思います。

 そのうえで、現在、企業人材育成が突きつけられている状況は、不遜な言い方かもしれませんが、長期的な視野に立てば、悪いことばかりではないな、とも思います。

 これを機会に、自分たちの活動・事業、レゾンデートル(存在意義)を内省する動きが高まっていますし、創意工夫して、さまざまな試みを行う方々が増えているように感じるからです。僕のメールボックスには、毎日のようにブログを読まれた方、この連載を読まれた方から、お便りが届きます。データは偏っていますが、そうした方々のメールを拝読していると、最近そのようなことを感じざるを得ません。

 ある人材開発部門では、部門全体で数日間のワークショップを開き、今後の事業ポリシーを策定し直しました。

 ある会社では、人事教育部が主体となって、ミドルを集め日常の仕事を内省するワークショップを開催しました。

 ある会社では、社内に「カフェ」を設置し、社員が自由に集まれる場所をつくったそうです。そのカフェでは、社員が自発的に勉強会やイベントを催すようになりました。

 ある会社では、現場の学習と連動した研修をしようと、現場マネジャーに参加してもらう人材開発委員会を経営陣の直下につくりました。

 これに呼応するかのように、教育ベンダーのほうも変わってきています。

 ある民間教育ベンダーは、この時期に合わせて、研修内容をすべて見直し、インストラクターの再教育を行いました。

 ある民間教育ベンダーは、ワークプレイスラーニングの支援に向けて、体制を整えているそうです。

 もちろん、こうした動きに出ているのは、すべてではありません。僕の目には、むしろ「二極化」しているようにも見えます。この時期をきっかけに、自らを振り返りつつ、新しいことにチャレンジしている会社と、膝を両手で抱えてうずくまっている会社。

 あなたの会社は、どちらですか?

 そして、あなたは、どのようにありたいですか?

内製化は、試練という名のチャンス

 僕はエコノミストではないので、不況がどの程度続くのかを予想できません。しかし、経済にドシロウトの僕でも、この不況の出口を見出すことが容易ではないことは、皮膚感覚として想像できます。やはり教育・研修の内製化の動きは、しばらくは続くのかもしれません。そして、その際に問われることは、

1)人材開発部は、社内で「何」ができるのか?

2)どんな「付加価値」をもたらすことができるのか?

3)教育ベンダーには、社外からどんな「付加価値」をもたらすことができるのか?

 ということです。これらはアポリア(難問)ですが、放っておいてよい問いではありません。今、人材育成の領域には「試練」が訪れています。数カ月後になるのか、数年後になるのかはわかりませんが、「あの時は試練だと思ったけど、チャンスだった」と思えるような日が来ることを願っています。否、そういう日は、必ず来るはずです。