Vol.1 「学習」って、何ですか?
皆さんは、「学者を困らせるシンプルな方法」をご存じですか? それは、その研究者の専攻分野の、最も「中心的な概念」を問うことです。たとえば、あなたが困らせたいと思うのが経営学者ならば、両手を胸のあたりで組んで、目をキラキラさせ、素朴にこう問いかけてみるのです。
「センセイ、組織って何ですか?」
誠意ある経営学者は、あなたのキラキラ光る瞳を一瞥して、きっと、こう反応するに違いありません。
「組織の定義にもいろいろあってですねーゴニョゴニョ」
そして、困惑した表情を隠せないでしょう。けれどもこのことは、経営学者が職務怠慢(!?)であることを意味しません。学問の中心的な概念は、いつの時代も「論争の的」です。いかにオリジナルな概念定義を提案できるかで、学者は日々、研究に邁進しています。
「論争の中にあること」は「断言できないこと」を意味します。ですので、いまだオリジナルを追求している誠意ある研究者ほど、先ほどの問いに口ごもってしまうのです。
次に、僕自身に対して、マゾヒスティックとも思える問いを投げかけてみましょう。
「結局、学習とは何なんでしょう?」
この問いに対して、教育学者(のはしくれ !?)である僕は、何と答えるのでしょうか。
うーん、本当に難しい問いです……それには、いくつかの学派が諸説を唱えていまして、ゴニョゴニョ(笑)。本当は、このままゴニョゴニョしていたいのですが、連載の初回からモジモジしているのも、僕の本意ではありません。
ここでは、「学習」に対しては、大きく分けて2つの考え方(Perspectives on learning)が存在することをご紹介したいと思います。そのうえで、僕自身が「学習」をどのように考えているのか、についてご紹介します。そして、皆さんは、「学習」をどう捉えているでしょうか。一緒に考えてみてください。
「学習」とは知識をパイプで注入すること!?
まず、1つめの考え方。
最も伝統的な「学習」の定義は、「個人が頭の中に知識を蓄積すること」とするものです。この考え方は、世の中の多くの人が持っている「素朴な学習観」でもあります。
私たちは、誰もが「被教育経験」を持っています。小学校から高校まで1万4400時間という圧倒的に長い時間を、教室という空間で過ごしています。その被教育経験の中で構築された、最も支配的で強固な信念が、「学習とは個人の頭の中に知識を蓄積する」と言うものです。
「オレがこれから言うことを、耳の穴、かっぽじってよく聴け。頭の中にたたき込んで、しっかり学んでおくように」
誰もが、学校の先生から、こんな風に言われた経験をお持ちなのではないでしょうか(僕だけ!?)。この言葉が前提にしているのは、この考え方にほかなりません。
わかりやすいように写真では、それをレゴブロックにして表現してみました。上のほうにいる「先生の頭」から下の「生徒の頭」に向けて、パイプが伸びています。先生から発せられた情報(学習内容)が、生徒に「漏れなく伝わる」と考えることがまさにこの学習の考え方です。
1960年代~1970年代の教育学(教育方法学・教育工学・教育心理学)は、この「パイプによって、いかに効率的、かつ、効果的に学習者の頭の中に知識を注入することができるか」を研究していました。こうした研究テーマに、世界中の研究者が取り組んだのです。それは一定の成果を上げ、今もなお、さまざまな教材開発に役立てられています。
真の「学習」は、あなたと周りを変える
学習とは「知識蓄積」である──このような考え方は、しかしながら、1980年代に入ると見直されるようになります。
1970年代までの知見は、貴重ではあったけれど、学習の重要な側面を見落としてしまっているのではないか。学習は「個人が知識を蓄積すること」だけでは説明がつかないのではないか、という認識が広まりました。その理由は、とても短く説明できないので、割愛します(スイマセン)。
とにかく、頭の中の知識蓄積だけに注目するのではなく、もう少しカメラのレンズを「広角」にして、「個人の行動・思考の変化」「個人とそれを取り囲む他者との関係の変化」「個人の属する組織の変化」までも「学習」と捉えようという機運が高まってきます。
一言で言えば、学習とは「伝達」ではなく、個人と個人の周囲にあるものの「変容」であるということになります。
自分のあり方も変わる。そのプロセスを通じて、個人と他者との関係、個人と組織との関係、ひいては組織そのものが変わっていく。その際には、一時的な緊張や葛藤も生じる可能性があります。学ぶことの一面は、自分につながる人々との関係を「壊すこと」であり、「葛藤を抱えること」なのです。さまざまなレベルで、さまざまな人々の間で展開する「変化(Change)」こそが、「学ぶ」ということの「本質」なのではないか、という認識が研究者の間で広まったのです。
一般に、学習とは何か決まり切ったことを「保持」するという、どちらかというとコンサバティブ(保守的)な行為と見なされがちです。そうではなくラーニングによって、ものの見方を新しくして、自分が変わり、他者との関係も変わる。そのことが組織が変わることにつながっていく。そうしたアクティブで、ダイナミックで、クリエイティブなプロセスとして、学習が考えられるようになりました。
僕自身は、この考え方に立って企業内人材育成の研究を進める1人です。研究者の中では、どちらかと言えばラディカルな立場で研究をしているほうではないかと思います。
人が仕事場において、学び、成長し、仕事ができるようになっていく。その時に職場や組織は、どのように変わるのか。人の変化と組織の変化̶̶その両者を同時に見るべく、いくつかの企業の方々と、さまざまな共同研究を進めています。
最後に、この連載の名前の由来についてご説明します。
もうおわかりの通り、この連載名「ラーニングイノベーション」は、「ラーニング(学習)」を「イノベーション(変革)」と見なすという僕の研究の考え方、そして、「学習によって変革が組織にもたらされるべきである」という僕の信念を表現しています。
しかし、この連載では、あまり重い話題を扱うのも「粋」じゃないな(!?)とも思います。僕がラーニングイノベーション研究を進めるうえで疑問に思ったこと、感じたことを、軽いタッチで書いていきたいと考えています。
僕は、少なくても週に3回程度、企業訪問やヒアリングを行っています。そこでは結構、オモシロおかしい話を見聞きします。そうした話を下敷きに、ちょっとした理論なども交えながら、オモシロおかしく語っていきたいですね。
ちなみに、僕はもう9年以上、ブログ(Web日記)をつけています。こちらには連載には載せられない(余計な)話も掲載しています。ぜひ重ねてお楽しみください。これから、どうぞ、よろしくお願いいたします。