第108回 フーコー、フルトヴェングラー、そして塩田剛三に学ぶ 物事の本質のつかみ方(その2)

「フルトヴェングラーって、てっきりナチスの手先みたいに思っていたんですが、そうじゃなかったんですね!」とある方が語ってくれた。話がつながらない方はこのメルマガの前回に戻って頂きたい。

「ユダヤ人が切符を買い占めて誰もいないところで演奏した人でしたっけ?なんかそんな映画ありましたよね?」とフルトヴェングラーの後継者であり、日本で絶大な人気のあったカラヤンと混同した人もいた。

正直、今から33年前、クロード・ルルーシュ監督による「愛と哀しみのボレロ」を見た時には、私はあの有名なエピソードはフルトヴェングラーかと思っていた。つまり、カラヤンの米国初回講演の時に、「無聴衆演奏」を行った話だ。映画の中では、カラヤンをモデルとした指揮者とオーケストラがヘラルドトリビューン社(と記憶しているが)の記者1-2名ぐらいしか観客席にいないホールの中で演奏をする場面だ。映画館で見てからは33年間見るチャンスがないが、その場面は脳裏から離れない。そのぐらい戦争の影がもたらすインパクトは強かった。フルトヴェングラーは前回紹介したように、戦中はもちろん、そして戦後もその影と戦っていた。

 さて、前回の宿題。

「私たちは有機的に思索し、有機的に感覚します。すべての有機体、すべての植物、すべての動物はこの意味において、私たちにとって一つの「全体」を形づくります。」

これは、「すべて偉大なものは単純である」という箴言をタイトルに使った作品からフルトヴェングラーの著書「音と言葉」からの引用である。文庫本の18ページの長さ(私が所持しているのは、1981年初版の新潮文庫版、もともと「すべて偉大なものは単純である」は1954年に書かれている。)の中に凝縮された文章を読めば、彼が思想家としてもいかに秀でていたかがよくわかる。

フルトヴェングラーが生まれた1886年には、同じドイツでハインリッヒ・ヘルツがラジオアンテナの元祖ともいえる「ヘルツ・アンテナ」を開発している。そして、1895年にはレントゲンによる「X線の発見」、翌年の1896年にはアンリ・ベクレルのウランから放出された放射線の発見と、立て続けに科学技術の大発見が続く。

つまり、彼は急速に科学技術万能神話が確立し始めるころに育っている。指揮者としてデビューした1906年はアインシュタインが特殊相対性理論を発表した翌年となる。そんな時代背景を踏まえてこの本を読んでみると、芸術は我々に何故必要とされるかが理解できる。時代の流れに逆らわないけれども、その流れにのみこまれずに、表現者としての役割を見事に果たしたと感じた。

さて、ミッシェル・フーコーが生まれたのは1926年。ナチスドイツの台頭だけではなくムッソリーニによるアフリカでの勢力拡大の一環として、ちょうど10年後の1936年にはエチオピアを併合した。そして、1940年5月にはドイツ軍はフランス国境を越えてきている。つまり、フーコーは多感な少年時代にドイツ軍占領下、暴力的な抑圧、それに対して見て見ぬふりをしている大人たちを見ていた。権威に平伏さない、というフーコーの一貫した姿勢はこの子供の頃の原体験が影響していたのは確かなようだ。

ところで、そろそろなぜこの三人を挙げているのかご理解頂いただろうか?三人の共通点は何か?

それぞれの分野で本質を模索してきたというのは言うまでもない。それ以外はどうだろうか?「権威や権力と呼ばれるものとそれぞれの戦いをした」と見ることもできるだろう。

当時、武道家として確立した地位にあった合気道創始者植芝盛平翁に挑戦した塩田剛三は柔道三段とはいえ、高校生であった。植芝翁が弟子をあまりにも無造作に投げ飛ばすことをいぶかったのだ。そして、自らがいとも簡単に投げ飛ばされたが故に内弟子となり、あとは前回書いたような腕前になった。「権威」に「名前負け」はしなかったわけだ。

その塩田剛三が晩年、「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。そういう人間は自分が最後でいい。これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」と語っていたという。

つまり、時代の流れに対して塩田剛三もしっかりと向き合っていた。

「権威と戦っていた、たしかに。でもそういう塩田さん、フルトヴェングラーさん、あなたたちも大変な権威になりましたよね。あー、だからと言って私はあなたたちを批判することはしません。だって、あれだけ多くの人を勇気づけたじゃないですか?あなたたちの本職を通じて。

もちろん、私の著作を読まなければならない、という具合に勉強を強いらている今の学校制度という教育装置も十分に『権力』なんですよ。そんな矛盾は明らかにしておきましたからね。下界にいた頃は。」

来月、ミッシェル・フーコーが58歳の若さで亡くなってからちょうど30年に相当する。もしかすると、天国でこんな会話がなされていたら、と想像すると、この三人に限らず、もっともっといろいろなことを知りたくなった。